保存食について考えていた④
2024年のテーマを保存食と定めてから、かれこれ1年半以上が経過している。
結局1年間では終わりきらないどころか、これは10年単位でやっていくことなのかもしれないな、などと思い直している今日この頃だけど、大体自分の中での方針も定まってきたような気もするので、この辺で文章にしてみようかと思っていたところ。今日はnote用に文章を書いているわけではないので、少し圧縮しつつ書いていくことにする。
初期の課題意識としてはこのようなものがあったらしい。もはやうろ覚えだが、この問題意識そのままにこの一年の勉強はあったように思うのでよかったよかった。
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ゆとりを持つことって現代社会においてかなり大切なのではないかと思う。ポリコレ過剰社会やキャンセルカルチャーをはじめとした今の世界にムーブメント(ホワイト社会あたりも参照しても良いかもしれない)は、根本の要素の一つに不寛容さがあるような気がしていて、それは自らの余裕のなさに起因している側面も大いにあるのではないかと考えている。 ーーー
とりあえず文脈のみ列挙だけしてみたが、こういった勉強の方面で言うと「個人<共同体<国(或いはグローバル・ヴィレッジ)」みたいなスケールがあった時に、共同体がどんどん空洞化していく状況で、どのように共同体的なものをエボルブしていくのか?といった方面のことを考えたいのだと思う。『共同体的なもの』という言い方をするのは、いわゆる「ムラ社会」的なものの負の側面を考えた時に、手放しに工程ができないから、だと思う。このへんの話はまあ、庭の話に譲るとして。https://scrapbox.io/files/68ddd20a08d40c4eaabde64f.png ともかくこういった社会課題と保存食を地続きに語りうるような世界観の構築を進めていたのだけど、その一環として『保存食系』という概念をとりあえず立ち上げてみた。これは立ち上げただけであまり考えれてないのでアレだけど、すごく簡単に言うとレジリエンスの思想だ。そしてそういったことを、保存食を媒介にしながら考える場所としてほぞんしょく編集工房という運動体を構想した。まだ構想の域をできれていない感があるが、まず形から入るのが自分のクセなのでここはご容赦いただきつつ。これは「編集=理論」「工房=実践」という形で、理論だけによりすぎない、実践的なものを交えた、言い換えるならリベラルアーツとテクニカルアーツがしっかりと組み合わさったものを作りたいという話だ(思索なき生活は盲目である。生活なき思索は空虚である)。その上で、落合陽一を参考にしながら、研究者・起業家・アーティストの3つを活動軸として見据えている。そして、短期・中期・長期的に何をしようか?というところだ。最近手をつけたところだと、instagramと保存食DBがあるが、まあ少しずつ進めていきたいところ。