ゆるキャン△という処方箋
2,3ヶ月前だったか、ゆるキャン△を観た。
元々あまり日常系に類するアニメを観ることはなかったのだけど、作業中のBGMとして展開が少ない作品はちょうど良かったことと、ここ1年くらいでキャンプを始めたこともあり観てみることにした。結果としてBGMとしてもちょうどよく、かつ面白かった訳なのだけど、こういった作品(他にはスーパーカブなどがあるだろうか?)を観ていて思うことは、いわゆるブリコラージュ系とでも呼ぶべき潮流があるのではないだろうか?など考えたりなどする。
ブリコラージュというのは元々文化人類学者のレヴィ=ストロースが唱えたものだ。それについて明確な定義をするのは省くが、ここでの文脈で言うならば「素人があれこれ工夫してモノを組み立てる」というニュアンスでとってもらえれば良いだろう。ゆるキャン△の中では女子高生のキャラクターたちが、高校生であるが故の金銭的な制約の中、さまざま工夫しながらキャンプを楽しんでゆく様子が描かれていく。それはそれぞれの家からの持ち込みから始まり、知り合いから恵んでもらったものを活用したり、アルバイトで必死に稼いだお金をフル活用して別用途のアイテムを組み合わせることで欲しい『機能』を手に入れていったり(安い椅子を2つ組み合わせてベッドにするなど)。そんな風にして制約の中でもあれこれ工夫して、日々を楽しんでいく。そういった営みを観て非常にブリコラージュ的だと思ったし、今の時代において一種のモデルケースを表しているなと感じた。
その時代その時代で流行るものというのは、その時代の何かを象徴しているというのはよく言われる話だ。それはアニメに限らずではあるのだが、特にアニメというのはその視聴のハードルが低い分、より多くの層を取り込んだ何かを象徴していると言えるのではないかと思う。そんなアニメをして高度経済成長の時代を振り返るなら熱血系、或いはスポ魂系とでも言われるようなものが流行った。それは戦後の何もない時代から這い上がる、右肩上がりの潮流とマッチしていると考えられる。そしてバブル崩壊後、終末系が流行った。これは氷河期世代の心情をよく洗わせいているだろう。そして失われた30年の中、アイロニー系が流行る。なんだかんだ生きてはいけるが希望は持てない。だからアイロニカルに日々を『躱し』ていく。そんな雰囲気が2010年台だ。なかなか悲観的なムードが続いた訳だが、ここでブリコラージュ系が出てくる。これは先ほど見た通りだが、「なかなか日常は良くならない」「お金も時間も思い通り使えない」という制約の中でも、なんとか工夫しながら楽しんでいく姿勢がここに見られるのではないかと思う。これはバブル期の大きな楽しみとはスケールが違うが、地に足がついていると言う部分ではよりよりような気もする。
ちなみにこの逆は異世界転生系なのではないかと思う。彼らは相変わらず現実逃避をし続ける。「ここではないどこかに行けば、、、」という夢を見続けるのは良いが、まあ有体な言い方ではあるがそれで現実は好転しない。終末系からズルズルとその価値観を引きずり続けているのが異世界転生系と言えるだろう。
駆け足で書いたため具体的な作品などを挙げて分析はできていないが、ゆるキャン△という処方箋というのはざっくりとこんな感じだ。なかなか好転しない現実ではあるが、その中でなんとか楽しく生きていく。そんなヒントがゆるキャン△の中には眠っているのかもしれない。