自分はそこまで音楽が好きじゃないのだろう
昨日に引き続き文章を書いてみようかと思う。
小学生の頃から野球をしていて、父に言われたことの中に「1日休むと1週間、3日休むと1年分技術が戻ってしまうぞ」という話があった。まあこの辺が少し古い考え方だとか、科学的に云々だとかは置いておくとして、実際に何かを訓練していくということというのはそういった側面があるのは事実だと思う。文章を書くのも同じことで、やはりしばらく文章を書いていないと「文章を書く筋肉」とでもいうべきものが衰えてしまうような感覚がある。別に自分自身、特段文章がうまい人間でなくともそうなのだから、この分野のプロフェッショナル的にはどういう感覚なのか僕には分からない。が、少なくとも僕はそう感じる。
そんな筋肉の問題と、それから習慣としての問題を考えた時にきちんと毎日文章を書いていこうと思う訳だけど、そんなことを思いつつも全く日常習慣に落とし込めていないことがある。それが楽器の練習だったりする。かれこれ2年前くらいになるだろうか?社会人の軽音サークルに入った。自分は大体1年に1回ほど新しいことを始めるようにしているのだけど、その当時は上京してきて2年ほど、有難いことにそれなりに仕事もいくつか持って、経済的安定してきたタイミングだった。それで小さい頃からやっていた音楽を、軽音という形でもう一度やりたいなと思ったのがキッカケだった。
自分は小さい頃からエレクトーンを習っていて、歌を歌うのも好きで、中高は野球部で離れたが大学では自分たちでバンドも結成したりだとか、軽音サークルに入って少し活動したりなどもしているくらいの、所謂音楽を少し『齧った』程度の人間だ。から、今更本格的に〜という訳でもなく、とりあえずサークルくらいから始めてみようかなというところでサークルに入ったのだけど。入ってみるとまあビックリ、全然お金を払っても聞きたいなと思うレベルのメンバー(バンド)たちがわらわらといた。それもそのはずで、社会人になってまで(というと少し失礼だけど)音楽を続けているという人たちは、大学の軽音サークルで言うならばトップクラスの、あるいは幹部クラスの『上澄み層』が殆どだからだ。そしてそんなメンバー達は、大学の頃にはなかなか手が出せなかった、でも本当は好きだったコアな(言い方を変えると万人受けしない)ようなアーティストの曲を選んで、ライブをしている。だから音楽を『齧った』程度の自分は知らない曲ばかりな訳だけど、でも先ほども書いたように全然お金を払っても聞きたいバンドばかりなのだ。ちなみにこの「知らない曲でも聴ける」という状態はけっこう大切で、それは純粋にその演奏(&曲)が一定の水準以上に達していないといけないからだ。そこに人気曲のような思い出補正は存在しない。
などとだいぶ遠回りをしてしまったが、そんな軽音サークルで、自分はキーボードとして入った。先述したように自分はエレクトーンをやっていたので、キーボードは元々できることと、軽音サークルにおいてキーボード人口が少ないことは分かっていたので、ブルーオーシャン戦略的な、打算的な意味合いもあった。そんな打算的な部分も功を奏して、有難いことにたくさんバンドに誘ってもらったのだけど、でもまあなかなか練習の習慣が自分の中に落ちてこない。そして最近、今更ながら薄々と感じていた「自分ってそんなに音楽好きじゃないのかもな」が言語化されてきたのだった。
ライブ自体は楽しい。でもそのために練習したりだとか、色々と音を作り込んだりしていく時間にそこまで没頭できない。だからたくさん誘ってもらって申し訳ないのだけど、そういった練習は半ば『修行』と化していた。今でもそんな感じだ。攻略ゲームとして楽しいところはある。どういうことかと言うと、キーボードというのは他の楽器と違って完コピというものが存在しない。それは特にJ-POPをやると感じるのだけど、キーボードが(自ずと)担当になってくる楽器数に対して、明らかに腕の数が足りていない。たとえば大半のJ-POPというものには、ピアノの他にストリングスやトランペット、オルガン、ベルの音、もはや何の音かわからない(つまりコンピュータで作成した)効果音など、とにかく沢山の音が入っている。その中から取捨選択して、あるいは練習の中でやりとりしながら少しでも原曲に近づくように、あるいはライブでの演奏としての完成度が上がるように工夫していくことはそれなりに楽しい(まあこれすらも或いは、半ば自分に言い聞かせているだけなのかもしれないが)。だからと言ってもちろん自分が大変、凄いとか言うつもりもなく、他の楽器もそれぞれ色々な大変さや奥深さがあることは話を聞いていれば容易に想像できる。あくまでキーボードと他の楽器の違いと言うだけの話だ。
そんな感じで攻略ゲームとして楽しむ日々を続けている訳なのだけど、その攻略ゲームだけをしていても、実は技術は上がらないということも感じる。その辺の話も書きたいところだけど、今日は随分と長くなってしまったのでこの辺で。
昨日は軽音サークルのことについて書いていた。
自分の場合、この類の文章は書きながら考えているので、書いている間は全容が見えなかったりするのだけど、再度読み返してみると「ああ、ここ2年はそんな感じだったな」などと思ったりもする。実は大学の軽音サークルの時はまともなバンドのキーボードなど経験しておらず、何かユニットのような形でやっていたのだけど(メイン?はボーカルだったので)、いつかやってみたかったバンドのキーボードは達成できて、それはそれで一つずつバッジが増えているなと言う感じはする。そんなことなど思いつつ、今日は最後に書いた「攻略ゲームでは技術は上がらない」という話について書いていこうかなと思う。
飲みの席でキーボーディストだけが集まる時、決まって話題になることがある。それが「ピアノ出身かエレクトーン出身か」という話だ。ピアノはまあ、説明するまでもないだろう。エレクトーンは後ほど写真を貼っておくが、鍵盤が2段あって、足元にも鍵盤があって、色々な音色に変更ができる、まあすごく単純い言うと1人オーケストラができるような楽器だ。繰り返すと自分はエレクトーン出身。それぞれの出身で何が違うかと言うと、すごく単純に言うと技術と知識が違う。ピアノをやってきた人というのは、基本的に決められた楽譜を読んでクラシック曲などをひたすら練習することが多い。だからすごく指は動くのだけど、逆に練習した曲以外はできなかったりする。一方でエレクトーンをやってきた人は、3段もある分、一つ一つの手と足はそれほど難しいことをしない場合が多い(もちろんレベルにもよる)。でも逆にある程度コード(アルファベットで構成音がわかるショートカット記号のようなもの)が読めたりだとか、何かの曲を聴いた時に「ここにはこの楽器が使われている」「ここはこの音階だ」とかを判別できる能力に長けている。だからバンドのキーボードをやる上では音作りや耳コピに有利なのだ。
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そんな具合の違いがあって、さっきの技術と知識の例えで言うと「長年の練習により難しい曲でも指がしっかりと動く」のが『技術』でありピアノが有利なこと、「ショートカット記号が読み取れたり、曲の中の楽器や構成音がわかる」のが『知識』でありエレクトーンが有利なこと、と雑にではあるが定義することができる。この雑な定義の上で考えてみるなら、エレクトーン出身かつ攻略ゲームを楽しんでいるような自分は完全に『知識』の側で戦っているとも言えるだろう。そして昨日は書けなかったが、キーボード側の設定で「サボる」こともできてしまうのがこれの悪いところだ。知識で誤魔化してしまうと、技術が上がってこないのだ。
正直ピアニストは小さい頃からの積み上げがあって羨ましいなあなんて思わないでもないけど、まあそんなことを言っていても仕方ない。意外とこういったことって一時が万事というか、色々なところに出てきる自分の悪い癖のように思っていて、この辺をなんとか改善していかないとなと考えている。本質的な解決をせずに小手先で誤魔化してその場をやり過ごすのは、たまになら仕方ないのかもしれないけど、長い目で見た時にそれはボディブローのようにじわじわ効いてくるのではないだろうか?そんな感じがする。正直、音楽の分野でそれを改善しようと頑張っていくのかどうかはわからない。たださっき一事が万事と言ったように、この自分の性質はどこかでテコ入れしていかなければならないなと思っている部分なので、まだ間に合う(かもしれない)20代のうちになんとかしないとな、と思う。