電気に頼らない社会を作ること
いま、世界はどのように変わってきただろう?
もちろん色々な変化をいうことが出来るだろうけれど、その一つには電気を使うようになったということが言えるだろう。ここ最近ではAIだとか、少し前ではインターネットやコンピューターなどということが言われているけれど、これらも電気の上に重なるように進化しているもので。そして、僕たち人類は、そんな電気からなる生態系を開拓し、現在はそれに依存をしている。
日本社会でもDXが声高に叫ばれるようになったけれど、これというのも今の文脈から言うならば電気の生態系への引越しだ。ペーパーレスなど環境問題の面から語られることも多いのだけれど、この辺も実際比較してみると効果は微妙なところらしい。あるとすれば『環境問題のボトルネックを電力生産の問題へと収束させる』ということだろうか?
いずれにしても、電気の発明以来僕たちは急激な勢いで電気の生態系へと変化している。そしてそれはもう引き返すことができないところまで来ているのだろう。電気を介さずに生産された商品などもはや日常から探す方が難しいし、企業の活動から家庭内の生活まで、ありとあらゆるものが電気の上になりたっている。もちろんそれは、僕たちの社会を素晴らしいほど便利にした。その恩恵は感謝しなければいけないし、そもそもそんな電気がなければこの文章すら書けていない。
だがしかし、それ即ち『電気だけになっても良い』という話にはならないのだ。世界は今、急速に電気によってできた生態系によって侵食されている。逆に"非"電気によってできた生態系は、その隅の方にどんどん追いやられている。それによって確かに世界は便利になったのかもしれないが、一方で世界からは多様性が失われているように思う。
たとえば冷蔵庫が誕生した。それによって食料の保存期間は延び、今まではその日のうちに食べなければいけなかったものが1週間後にも、場合によっては何ヶ月後、何年後にも食べれるようになった。しかしその一方で、冷蔵庫のない時代に工夫されて作られてきた保存食の技術は失われてゆく。それはすぐに消えてゆくわけではなくても、徐々に形を変えて、本来の機能を失ってゆく。実際、今と昔の保存食のレシピは異なっていて、保存性に乏しいものになっているという話もあるようだ。
冷蔵庫の例で言うならば、もちろん電気を使わない保存食も存在するだろう。たとえばフリーズドライなんかがその典型例だ。しかしそれは、一般家庭で手軽に作成できるものだろうか?そもそも工場で作成するにしても、電気を使わずに作成できるものだろうか?そう考えてみると、もし世界から電気が消失した時に作り続けることができないようなものであることが分かるだろう。
こんなことを言いつつ、実際のところは電気が完全になくなるような状況を想定すると言うのも、少し極端な話だとは思っている。もし大きな災害や、戦争が起きたとしても何らかの手段で電気は作り続けられ、それを使った生態系は活動を続けることだろう。しかし、きっと完全ではない。だから電気がない世界を想定しておくというのも、それはそれで大切なことではないかと、僕は思う。
(SFが好きな身としては、ポストアポカリプスに思いを馳せるのがそもそも趣味というのを置いておいたとしても。)
そういったことに関していうならば、たとえば冗長化という概念がある。ITの分野は門外漢である上、電気に頼らないという文脈でで電気の例を出すのも変な話だが、予備の電源やバックアップのサーバーを用意しておくことで、システムの一部が故障しても動き続けるようにする工夫だ。重要な部品を複数用意することは、もしもの時の備えとなる。工業分野においても"遊び"や”逃げ”という概念がある。これはネジなどの部品をあえて締めすぎず緩みを持たせることで、スムーズに動くようにしたり、変形や歪みの吸収に活用されていようだ。生物の世界でも働きアリの法則というものがある。アリは、8割の働きアリと2割のニートアリに分かれていて、もし8割の働きアリだけをとっても、またそのうち2割はニートアリになってしまうのだという。これだってアリの生態の中に組み込まれた、種を存続せるための余裕と言えるのではないだろうか?
そんな風に、本来さまざまな分野において多様性を担保するような仕組みというものは存在しているのだが、この電気依存という問題に関してはそうさせないような同調圧力が働いているように思う。それはおそらく、今の社会を動かしている資本主義のピラミッドの、トップ層がIT企業に独占されていることに起因しているのだと思う。この辺は仲間意識と集合知と美人投票の問題もあるので、一概に誰が悪いという話でもないのだけれど、少なくとも多様性が失われることが危険なことであるということは間違いないと考えている。 「同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる」
ーGHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊より
というのは僕が好きな攻殻機動隊のセリフの一部だけれど、今日の文章が書きたかったのは結局のところこういうところだ。電気に依存し、それによってのみ構成された社会は、どこかに致命的な欠陥を持つことになるのではないだろうか?その仮説が実際のところ正しいのかどうかは分からないし、もし正しかったとしてもその欠陥が露呈する事態は未来永劫来ないことなのかもしれない。けれどもそれについて考えを巡らせて、日常のほんの小さなところからでも変化させていくというのは大切ことではないかと、僕は考えている。