第44回 社会契約論の歴史
トマス・ホッブズ(1588-1679
イングランド南部の牧師の次男として生まれた
世界の運動論的把握
ホッブズの世界観では、自然状態からスタートする
自然状態における人間はボールのようなもので、自然法則に従って転がり、他のボールとぶつかったりする
このような状況では、人は他者からの侵害に怯えている
殺し合いをして、自分がいつ殺されるかも分からない日々が嫌になって、お互いに殺し合わないという約束を決めようと考える
社会契約
このルールを機能させるために、みんなで武装の権利を第三者に受け渡す
こうして国家(リヴァイアサン)がつくられる
ホッブズは、個人よりもさらに小さい単位まで世界の現象、運動を細分化した
人間にとっては、感覚という外から与えられる刺激が全ての出発点となる
同じ感覚が繰り返される事で、言語的な記号になり、記憶としても定着していく
このような刺激が蓄積され、経験となる
言語的な記憶と経験が、情念をつくり、
情念が意志(これをしたい、したくない)をつくる
情念は生まれつき由来のものもあるが、大部分は経験と言語表彰に由来する
ここに宗教や正義という概念も含まれている
情念は何かを欲求するか、嫌悪するかという二項対立が基本となる
ホッブズの概念において、意志は心に抱くものというより、本人に選択された結果をさす
例えばビールを飲みたいという気持ちと仕事をしなければという気持ちとで揺れている時、これは情念が複数存在しているといい、
熟慮という過程を辿って最終的な行為(意志)が決定される
このような概念で整理されたホッブズの世界観では、人は情念、熟慮、意志に基づく行為を繰り返し、他者にもその過程を通じて影響を与え合うという運動論的な世界観になる
機械論的と言わないのは、機械論的というと未来が決定されているかのようだが、ホッブズにとってそれは重要ではない。というより各個人は未来が決まっていないという発想をもっているからこそ、あれこれ情念と熟慮を繰り返す
個人もまた、刺激と情念に振り回される存在であって、運動の最小単位ではない
ある意味で、人間意志をそれほど高く評価していない
意志は事後的に評価される。ビールを飲んだのだとしたら、彼はビールを飲みたいと意志した、ということになる
従ってホッブズの理論では、人間の自由意志というのは少し一般的な自由とは異なる発想で捉えられる
自由と必然とは矛盾しない
ホッブズの世界観では、フーコーやニーチェの権力観にも似て、人々の間で発生する現象であると考えていた
運動論的に生物を見た上で、政治社会をどう捉えるか?
その中心にあるのは、「自己保存」である
自然状態を、万人の闘争状態だと考えたのは、各人が自己保存のためになんの制約なしに力を行使するということである
この闘争状態を終わらせるためにとれる選択は、ホッブズとしては上に立つ権力の存在しかないと考えた
当時のヨーロッパの国際法を、強制力を持っていないという意味で、意味のない取り決めだと考えていた
この自然状態は、誰でも何もできる代わりに、誰からもなんでもされる可能性を考えながら生きなければいけない
この状態は自由とは程遠く、畑を耕す人間はおらず(耕しても収穫する時に奪われるから)、航海する者もなく、輸入品もない、手頃な建物や作業を効率化する高度な道具もない。全ての人間は他人から暴力を受ける可能性なら耐えず怯えている
この状態では、最初に武器を捨てるのがとても難しい
なぜそのような状況にも関わらず、社会は秩序をもっているようにみえるのか?(これがホッブズ問題である
ホッブズ問題について、ホッブズの著作も後世の解釈者も明確な答えを得ていない
神や伝統という根拠によってこの問題を解決しようとした人もいたが、社会契約論らしさはそのような外部に政治社会の根拠を求めずに、人々の約束の中に、政治社会の根拠を求めるような発想だと考える方がよいのではないか?
だからこそ、突如として政治社会出現する、ということになる
(約束がなぜ可能か?という問いを進めていくと、約束以外に社会形成の究極的根拠を求めることに繋がってしまう)
ホッブズの社会契約論では、万人による闘争状態よりも、国家権力の樹立を国民が望んだものとして、(実際には違うとしても)他者への攻撃や強奪の権利を放棄して、国家という第三者に譲った、と考える
この権利譲渡は、一切に行われるとホッブズは考えていたのだろうか?
確かに、仮に一斉に権利を手放すと考えるとホッブズ問題が解消されるという点でも便利なので、このように理解されてきた
ホッブズの約束の力に対する考え方
ホッブズ的には、自然状態の中で約束(信約)は守られると考えている
約束は恐怖によって成立したとしても有効である(脅されても、そこで死を選ばないという自由意志を発揮したとみなす)
リヴァイアサンを形成する約束(自然状態を脱する約束)というものは、どちらか一方が約束を守らない、というわけにはいかない
誰かが自らの命は自分で守ると言い始めたら、他方もまた武器を取ることになる
ホッブズに対する、世間の評価と著者の評価
世間では、近代政治理論の創始者だと言っても、反発は来ないだろうが、近代人権思想の創始者だというと抵抗を示す人もいるのではないか?
ホッブズの人間観は、全ての人間はくだらなく、利己的でよく深いという発想からきている
つまり、誰も見下していないある種の平等の発想である。それを前提に秩序を考え始めたのが、ホッブズの特徴の一つである