コンビニとドングリ。(仮)
朝の9時、床の上で目覚める。
ぼんやりした頭でスマホを弄っているうち、少しずつ目が覚めてくる。
ある程度のところで起き上がって、身支度もそこそこに近くのセブンイレブンへと向かう。
切らしていた調味料と、これから飲むジャスミン茶を購入したら退店、近くの林の中に入ってみる。
今滞在しているのは、筑波大学に通っている弟宅。
昨日は両親もやってきて、弟の合格祝いをしていた。両親はもう帰っていったけど、自分は折角ならということでもう2日ほど追加でお邪魔している。
林に入ってみたのは道端に沢山ドングリが落ちていて、拾って食べてみたいなと思い立ったからだった。
木々を掻き分けて入った瞬間、さっそく蜘蛛からの洗礼を受ける。
この前キャンプに行った時もそうだったが、どうも蜘蛛の巣が昔より増えているように思う。
ただ、本当に蜘蛛の巣が増えているのか、もしくは自分が都市生活に入り浸りすぎた故の勘違いなのか。実際のところはよく分からない。たぶん、今後調べたりすることもないだろうと思う。
そんなこんなで蜘蛛の巣に苦しみつつ林の中を探索してみたものの、どんぐりはなかなか見つからない。見つかっても、それは去年のものか、まだ青さが残っているようなもの。
それで結局、林の中から這い出してきたら、手近なドングリの木の下で拾い始める。
人目につく上、通りも多い場所だったので踏んづけられたりしていたので避けたかったところなのだけど、まあ見つからないものは仕方ない。思うに日当たりの関係で、林の中と道端では少し時期がズレているのかもしれない。
手に持っていたのはセブンイレブンで買った商品たちが入ったビニール袋。それにそのままドングリを投入、大体袋の4割くらいが埋まったところで退散して、家に帰る。
少しの散策だったが5箇所ほども虫に刺されてしまった。蜘蛛の巣も割と身体にまとわりついて気持ち悪かったので、そのままシャワーを浴びる。
そして今、macbookでメッセージのチェックなどをしながらこの文章を書いている。
ここ最近はありがたいことに収入も安定してきて、独身の立場であればそれなりに不自由なく暮らせるようになってきた今日この頃。そして時間を見つけてはこうして、色々なところに遊びに出掛けている。
そんな日々を送っていると、徐々にお金に対しての意識が薄れていくのを感じる。
もちろんそんなに大金が稼げているわけでも、豪遊しているとかそういう事でもない。ただ「これは自分に必要」と思ったものについては、そこまで金額を意識せずに買うことができるようになったな、と思うのだ。
だから、自分にとってコンビニに行くことは何かを"採集"しに行くような感覚に近い。そしてそれは、木の下にドングリを拾いに行く行為とも極めて近しいんじゃないかと考えてしまう。
どちらも徒歩5分以内の場所にあって、目当てのものが入手できる。この発想には色々ツッコミどころがあるのかもしれないけれど、自分にとっては対価として払うものが通貨なのか、はたまた体力なのか。そんな程度違いでしかない。
ここ最近のテクノロジーの進化は凄まじくて、生活にかかるコストはどんどんと下がってきている。
「不景気で大変だ」「インフレが〜」などというけれども、それは恐らく富の再分配とかそちら側の話で、人類全体が持つ富の総量は有史以降増大を続けている。
あまり経済のことは得意ではないのでこれ以上この辺に立ち入るのは辞めておくけれど、そのように人類の富は増大し続けていて、適切な分配が行なわれるとするならば、生活コストは徐々に下がっていくこととなる。
そうすれば誰もが、コンビニとドングリの木を同等に考えるようになるのではないだろうか?
ケインズの100年後予想を思い浮かべながら、残念ながらそうなっていないことには憂いを感じるけれど、まあそれはそれとして。
職場でお金を稼ぎ、コンビニで惣菜を買い、家賃を払ったアパートで眠りにつく。
林でドングリを集め、火を起こして調理し、平らな場所にテントを張って眠りにつく。
その双方が少しずつ近づいていって、やがて溶け合うような時代の中に、僕たちはいるのかもしれない。
さて、そろそろドングリのアク抜きを始めようかな。
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