第41回 ローマ帝国衰亡論
【41-1】 文明が衰亡するとき。日本はどう生きていくべきか。高坂 正堯の生涯。【ローマ帝国衰亡論】
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1934年(昭和9年)5月8日 - 1996年(平成8年)5月15日
日本の国際政治学者、社会科学者、思想家。京都大学法学部教授。 国際政治学や欧州外交史を専門
以後の日本の国際政治学に大きな影響を与えた
佐藤栄作内閣から、中曽根内閣までブレーンとして務める https://scrapbox.io/files/67f99ab143cff9aa49d5836c.png
戦後の首相
第61~63代の内閣総理大臣を務める
1964年11月9日 - 1972年7月7日
祖先は武将だったのかな、結構有名な人だった
父は、西田幾多郎と並んで評される哲学者の一人だった ハーバード大学への留学も経験、2年間
36歳という若さで京都大学教授になる
小学生のころに終戦を受けて書いた文章や、中学校での生徒会長時代にこの国の方向性について生徒の前で話をするのというのはすごい
社会主義やマルクス主義の指示が強かったころ(政治の季節の前あたり)、親中国、北朝鮮という人が多かったが、ちゃんと現実問題として、中国がインド国境でやっていることや、チベットに対して行なっていることをなどをみてその性格をちゃんと見定めていた 政治の季節には、学生運動の集団に囲まれて問い詰められることは日常茶飯事だったらしい
最後まで、日本が国際社会の中でどう振る舞うべきか、ということを考えて解いていた
通商国家としての日本の国際政治での立ち回り方というのを、非常に現実的に解いている
通商国家は大国が作る安定を利用して儲けて生きるので、どうやっても好かれない
でも徐々に自国主義に回帰しつつある中でも、昔みたいに完全に逆戻りすることはない、経済による相互依存性が高まりすぎたから
でもその間を行ったり来たりするだろう、と
日本としてはこれまでの経済のみを考えていればよかった時代は終わって、軍事力も一緒の土俵に入ってくる。そのために軍事側にも力を入れて行かざるを得ない、という話
自己の書物は歴史散歩である
文明の衰亡について現代に当てはめようとは考えてない
ただ、現代的関心足に歴史を散歩している、と言っても嘘になる
目的意識が強すぎると、誤って読むことになるが、関係ないなら昔から繰り返し歴史に魅了されてきたことを説明できない
歴史を読むことは、我々に示唆を与えてくれる。また、我々に運命への感覚を与えてくれる。
【41-2】 共和政ローマから帝政ローマへ。その後の滅亡までの歴史を概観する。【ローマ帝国衰亡論】
紀元前1世紀~紀元1世紀前半
カエサルの台頭と暗殺、オクタウィアヌス(アウグストゥス)の勝利により帝政が確立。
アウグストゥスによる帝政の確立(紀元前27年)
オクタウィアヌスの勝利:カエサルの後継者オクタウィアヌスがアントニウスを破り、全地中海世界の実権を握る。
「アウグストゥス」の尊号(紀元前27年):事実上の皇帝権力を握りつつ、元老院の伝統や共和政の形式を維持する「プリンキパトゥス(元首政)」体制を樹立。
パクス・ロマーナ(ローマの平和)の始まり:内戦が収束し、地中海世界に安定した統治がもたらされる。
ユリウス=クラウディウス朝~フラウィウス朝
ユリウス=クラウディウス朝(1世紀前半):ティベリウス、カリグラ、クラウディウス、ネロなどが皇帝位を継承。
皇帝の権威は確立するが、皇帝の個性や政治能力により治世の安定度が変化。
2世紀~3世紀前半:五賢帝から軍人皇帝へ
五賢帝時代(ネルウァ~マルクス・アウレリウス)
最盛期を迎え、領土最大化と養子相続による安定が実現。
ネルウァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌス・ピウス、マルクス・アウレリウスまでの帝位継承
養子相続による安定:政治的・軍事的に有能な人物を養子として後継に指名
軍人皇帝時代(3世紀前半)
内乱の激化:皇帝権力が不安定化し、各地の軍団が自らの司令官を皇帝に擁立する例が頻出。
外敵の侵入:ゲルマン人やササン朝ペルシアの圧力が増大し、帝国境域が脅かされる。
経済混乱:インフレ、税負担の増加、農村の疲弊など社会危機が深まる。
3世紀後半~4世紀:専制君主制(ドミナートゥス)の成立
軍人皇帝時代に内戦と外敵の侵入が重なり危機に陥る
ディオクレティアヌスの専制君主制導入
コンスタンティヌス1世のキリスト教公認
テオドシウス1世の東西分割と国教化など、大きな制度改革や宗教政策が行われる
5世紀:西ローマ帝国の衰退と滅亡(476年)
ゲルマン諸部族の大移動と政治的混乱により、西ローマ帝国は衰退
476年に最後の皇帝が廃位されて西ローマ帝国が滅亡
東ローマ(ビザンツ)帝国のみが残存し、中世へと続く
その後(6世紀以降)
東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は地中海東部を支配しながら独自の文化と政治体制を発展させ、中世末期の1453年まで存続
衰退と滅亡(1453年):オスマン帝国によりコンスタンティノープルが陥落し、東ローマ帝国は終焉を迎える
【41-3】衰亡の5つの仮説。モンテスキューの政治要因説から、マックスウェーバーの経済説、ハンチントンの気候変化説まで。【ローマ帝国衰亡論】
ローマ帝国は、紀元前1世紀から、5,600年続いた 衰亡に関する説はいくつかある
主に人間説
帝国の建設初期とはローマ人の性質が変わっていった
エリートたちの家系が攻めつして、それに変わる新エリートが出現せず
人種混淆(こんこう)が悪かった
ギリシャ人奴隷と、オリエント人奴隷が大量に流入して、それが解放され市民権を得たことで、90%以上が外国系に
それが道徳や政治力、洞察力等を低下させた
もう一つの種類として、自然的要因を強調する説
人間の活動が温度と湿度によって規定されることが多く、そのため文明はある範囲の温度と湿度のところでしか育たなかった
tanimutomo.icon 人種主義的なイデオロギーの影響を少なからず受けているきはする 紀元後1-2世紀の間は極度に乾燥するようになる
農業は難しくなったので、牧畜を始める
しかし、それによって土地はより一層貧うなる
羊と山羊は若木まで食べるので、森林は育たなくなる
レバノンは昔はレバノン杉で有名だったが、乾燥地帯に成り果てた 雨がなくなると、水路が塞がり沼地ができる
蚊が大量に発生する
マラリアに毎年なると、精神的にも肉体的にも著しく能力が低下する
学者は、これらのことを公には口にしないが、飲み会ではいう
あんなところでは工業化は難しいとか、長時間働けない、とか
しかし、文明はどこにでも育つという現代世界の前提に触れることになるので、それは言えない
tanimutomo.icon 確かにこれが人種主義の 政治的要因を強調する説、政治と経済と技術と
ローマは拡大していき、大帝国になると同時に共和政が崩れて専制政治が出現する それとともにローマの衰亡は始まる
共和国時代のローマは、強い市民精神によって支えられていた
流れ
大帝国が成立すると、軍隊が長期に渡って周辺に駐留して戦うようになる
国への愛着から戦うというよりは、将軍の私兵になっていく
将軍が自分たちのボーナス的なもの、土地の配分などを決めるわけで、そこでかなりの時間を暮らしていくのだから
中心部では、専制政治になると政治や法律はお役所仕事、ということにる
すると、人々は無責任になり、自分の利益しか追及しなくなる
経済的要因に衰亡の原因を求める説
20世紀の支配的な理論
商品生産を行う奴隷制第農場がローマの経済の中核
低廉な奴隷が豊富であり、肥沃で低廉な土地があることが、必要条件だったので、それが失われて経済的反映ができなくなり、衰亡に向かった
技術的要因を強調する説もある、一応
馬の使い方として、革帯が顎に巻きつく形になていて、それが馬の喉笛を抑えてしまっていて、重い物を引っ張らせると、1/4くらいしか力を出せなかった
道路は整備されていたのに輸送能力に難があった
【41-4】リーダーの恐怖。独裁は政治家が人間に圧倒された帰結である。モンテスキューの政治的仮説。【ローマ帝国衰亡論】
モンテスキューの考え方
共和政が滅んだときにローマは衰亡する運命が定められた
2つの理由、先に述べた通り
帝国の興隆が軍隊を私兵化
ローマ市の繁栄
単純だけどかなり深く考えられている
政治体制の3分類、基本原理が異なる(そこに連動する、教育も憲法も)
基本原理は、徳性
祖国への愛と平等の愛
基本原理は、名誉
貴族政はこの中に入る、貴族はいわば君主制の本質の中にいる
君主の権力が行使されるときに中間的権力となるものである
基本原理は、恐怖
特定の人物や集団が力によってその権力を獲得し行使しているケースが多い
君主政が独裁政に傾くとき
単独のリーダーは怖い、政治家が絶えず人間に圧倒されていた
ティベリウスも、元老院を腐敗させたいとは思っていなかったが、奴隷になることに不平を言わなかった 彼としても、元老院は自由な立場に立って、自分政治を尊敬させる力を持っていてほしかった
ちゃんと意見を言ってほしかったのだろう
それと同時に、自分の恐怖や嫉妬や憎しみを癒してくれる元老院を必要としていた
最高権力者は孤独で怖く、それゆえ秀でたものをやっつけたりして自分の力を実証しないと、安心できない
結果として、人間の弱さの方が強くでた、ということ
独裁者の場合はそれより強くなる、スターリンの場合は顕著だった モンテスキューがいいたかったこと
共和政にとって、拡大することと豊かになることは望ましくないことだった、ということ
大国になると、共和政を腐敗させる
初期は一応共和政の形式を尊重しながらも元首政をとっていた
帝国、豊かな帝国が人間にとって不可能なものであった
これが近代ヨーロッパの人々がローマ氏を見る時に共通するものだった
しかし全てをこれで説明できない、特に五賢帝時代のことが説明しきれてないので、そこをちゃんと見てくる
【41-5】五賢帝時代を支えたストア哲学のエリート精神。生きることは戦うことである、セネカの生涯。【ローマ帝国衰亡論】
軍人に与えられた名誉と待遇
軍隊は愛国心で動かされなくなっていく
その代わりに、それと同等の力強い性質の動機が必要に
それを担ったのが、名誉や宗教
農民だったものが軍人になった時に、高い位の武人になったので、自分の地位も名誉も自分自身の勇気にかかってくるという偏見
加えて、ちゃんと報酬も払われた
用心深い寛容
ローマ帝国は征服した国に対して宗教を押し付けることもしなかった
それだけではなく、逆にローマに他の国の神々が輸入されてきた
人材の登用という点でも、誰であろうと能力あるものは採用された
ローマはその公民権を徐々に拡大していくが、権利の安売りはしなかった
繁栄を支えるエリートの精神
一人支配が独裁に陥る危険性や、共和政にあった美徳はどうなったか?
ストア哲学を信条とする人々が少数であっても統治に入っていたことが重要だった
tanimutomo.icon マイナスがない状態で健康に生きられるようにしようね、というくらい
これは自然な成り行き
しかしこれが続いていたら、すぐに滅亡していただろう
その意味で、帝政の初期にストア哲学が支配的になったのは大きい
ローマ時代のストア派は、快楽の経験の否定の度合いは弱まった
かなり反映していたので、全て否定は無理だった
波乱万丈の人生
スペインの名家に生まれ、若くして政治家として成功
一度皇帝に追放されるが、法務官として戻ってくる
後の皇帝となるネロの家庭教師となり、ネロが即位するタイミングで実質的に宰相となる ネロが成長して暴君化していくと、セネカがうるさい存在になり、セネカの権力に対する非難も高まってきた
セネカは全財産をネロへ進呈し隠退を申し出るが、その後ネロから死を命じられる
セネカの考え
幸福な生に至る最大の手段は倫理的な高貴にある
富、権力、高位、快楽と言ったものは、気まぐれな運命の女神が支配するもの
人間の内的理性に従って生きることこそ、そこから自由になる道である
そして、自由になった時に初めて正しい善の概念に基づく正しい善なる行為、すなわち徳が可能となる tanimutomo.icon そしてそれが民衆を導く、ということか
生きることは戦うことである
セネカの言葉
権力と富を享受できるローマにおいて、あえてそこから逃げず、しかし、それの奴隷にならないように、日々自らに降り注ぐ誘惑と戦った
「人間種族の至高至善の円熟と、最下劣の堕落」、とが共存していたローマを統治するには、このくらいの強さが必要であった
【41-6】いかなる文化も大衆化すると頽廃し、それが文明の衰退へ繋がる。【ローマ帝国衰亡論】
政治文化に忍び寄る頽廃
大衆化するローマ人
ローマは、カルタゴに勝利を収めた理由にもあった通り、征服した国の人々を無理強いすることなくローマ人にしていった しかし、その中でも社会全体の在り方としては緩やかに変化していった
漸次的水準低下を伴う、下層階級による上層階級の漸次的吸収が起きた
高度の文明を、その水準を落としたり、質を薄めたりすることなしに、下層階級にまで広げることは可能であろうか、、、いかなる文明もそれが大衆に浸透し始めるや否や、衰微せざるを得ないのではないかろうか
大衆化による文明の低下の2つの例
法廷弁論における喝采屋の登場
帝政になったローマで、唯一弁論が残っていたのが法廷であり、法律の発達はローマ文明の特徴でもあった
知識能力を示すために若者などがこの勝負に挑んでいた
しかし、喝采屋が雇われることで堕落していく
かなりの金を払って、何もわからない、聞いてすらない人たちを傍聴の席に座らせる
そして合図を鳴らしたら鳴り止むことのない喝采が巻き起こる
そして、審判員でさえもこれに影響を受けた
それは、高い水準に民衆が引き上げられたのではなく、明確に下層の階級に吸収されていった、と言える
朗読会の流行と質の低下
ローマでは出版業が発達しなかったので、朗読会が行われていた
文人だけではなく、政治家や皇帝なども開くようになった
そして、それが大衆にまで広がってくると、仕方なく聞く、という形になっていく
そのために、朗読会で豪華な晩餐を出したり、朗読自体が卑猥なものや駄洒落などが増えていった
こうした大衆化現象はすぐに社会に対して悪い帰結をもたらさない
しかし、秀れた言葉や弁論以外が力を持っていくと、やがて弁論自体の質は低下していく
それとともに、野心家が大衆を利用して権力を強める、と言ったことも起きてくる
tanimutomo.icon 古代ギリシャで起きていたことと同じだな。ソフィストとか、アルキビアーデスとかね 大衆社会は、政治の質の低下と、文化的頽廃を招く
問題としては、そうした美徳を持った少数の人物がいたとしても、大勢を動かせない、ことである
結果として起こった末期の最大の課題である、経済・財政問題について次章で見ていく
tanimutomo.icon 研究が体裁によって保持しようとしている特権性
研究はあの論文というフォーマットがあり、学会というある種うちわのコミュニティがあるからこそ、誰でも入れる場所でなく、大学を出ていないとできないというものになっている
しかし、それは大衆化することを防いでるとも言えるのではないか?
tanimutomo.icon 他のものについても、ある種大衆化されないような工夫と、そこまで大衆に広げすぎないことの重要性はあるのかな、と思った。サービスについても同じことが言えるのかなと。
そう考えると、完全にオープンなSNSというのは腐敗することを避けられないのでなかろうか。そこに初期に形成されていた文化、そこにいた住人と不可分に紐づいていたとするなら文明と呼んでも良いだろう、を後から取り戻すことなど不可能かのかもしれない。
そういう意味では、医師や弁護士というのも、それらの職業が大衆化されない(それは悪意がなくとも起こることが重要、むしろ善意によってかもしれない可能性もある)ことを防ぐ上で非常に重要なのかもしれない。
そうでなければ一定の秩序を守ることは人間社会にはそもそも不可能なのかもしれない。
tanimutomo.icon 企業組織の中でも大衆化ということは起こるのだろうか?
どのような文化なのか、という話にもなるが、ここでパッと思いつくのは、企業の組織文化ということだろう
数人で最初に作った時にはかなり価値のあることで、それによって全ての人の行動がちゃんと規律だって行われていたかもしれないが、組織の規模が大きくなっていった結果として、それがそのままの形では維持されず、大衆に受け入れられやすい形に徐々に変容していって受け入れられていく、という可能性は往々にしてありそう。
【41-7】平和に慣れ肥大化する福祉が、自らの基盤を破壊したローマ。現代の国家の話をしているようなローマ経済の衰退の歴史【ローマ帝国衰亡論】
第三章 巨大なものの崩壊
財政破綻から始まった
状況
平和になった分、軍事的勝利によって富が入ってくることなくなる
奴隷も入ってこない
しかし平和になり文明が発展すると消費水準は上がっていく
社会不安を招かないように、国家は福祉政策を取る
穀物が低価格に、次いで無料に、その後もどんどん
都市いいな、となて、どんどん人口が都市に流入してくる
その一方で、奴隷の現象もあって、地方での農業労働者が不足し、農業生産は減少
そうなると小さい農村は立ち行かなくなるので、一定の波にも耐えられるでかいところに吸収されていく
すると、富の格差が拡大していく
国家の対策
増税はいつの世にあっても難しい
そこで紙幣の増刷という手段にでた、いわば貨幣の改悪
徳川時代にも結構やってきた
段階的にやったものの、結果としてインフレは避けられず
この時、累進課税という制度もなかったので、増収しても税金は増えなかった
軍がいかり、政治の舞台へ
結果的に軍への実質的な賃金は減っていく
それに対策をしようとしていたが、それは結果として軍の力を強めることになる
そして、その力に自覚的になると不満を抱えて政治の舞台にc登場する
自らの言いなりになる人物を肯定に据えることになる
この時代に、建築らしい建築がないこともこれが原因らしい
最悪の悪循環
軍に据えられた皇帝は、地方の貴族から税金をたくさんとったり、財産を没収したりする
そして、それを自分の権力を支えてくれる軍隊と都市の大衆に配った
しかし、実際には地方の貴族たちが利益を得ていて、それが農業生産含めて都市を支えていたのに、その基盤を自ら崩していくことになった
税制度の難しさ
誰かが査定する必要がある以上、人間が介在する以上、完全な統制は難しい
抱き込めば良いので
tanimutomo.icon いなくても難しいだろう。サイバー攻撃のイタチごっこを見ていたらわかる
数カ所で事業をやってたら、一箇所なので1番緩いところで納税するだろうし、そのためにそこで事業をやる可能性すらある
小さいところは重税に耐えられないので、大きいところに吸収され、そうするとますます逃れやすくなる
税制度が複雑になることは、それだけで危険信号
イタチごっこを始めると、不毛な戦いに労力を費やすことになるので
市民の間では生産活動に励むこと自体が蔑まれる対象だった、しかし技術は未発達
注意が必要なのは、ローマの衰亡論を語る人のほとんどは、今の時代に重ねてその警告をしている
ロストフツェフの大衆社会化もオルテガに代表される大衆論から
ベルナルディの福祉国家のやつも当時の傾向から
平和は富を産む
富は誇りや驕り、プライドを産む
プライドは怒りを生み、戦争へと導く
しかし、戦争は貧困をもたらす
貧困は謙虚を生み
その謙虚さが平和を産む
tanimutomo.icon この循環論にひどく賛成したいは。多分回る。時代も歴史も。形を変えて。もっと大きなサイクルを捉えなければならない。直線的ではない。
運命は非情だが、それに立ち向かう勇気をくれるのが衰亡論
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