2025/08/23
・今日は弟くんの誕生部也、5000円分くらい何かくれてやろう。
・保存食というサブシステム
保存食というテーマを、かれこれ1年半くらい考えているような気がする。最初は食糧危機のあたりから考え始めて、最近は社会学的な観点から考えるようになった。
メタファーとしての冷蔵庫はそれの典型例と言える概念だ。その他マクドナルド化する社会だとかを元に、色々現代社会の病理的なものを考えていっている中で、保存食というアプローとは非常にサブシステム的なものだなあと感じるようになった。そしてハレとケの概念で言うならば非常にケ的でもある。
例えば最近のAIのような社会現象となるような概念と比べて、非常にメインストリームとはなりにくいアプローチだと言えるだろう。そもそもこういったことについて考え始めたときにすでに「『電気がなくなった場合に』どのようにインフラを構築しうるか?(電気に頼らない社会を作ること)」という視点で考え始めたところもあり、自分の中出そもそもの出発点がサブシステムだったりもしている。
核融合や量子コンピュータの分野でブレイクスルーが起これば、こういった問題は解決していくのかもしれないが、そうでなかった場合、または解決した場合であっても確かなサブシステムとして、そういったことを考えていく必要があるのだろうと思う(ウェイド的発想)。
そしてそういった考え方は極めてケ的であるとも言える。非日常的なハレの日、ここで言うハレは「生活インフラ以外の営み」というのもの混在していると思うけど、そういったものを下支えするケとしての保存食だ。
自分は大谷翔平現象的なものを、大谷翔平が生まれた県の出身で、世代も近いにも関わらずどこか「ノレない」ようなところがある。それは、生活を本当の意味で支えているエッセンシャルワークに従事する人はフィーチャーされず、1スポーツ選手が「日本の宝」や「日本を背負って世界で戦っている」のような扱い方をされていることにどこか違和感を感じてしまっているところがあるからだろう。
この辺は色々な言い方をすることができる。ここではその中の一つの「AIが全ての仕事を代替すれば、スポーツ的なものだけがメインストリームになっていくのでは?」という話だ。カーニヴァル化やイワシ化という言葉があるが、これも全面化していく世界になるのかもしれない。そういった時代にもしなった時、先のような考え方は古びてしまうのか、どうなのか。そしてそういった「ケのない世界の中で人間は安定するのか?」そういったことを考えている。
これはカーニヴァル化
・養老孟司おじいちゃんはnull
・太宰治など始めて読んでみた