史観の危うさ
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昨日ははじめての構造主義という本を読んでいた。名前の通りの本なのだけど、風呂敷を広げ過ぎず、レヴィ=ストロースに絞って解説をしていくのがすっきりと分かりやすくて助かったりしていた。そんなものを読みながらふと頭をよぎったのがユヴァル・ノア・ハラリだったのだけど。彼の書籍たちは非常に求心力を持っているように見える。そしてその根底には、いわばハラリ史観とでも言うべき、色濃い思想が埋め込まれているからなように思う。実際、そのような批判も散見されるような書籍群だ。こういった史観たちは、時に大きな影響力を持つ。日本で言えば司馬史観や網野史観などが挙げられるだろう。海外で言えばマルクス主義などもこの典型と言える。構造主義を勉強しながらそんなことに考えを巡らせていると、そういった『史観的なもの』の危うさが浮かんでくる。マルクス主義で言えば、ナチスの関係などは今更言及するまでもないだろうが、ある種の物語というのはとても強い力を持つが故に、今でもなお力を持ち続けている。先崎彰容が批判した人新世の資本論もまた、その一例だ。物語はその分かりやすさ故に、時に力を持ちすぎる。道具として有用すぎるのだ。それはそれこそハラリがサピエンス全史の中でも言及した通りだが、その言及それそのものが新たな物語化しているという皮肉な構造になっているのではないか?というが今書きたかったことだった。サピエンス全史は虚構(=物語)が我々サピエンスをここまで発展させたという主張が大きな軸の一つになっているわけだが、この主張は構造主義的な思想を援用しているにも関わらず、構造主義が批判したかったはずの西洋中心主義や啓蒙主義をむしろ補強していまっているようにみえる。そしてそれは、現代社会の中である種の宗教性を帯びているように見え、かつ人類の全てを語れそうにさえ見えてしまうその有用性は僕らの判断能力と(人新世の資本論批判のところで先崎が言ったところの)『しなやかさ』が奪われていってしまうのではないだろうか?そんなことを考えつつ、でも冷静に考えるとハラリの書籍群をきちんと読んだこともないなというところに行き当たり、取り急ぎの仮説として今日は文章を書いてみたところ。
(AIにめちゃめちゃ良い文章書かれた、、)
了解しました。
では先ほどの批判を受けて、**「史観批判という史観」というテーマで、あなたの文章を再構成します。
トーンはこれまでの思索日記の文体を維持しつつ、
自らの批判的姿勢そのものを“対象化”**する構造にしています。
2025/10/15
史観批判という史観
昨日は『はじめての構造主義』という本を読んでいた。
レヴィ=ストロースを中心に据えた端正な解説で、
構造主義がどのように「神話を外側から見る視線」を得ようとしたのかがよく分かった。
そんな本を読みながら、ふとユヴァル・ノア・ハラリのことを思い出した。
彼の著作群はいつも強い求心力を帯びている。
そしてその語りの背後には、いわば「ハラリ史観」とでも言うべき一つの神話構造があるように見える。
けれど同時に、僕自身の中にも「史観を疑う史観」がある。
ある物語の強度を怖れるとき、
僕はその外側に立てているという錯覚を抱いてしまう。
批判的であることそのものが、
安全地帯のように感じられてしまうのだ。
史観は危うい。
その言葉を口にするとき、
僕はすでに「危うさ」という物語の中にいる。
司馬史観も、網野史観も、マルクス史観も、ハラリ史観も、
そしてそれらを見渡す僕自身の立ち位置も、
すべては何かを説明しようとする欲望の派生物だ。
構造主義が暴いたのは、
神話の背後に“構造”があるという発見ではなく、
どんな批判も神話的構造の外には出られないという諦観だったのではないか。
それでも、僕たちはその外に出ようと身をよじる。
そしてその身振りの中に、かすかな自由を見出そうとする。
ハラリが描いた「虚構の力」は、
まさにこの矛盾の中にある。
人類は虚構を信じることで文明を築いた、
という彼の語り自体が、
新たな虚構として世界を包み込む。
それは批判でも分析でもなく、
物語を語ることへの愛そのものの表れだ。
たぶん僕が警戒しているのは、
ハラリではなく、
“説明できる”という安心感のほうだ。
世界を読み解いたと思うその瞬間に、
世界の方が一歩引いていく。
「しなやかさ」という言葉を思い出す。
先崎彰容が『人新世の「資本論」』を批判したときに使っていた言葉だ。
物語は強すぎる。
だからこそ、それを信じるしなやかさを失ってしまう。
けれど、疑うことにもまた硬直がある。
批判もまた、一つの信仰なのだ。
思えば、僕はまだハラリの本をきちんと読んでいない。
それでも「危うさ」という名のもとに、
何かを遠ざけようとしていたのかもしれない。
批判の言葉を持つたびに、
僕らは自分の語りを守ろうとしてしまう。
その意味で、史観の危うさとは、
ハラリのことではなく、
僕自身の語りの構造のことなのだろう。
(あとがきのような断片)
批判することは、
信じることをやめることではなく、
信じてしまう自分を見つめることだ。
たぶんそれが、
構造主義が言いたかった“外部なき批評”という感覚であり、
そして同時に、
ハラリ的な「虚構を信じる人間」の宿命なのだと思う。
この再構成では、批判的知性が自分自身を折り返す構造――つまり「メタ批判としての柔らかさ」を強調しています。
語り手が“ハラリを批判する自分”をも対象化することで、
「史観の危うさ」を生きる知の姿勢として描かれています。
次に進めるとすれば、
この文章のラストに**「保存食的時間」**を挿入して、
批判→発酵へと知のモードを転換する章を作るのが自然な流れです。
やってみますか?