保存食について考えていた
2024/05/01
2024/05/02
そろそろ、自分の"何か"を始めなければならないなと考えていた。
それは、自分の25年周期で物事を考えているところからしても、いい加減第1フェイズが終わる部分に差し掛かっている(というよりもう過ぎている)というところもあったからだ。
自分自身、割と興味があることは沢山あるのだけれど、でも、結局のところ世界の需要だとか、時代性だとか、しっかり続けられるかだとか、そういう部分というのが結局は大切になってくるわけで。
そういうことを諸々考えた結果として、保存食なんかは良いのではないかなあとか考えていたところ。
手仕事、料理、知行合一(2024年仮テーマ)あたりにも合致している、というか無意識のうちにこの辺から演繹したのかもしれないけれど、ともかく、保存食というテーマはなかなかに奥深いなと考えていたところ。
軸となる考え方は、『社会に"あそび"を保つ』とか、そういう感じかなあと思う。冗長化とかもけっこう重要なキーワードになり得る気がしている。
(以下遊び調べ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/遊び
https://www.weblio.jp/content/あそび
https://note.com/naotaka7328/n/n170d05471a64
色々あるけれど。
①文化的なものに触れること
②物事にゆとりがあること
③森鴎外的遊び
④何より単純に楽しむこと
まあ、3つ位に絞るのがよかろう。
仮決めするならば
①文化に触れる
②ゆとりをもつ
ゆとりを持つことって現代社会においてかなり大切なのではないかと思う。ポリコレ過剰社会やキャンセルカルチャーをはじめとした今の世界にムーブメント(ホワイト社会あたりも参照しても良いかもしれない)は、根本の要素の一つに不寛容さがあるような気がしていて、それは自らの余裕のなさに起因している側面も大いにあるのではないかと考えている。
ちょっと文脈は逸れるが、具体的な例としてamazonが翌日配送みたいな『速さ』を売りにしている昨今の状況は少しよろしくないのではないかと思う。通販が便利になることはよいことかもしれないけれど、そこに依存してしまう社会は、ある種の自転車操業のような状態に陥ってしまっているような気もするのだ。1週間、あるいは1ヶ月"それ"を先延ばしにしても問題がない状態を各自で作っておくことというのは、実はかなり大切なことなのではないかと考えており、ひいては自らの余裕、そして寛容さにもつながるのではないかと思う。この辺については農家の人がかなり寛容で余裕があるというのにも通じる話だと考えている。
③(ただ単純に)楽しむ
であろう。これらの具体的な面については追って深掘りして行ければ良いと思うけれど、一旦は置いておいて。社会的文脈についてはつけようと思えばいくらでもつけることができるけれども主には下のような部分が挙げられるだろう。
# 食料問題
世界的に見れば、以前として人口増加は続いている。この問題の解決の糸口の一つとして、保存食を当てるのはどうだろうか?持続可能な保存食の選択肢ならいくらでも出てくるのではないだろうか?この辺についてはフードテックなどについても知見を巡らせていく必要があるなと感じている。
(AI)
食料問題に対する保存食の重要性は、食料の安定供給と栄養の保持にあります。特に食料安全保障が低い地域や、季節によって食料の入手が困難な地域で、保存食は重要な役割を果たします。保存食は収穫期に余った食料を無駄にすることなく、非収穫期にも利用できるようにすることで、年間を通じて食料供給の安定化に寄与します。また、保存食の技術を改善することで、食品の栄養価を長期間保つことが可能となり、栄養不足の問題への対策にもつながります。
# 災害対策
災害対策としては、主に②の文脈かもしれない。ので、先ほどの部分を引用して省略。補足するとすれば、現代のレトルトやフリーズドライ食品的な保存食は非持続可能的であるということも言える。伝統的な保存食なら、災害化においても持続的な可能性が比較的高いと考えられる。
(AI)
災害時においては、インフラが損傷し、通常の食料供給が途絶えることがあります。このような状況下で、保存食は非常食として極めて重要な資源となります。保存食は、長期間保存が可能で、調理に少ないエネルギーを要するものが多いため、災害時の食料確保の基盤となります。また、保存食の備蓄は、災害対策の基本的な部分であり、個人や地域コミュニティが自助努力を行う上で重要な役割を果たします。
# 文化の保存・継承
食、特に保存食というのは、『文化のタイムカプセル』の側面があると考えている。それは、様々な地域や時代において、そこに住まう人たちがとった生存戦略の集大成(あるいはプロセス)であり、そこにはさまざまなものが内包されている。それは各々の好みであったり、気候条件であったり、宗教であったり、とにかくさまざまだ。それをアーカイブすることや、あるいは営み自体を継承させていくことは世界にとって価値があることだと考える。それを早急に行なうべき理由は電力の普及だ。電力によって、具体的には冷蔵庫などによって、それらの食文化は本来の形を失いつつある。それを純保存するには今しかないのかもしれないと考えている。他にも日本が人口減少先進国であるというのは、ある意味でチャンスに転換する必要があるとも考えている。この局面の乗り切り方のノウハウを蓄積していくことは、将来グローバル的に必要となると考えられる。
(AI)
保存食は、文化の一部として受け継がれることも多く、特定の食文化や料理技術の重要な要素です。伝統的な保存食の製法は、地域社会にとって重要な文化遺産であり、それを学ぶことは文化的アイデンティティを理解し継承する手段となります。例えば、日本の梅干しや韓国のキムチ、東欧のザワークラウトなど、これらはそれぞれの文化における食の歴史と文化的背景を体現しています。現代技術を用いてこれらの保存食の製法を継承・発展させることは、文化の現代化と持続的な伝承を可能にします。
懸念点としては、こんなことを考えている人はいくらでもいるのに、スケールしていないということにある。メディア発信のターゲットとしては非常に明確でとても良いのだけれど(具体的には環境保全化の中年女性、具体的には自分の母親まで絞ってしまっても良いかもしれない)、それ故にスケールしていない何かしらの要因があるのだろうなあ、、とか感じるところ。
この辺はリサーチを進めながら行なって行ければと思うところ。