第40回 キリスト教
参考文献
聖書(日本語 新共同訳)
SYUMIGAKUの第40回目のシリーズでは、キリスト教と、キリスト教の聖書の成立について話しました。
主な参考文献としては、「聖書(日本語 新共同訳)」「ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書, 2011, 橋爪 大三郎, 大澤 真幸)」「歴史の中の『新約聖書』 (ちくま新書, 2010, 加藤 隆)」などになります。
名前としては知らない人はほとんどいないけれど、内容はよくわからない、という人が多いのではないでしょうか(話し手も含め)。
ヨーロッパ社会は今でもキリスト教文化からの延長線上にあり、アメリカでも約8割がキリスト教と言われるほどで、現代にも深い影響を与え続けているキリスト教とはどんな宗教なのか?どのようにして誕生したのか?について話しています。
※ シリーズ第一回冒頭でも話していますが、本podcastの話し手は非信者であり、特に信者の方からすると不適切・無理解な表現をしてしまっているかもしれません。また、参考にした文献はあくまでキリスト教の特定の宗派(プロテスタントの内側)の方が書かれたものであり、偏った言い方になってしまっているかもしれないことをご了解いただいた上でお聞きください。
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<p>SYUMIGAKUの第40回目のシリーズでは、キリスト教と、キリスト教の聖書の成立について話しました。</p>
<p>名前としては知らない人はほとんどいないけれど、内容はよくわからない、という人が多いのではないでしょうか(話し手も含め)。</p>
<p>ヨーロッパ社会は今でもキリスト教文化からの延長線上にあり、アメリカでも約8割がキリスト教と言われるほどで、現代にも深い影響を与え続けているキリスト教とはどんな宗教なのか?どのようにして誕生したのか?について話しています。</p>
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<p>※ シリーズ第一回冒頭でも話していますが、本podcastの話し手は非信者であり、特に信者の方からすると不適切・無理解な表現をしてしまっているかもしれません。また、参考にした文献はあくまでキリスト教の特定の宗派(プロテスタントの内側)の方が書かれたものであり、偏った言い方になってしまっているかもしれないことをご了解いただいた上でお聞きください。</p>
1. 【40-1】なぜ近代の学問は西洋から広まったのか?ーグローバル化の中核としてのキリスト教【キリスト教と新約聖書】
まず、自分は非信者で、この内容は非信者向けに話す内容です
また、参考にしている文献はプロテスタントに偏っている可能性があります
なぜキリスト教?
趣味学でも哲学の歴史などについて話している
そうすると、中世はもちろん、近代に入ってもキリスト教の影響がとても大きいことが伺える
今回はなすタネ本の著者である橋爪大三郎さんは、近代(現代)社会とは、西洋社会のルールがグローバルスタンダートになった社会であり、西洋社会の文化的アイデンティティの中核には、キリスト教がある、と言っている しかしあくまで西洋の話では?という意見もあるかもしれない
実際、日本のキリスト教徒は1.5%程度しかいない
が、個人的にはキリスト教的は発想は、特に学問と労働からわかりやすく入ってきている
さらに、個人主義と自由・平等という発想もキリスト教由来だということができる
(…そしたらもう大体全部では?という話もあるが
学問的な発想におけるキリスト教の影響
前回のシリーズで、「超越論的」という言葉があり、それは西洋的なものであるという議論があった
理性は正しい、という発想自体が、西洋由来のものである
自分の外側に正しさがある、あるいは現世の外側に正しい事柄がある、という発想は一神教的な世界観を背景にしなければなかなか出てこない
現実に起こっていることは、何かそれを引き起こしている法則の現れである、という発想
つまり現実はノイズと本質が混じっていて、人間がきちんと考えていけば、本質の方を明らかにできるという発想
これを我々日本人は中学生までの義務教育で叩き込まれる
摩擦、空気抵抗はないものとする、という文章が自然と染み付く
物事には本質と、本質から離れたものがある、という発想になる
科学とキリスト教は相反するもの、みたいな感覚を持っている日本人も多いかもしれないが、実際はキリスト教から科学が登場している
神の計画を明らかにしたい、という発想が科学を発展させた
(あとで詳しく話しますが…)キリスト教が他の宗教、特にユダヤ教やイスラム教など同じ神を信じているにも関わらず、キリスト教圏の中から近代科学が出てきたのは、キリスト教の曖昧さ、自由さが由来している
カトリック教会が、聖書に書いていないルールも定めて信者の生活を統率しようとした時期もあるが、基本的に聖書を読んでも明日からどうすればいいかは書いていない
だから、神様が何を考えているのか?を知りたいとみんなが思った
そして頭のいい人たちは、この世界を分析していくことで神の計画を明らかにできると考えた
【40-2】キリスト教がなければ資本主義は生まれなかった?ープロテスタンティズムと資本主義の精神【キリスト教と新約聖書】
もう一つ、資本主義の成立はキリスト教、特にプロテスタンティズムによるものだという有名な研究がある
有名すぎるし、批判もたくさんあるが
基本的な発想は、プロテスタンティズムが持っていた天職という観念が、資本主義的な行動様式の前提になったと考えた
例えば、資本主義勃興前の人は、当面暮らしていければいい、という発想だった
だから出来高賃金制にしても、働く時間を変動させて、飯代を稼いだ
たいしてプロテスタンティズム的な発想では、出来高賃金制の場合、時間を固定にして自分の飯代以上に稼ごうとした
というよりむしろ自分の生活を倹約し、労働時間を増やし、生産性も向上させて、できるだけ多くを稼ごうとした
しかし、この生産性を上げて、労働時間も無理ない範囲で最大化して、できるだけ稼ぎたいという発想は現代日本にも共通化している
なぜこんなことをしたのか、という説明が天職という概念でなされる
救われるためには、現世で神が自分に与えた職業を全うしなければいけないと考えた
このことをカルヴァン派の二重予定説など呼ぶ
二重予定説
救われるかどうかはすでに決まっていて、人間はそれを知ることができない
天国に行くか、地獄に行くかということは人間が現世で何をしたかによって決まることはしない。もうすでに救われる人とそうでない人は決まっている、というように考えた
そんな世界観だったら、努力したり
例えば、自分に腹違いの兄弟がいて、父親がどちらか分からないというケースを想像する。すでに父親はどちらとも他界している
一方の父親は頭が良く、気が利いて、周囲からも尊敬を集めていた人物、もう一方の父親は自堕落で酒に溺れて、仕事もろくにできないような人だった。しかし見た目は似ていたので、見た目だけで自分の親なのかは簡単には分からない
この時、人はどうするだろうか?周囲の人もどっちがどっちの子供だ?と気にしていたりもするだろう
おそらく、二人とも自分が優れた父親から生まれた側だと思いたくて、勤勉に振る舞うようになるのではないか?
つまりむしろ、人間は自分の行動が影響しない状況であっても、自分が救われている側の人間だと証明しようとする
次回以降は
まずキリスト教はどういうものか、のざっくりとした説明
キリスト教、特に新約聖書の誕生の歴史を話す
【40-3】日本の神とキリスト教の神は何が違う?ー一神教と道徳の系譜学【キリスト教と新約聖書】
キリスト教の特徴としてまず上げられるのは一神教であるということ
キリスト教以外にも、ユダヤ教やイスラム教が一神教である
基本的にこれらは全てユダヤ教由来の宗教である
つまり、一神教というものは珍しいものだということ
少なくとも、ユダヤ教以外を由来とする一神教は現代でほとんど見ない
(前回谷村さんも話してくれたように)宗教的なものは多神教的な発想が一番多かった
ギリシャ神話もそうだし、日本の神々、みたいなものもそう
多神教と一神教では、神という概念が全く異なっている
(どんなところが異なっている?)
多神教の神は、基本的に人間と共存している存在で、その中でもちょっと強い存在、という発想になっている
つまり人間より偉い存在であることは変わりないが、それは人間と動物が共存している、とかそういう次元の話でしかない
例えば日本の神社に行くと、大きな社の他にも、学問の神とか縁結びの神とか色々小さい鳥居が設置されていたりする
なるべく多くの神様と仲良くして、多くのご利益をもらえるといいよね、みたいな感じに近い
しかも神様との距離も近い。神様はあくまで現世の中にいる存在である
日本の古事記でも、高天原(たかまのはら)とか、神の住む世界は出てくるが、神はその領域と現世を行き来したりしていて、世界の外側のではない
元々、多くの民族は自分達と自然の関係の中で神というものを定義していた
いわゆるアニミズム的な発想が、原初的な宗教心である
小規模な農業社会や、狩猟採集社会の素朴で自然とバランスをとって生活しようとする人々の信仰
しかし、仏教やユダヤ教などが同じ時期に各地で生まれたのは、この時期に人類全体で共通する傾向が始まったからである
それは、大規模な農業が始まり、民族同士の争い、帝国の成立などが始まったということ
日本は島国だから民族同士の争いというものが生まれづらく、結果として現在でもアニミズム的な多神教の発想が根強く残る形となった
これは、逆に一神教の発想を理解しづらくしていることも確かである
他民族との争いが活発になると、それ以前の世界観、自然とのつながりが壊れて、社会もぐちゃぐちゃになってしまう。この状況への対処が宗教の登場であると解釈できる
対して、一神教は絶対的で、世界の外側の存在である
この世界は全て一神教の神がつくった被造物だと考える
つまり神は人間や動物どころか、他のあらゆる自然現象をも超越した、本当に絶対的な存在として想定されている
また、多神教的な発想の神は、自分たちの土地以外にまで影響を及ぼす必要はない
地球上のどこにいっても同じ神が力を及ぼしている、という発想も一神教の特徴である
普通、自分たちの民族のことだけ説明できれば、それでよしとするが、一神教は世界の成り立ち全てを一人の神で説明しようとする
なぜこんな強い神を信じようとする営みが生まれたのか?
橋爪さんは、ユダヤ人が弱いから、だといっている
つまり、現実の関係を逆転しなければ、自尊心が保てなかった、ということ
現実で力を持てなかった者、迫害された者は、いつしか力を手に入れることを諦め、その現状をどうやって肯定できるか、どうやって現実の強者が実は負け組だという理屈を構築できるか?と考える
そこで、現実でお金を持っていたり、権力を持っているものは、実は神に歯向かっている人間で、死んだあとに断罪される
現世で弱い立場に置かれた我々こそ、神は祝福してくれる
そのために、世界の全てをひっくり返すような、世界の全てよりも上位の存在として君臨する絶対的に強い神の存在が必要だった
これがキリスト教の前身であるユダヤ教の発想だと、ニーチェは考えていた
…この考え方は説得的な面もあるが、当然2000年以上前のユダヤ人が本当にこのような理由で一神教をつくったのかは分からない
【40-4】ユダヤ教の発祥からナザレのイエスの誕生までーキリスト教誕生の歴史的背景【キリスト教と新約聖書】
(注)途中で言及している(ユダヤ人の)「ディアスポラ」は、バビロン捕囚(紀元前587年)や、その後のユダヤ戦争(紀元66年)を代表的な出来事とする、エルサレムを追われて各地へユダヤ人が散っていく現象の総称として用いられることが多いようです。
ユダヤ教からキリストが生まれ、旧約聖書が書かれるまでーキリスト教以前
キリスト教は、ユダヤ教の中から生まれた宗教である
しかし、ユダヤ教とは何か?ユダヤ人とは誰なのか?
ユダヤ教の発祥は、前13世紀の古代エジプトである
当時、エジプトに捕えられていた人(この時点ではイスラエルの民)奴隷が脱走した
脱走に成功したのはアッラー(唯一神)のおかげだと考えるようになった
この脱走した集団が、ユダヤ人としてアイデンティティを持つようになった
こうして発生したユダヤ教は、自分たちだけが神に選ばれた民であり、他の全ての人々は数われないが、我々ユダヤの民だけが救われる存在なんだ、と考えた
すべての人類は神と断絶状態に置かれていて、私たちだけが神と繋がることができた唯一の民族なんだ、というわけである
この時、この集団のリーダー的存在がモーセである
伝統的には、このモーセが旧約聖書の最初の5書を書いたと言われている
創世記、出エジプト記、レビ記など
現代の聖書学では、これはモーセ自身が書いたのではなく、後々の人々によって編纂されたという考えの方が主流である
先ほど、自分たちだけが救われた民で、他の人は罪の状態に置かれている、という発想があったといった
この罪の状態、というのが、創世記で語れている最も有名な、エデンの園の知恵の樹の話である
ただし、現在のような認識が獲得されるのはもっと先のこと
全人類の祖先であるアダムが神の命令に背いたことで、人間は永遠には生きない存在となり、この世に悪が入り込んできた
なぜ罪の状態、という観念をつくったのか?ということは後ほどより詳しく述べる
だから人類はデフォルトでは罪の状態、神に背を向けた状態にある
我々ユダヤの民だけが、その神と和解することを許された民族だ、というように考えた
それからしばらく、ユダヤ人はイスラエルに住んでいて、王国を築いていた
数百年の間一つの王国で、
サウロ > ダビデ > ソロモン と国王が続いたが、その後分裂
北王国と南王国に分裂した
この頃、実はユダヤ教の一神教的な性質は弱まってきていて、多神教的な王国になりつつあった
国の中に、他の神(ヤーハウェ以外)を信じる人が増えてきていた
しかし紀元前8世紀ごろ、メソピタミアではアッシリア勢力が拡大してきていて、北王国が滅ぼされてしまう
ここで南王国の人たちはどう思ったか?
我々はユダヤ人で、唯一神から加護を授かった民族だったはずじゃないのか?
なぜ北王国は滅ぼされてしまったのか?
神が悪いのか?民が悪いのか?という二択を迫られた
ここで南王国の人々は、北王国の人々は神への信仰が足りなかったから滅んだんだ、と考えた
むしろ一神教への信仰は強まった
しかし結局、南王国も紀元前6世紀にはバビロン捕囚(バビロニアからの進行)を受けて、滅んでしまう
この時もやっぱり民が悪いのか、神が悪いのかという話になった
そして神を選んだ
というより、おそらく神を選んだ人と、民を選んだ人は分裂したのだろうが、神を選んだ側の神への信仰が先鋭化したというべきだろう
この後も、イスラエルの地を支配する国は交代を続けた
アッシリア、バビロニア、ペルシア、ギリシア、ローマと変わっていく
しかしユダヤ人は他の民族から支配を受ける側であるという状況は変わらない
ユダヤ人が弱い民族だ、と言われるのはこの辺りが由来している
ユダヤ人たちは強力な軍隊も、鉄製の装備もつくることができず、つまり戦いによって相手を倒すということがほとんどできなかった
しかしこの間に、ユダヤ教の信仰の形態は洗練されていった
大体、紀元前5世紀ごろから前1世紀ごろに旧約聖書が書かれたと考えられている
そして旧約聖書の律法を守ることが、神への信仰心を示す手段だと捉えられるようになった
また、神殿というものを作りそこで儀式を執り行うことも、神から救われるための条件だと考えられた
こうしてユダヤ教にとって、神殿と聖書による律法の二つが救いの主な道として示されるようになった
ユダヤ教の中には、サドカイ派、ファリサイ派、エッセネ派など色々な指導者が出てきた
それぞれ、律法や神殿、あるいは俗世を捨ててひたすら神と向き合うことが大事だと論じるなど、ユダヤ教の中でも色々な救いへの道を説く人が現れていた
しかし実際、旧約聖書の律法を完全に守り切ることは不可能に近かった
エルサレム神殿への定期的な供物は、遠方に住む人にとっては達成できない
安息日、収穫物の一部を神殿やレビに渡さないといけない、7年間に一回、農地を休めないといけないなど、色々な決まり事があった
つまりユダヤ人の中には、ユダヤ人でありながら律法を守れず、救われることを諦めざるを得ない人々が少なくなかった
このような状況で登場したのがナザレのイエス、である
【40-5】イエスは実在したのか?ー現在の歴史学者とキリスト者の色々な解釈【キリスト教と新約聖書】
ここまで、ユダヤ教が宗教としての形式を発展させる過程を見た
エジプトの奴隷から脱した集団が、一神教・この世界を一人でつくった神という独特の信仰を手にいれ、旧約聖書(ユダヤ的にはタナハ)を書き、律法主義と神殿、それらの信仰が維持されるだけの社会関係を取り結ぶに至った
しかしその結果、ユダヤ教の中にも中核と外縁、つまり集団の中で自分たちは救われない、と信仰を断念する人々も出始めた
律法主義は、それ自体(律法を守ること)が目的化してしまっているのではないか?と不満に感じる人々も出てきた
このような状況で登場するのがナザレのイエスである
イエスは基本的にこの律法主義に反対する運動を起こした青年である
そしてイエスはユダヤ教の神を本当に信じていた
イエスは自分自身を主役にした宗教が登場するなどということは考えてすらいなかったと思われる
イエスは、律法を守ることが神が与えた課題であるという既存のユダヤ的な教えを否定し、愛に生きることが人間に課せられたこと、神が人間に望んでいることだという教えを説いて回った
神を愛することと、隣人を愛することこそ、我々の目的である
神は人間と世界をどちらもおつくりになった。そのうちの何か(誰か)を否定し、自己利益の追求に走ることこそ、神に背く行為だと考えた
当時のユダヤ教の支配者層は、律法を守れない人(例えばローマに雇われて税金を徴収している人とか、羊飼いをやっていて安息日に休めない人とか)に対して、差別的な扱いをしていた
しかし、イエスに言わせれば、同じ人間であるにも関わらず、威張り散らして他者を攻撃するような人間こそ神の愛を履き違えた存在だ、ということになる
イエスは各地で教えを説いたり、神殿を神聖視するものたちに、この神殿もいずれ崩れるものだ、という発言をしたりもした
神との直接の結びつきを重視し、律法とか神殿を重要視することを批判した
そうして当時のユダヤ教のリーダーから目をつけられたことが、処刑につながっている
現代、イエスにはいろいろな逸話が残っているが、どこまでが真実なのか?
もちろん、過去のことだから本当のことは分からない
キリスト教信者ではない歴史学者も含め、多くの人が信じているのは、このような既存のユダヤ教に対して改革運動をした青年がいた、ということ
翻って、最も聖書を重要なものとする福音派(聖書に書いてあることは、そのまま信じると考える人たち)からすると、イエスは文字通り神である
イエスが自分のことを神と自称したか、ということについては色々な見方がある
例えば「私と父(神)は一つである。(ヨハネ 10:30)」など、それを匂わせる発言が多く福音書に記述されている
福音派の人々はこれらを根拠として、三位一体も含め(後から話します)、イエスは神だと考えている
イエスについての神的なエピソードは色々ある
まず、処女懐胎に始まり、水をブドウに変えたり、湖の上を歩いたり、触れるだけで人の病気を治したり、などなど
そして最終的には死んだ3日後に蘇った
基本的に、当時の人々も、その後の人々も、イエスを信奉したものたちはこれらイエスの起こした奇跡こそ、彼が神であることの証明だと考えている
しかしキリスト教徒の中でも、これらのエピソードをどれだけ信じるか、ということには差がある
イエスが神であり、聖書の教えはすべて真実である
イエスが神だとは思うが、聖書のうちのいくつかは尾鰭がついていたり、比喩表現だと信じている
イエスが神かは分からないが、何かしら神と深い繋がりのある人物であるということは信じ、一神教的な救いは信じる
イエスが神だとは思っていないが、優れた人物、見習うべき人物だと考える(ハーバード大学などがこの宗派で、ユニタリアンなどと呼ばれる)
生前幾らか影響力を持っていたと考えられるイエスは、生きている間に文章を残したりはしなかった
イエスの行いが聖書という形でまとまっていったのは、それから数十年後の話だと考えられている
イエスが十字架で処刑された後、信者たちはどう行動したのか?
【40-6】なぜ聖書を書く必要があったのか?ーイエスの弟子たちが始めた原始キリスト教【キリスト教と新約聖書】
1. ヘレニストの分離
最初の福音書である、「マルコの福音書」が描かれたのはこのヘレニストによるものだと考えられている ヘレニストは、エルサレム教会から分離し、神との直接のつながりだけを重視する者たち
ヘレニストとは、ギリシャ語と話す者たちという意味である
2. マルコ福音書
新約聖書には4つの福音書が収められており、多くの場合マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの順に収められている
これらには生前のイエスのエピソードが書かれている
ヨハネ以外の3つには、共通のエピソードが別の視点から書かれているものも多い
これらは、18世紀の末にシノプシス(共通のエピソードについて表形式で並べたもの)がつくられた それから研究は続いていたが、20世紀の初め頃には一応の結論が出された
紀元後、50年代か60年代ごろだとされていて、基本的にはユダヤ戦争の前に成立したのでは?という意見の方が主流である
マタイとルカの福音書は80年代あたりに書かれたとされるのが普通である
この時、マルコの福音書を参考にしながら書かれたのではないかと考えられている
さらにマルコの福音書だけではなく、Q資料と呼ばれる資料も参照して書かれたのではないか、と研究者の間では考えられている これはあくまで仮説で、そのようなイエスの言葉を記した一次資料に近しい何かがあったのではないか?と考えられているだけである
イエスの物語の骨子
シノプシスによれば、イエスの活動はわずか1年ほどで、ガリラヤ地方を中心に活動したのち、最後に一回だけエルサレムに行った しかしヨハネ福音書では、地方とエルサレムの間を何回か往復しており、活動期間は2,3年と読める 最初の福音書
マルコの福音書が最初に書かれた福音書だと考えられており、パウロの手紙がほぼ同時期だと考えられる マルコの福音書のいくつかの問題
律法に反対するイエスの流れで、文書を作って権威を付与することを避けていたにもかかわらず、マルコの福音書は実際に書かれ、権威を有してしまう
当時のパレスチナでは大多数の信者はアラム語を話していたにもかかわらず、マルコを含む新約聖書はギリシャ語で書かれた
マルコ福音書の立場は、聖霊主義(神との直接的なつながりを重視する立場)で書かれている
そして、イエス以外が救われないこと
神と繋がったイエスは、結局この世では処刑されてしまったことなどが書かれている
なぜ権威ある書物がつくられたか?
イエスの記憶が薄れないために書き留めておいた、という説明もよくあるが、
それならば物語形式にする必要はない
マルコ福音書は、ヘレニストの視点から、反ペトロ、反使徒という立場で書かれている
エルサレム協会の側では、ペトロなど、生前のキリストと関わったことのある使徒がイエスについてのエピソードを語ることができていた
その直接の弟子たちから離れたヘレニストたちには、権威ある書物が必要だった
逆にペトロたちが権威ある書物を作らせず、自分たちの口伝だけが真理だということにするのは彼らにとって都合が良かった
つまりマルコの福音書は、イエスの直接の弟子には絶対になることのできない、二代目世代による反逆的な書物だと捉えることもできる
なぜ物語形式になった
これは今度はヘレニストたちの中の二代目にとって重要な事柄になった
ヘレニストの一代目はユダヤ教の色をまだ強く残していたが、二代目はユダヤ教に迫害されている中で育ったのだから、旧約聖書にそこまで親しみを持っているわけではない
加えて、実はイエス対してもそこまで重要視していなかった(語弊がある)
ヘレニストたちはイエス = 神 と認識していたわけではない(まだ三位一体とかは全然出てきていない時期)から、むしろ神と直接繋がった一人の人物としてのイエスの存在が重要だった
だから、イエスのように生きるべきだ、という意味で物語的な書物になったのではないか?と考えられている
【40-7】パウロがいなければキリスト教はここまで広まっていなかった?ー劇的な改心をしたパウロの生涯【キリスト教と新約聖書】
キリスト教で初めに教えられることが多い二つの教えは、パウロのとった立場が大きく影響している
パウロの言葉は手紙としてまとめられている
新約聖書が全部で27文書あるうちの13文書はパウロの手紙、という形をとっていることからも、その影響力が分かる
とはいえ、現代では全てパウロ本人が書いたとは考えられておらず、パウロ派の人があとから書いたものもあると考えられているよう
疑いなく本人が書いたとされるのは7つ程度
パウロは、イエスキリストと会ったことがない
むしろ最初はイエスの行動を弾圧する側の人間だったと言うこと
ユダヤ人の中ではいい境遇で生まれた
パウロはイエスより10歳ほど若く生まれ、ユダヤ人で、母語はまずギリシア語だった
当時としては珍しく、ユダヤ人にもかかわらず、ローマの市民権を持っていた(パウロはユダヤ、ギリシア、ローマの3つのアイデンティティが重なっていた
パウロの人生は大きく3つのパートに分けて解釈するとわかりやすい
1. ユダヤ教の熱心な律法主義者
2. キリスト教に改宗して、エルサレム教会で活動した
3. エルサレム教会と決別して、独自に活動した
最初の時期、ユダヤ教の律法主義者であるとは、つまりイエスと正反対の立場であったと言うこと
イエスは律法主義に陥って神や隣人への愛を忘れてはならない、と言う主張で活動していたから
エルサレムでのキリスト教迫害が起こっていて、彼はキリスト教を迫害する側の立場にいた
イエスの死後、パウロは劇的な改宗を経験する
使徒言行録 9に書かれているように、パウロがまさに迫害行為を行っているその最中にキリストの声を聞き、一度盲目となるなど、劇的な改宗をした そしてエルサレム協会(postパウロの共同体)に合流した
しかし、パウロのような共同体指導者の意見を重要したわけではなかった
これはヘレニストたちと似ている
しかしヘレニストと違うのは、彼らが神との繋がれていない者を否定するだけなのに対し、パウロは彼らに何か施しを行おうとしたことである
そうして協会の人間とも中違えしてしまう
改心したパウロは、エーゲ海の周辺で独自の立場で10年間ほど活動した
パウロはエーゲ海周辺をかなり旅していた、とされている
ローマへ行く計画をたて、まずエルサレム協会と和解しようと思い、エルサレムへ行った(58年)が、その時逮捕された
この二つの考え方は、のちのキリスト教教会に大きな影響を与えた
十字架の神学
アダムはエデンの園で、りんごを食べ、神と断絶があった
こうして人類全体が罪の状態に置かれた
しかし神は、イエスという罪のない者をつくった
その後罪のないイエスを十字架で処刑し、人類全体の罪を贖った
(しかしこの主張では、すべての人がその瞬間に救われたはずでは?となり、現実との整合性が合わないのではないか?
現代のキリスト教的な教えに昇華するのは、また別の文書との解釈がなされてから(この後話します
信仰義認
信じれば救われる、ということだと思われているが、実はパウロはそういう言い方はしていない
むしろ、正しい生き方とは信仰している状態である、という意味に近い
信仰しているから正しい、のではなく正しく生きようとすれば信仰という状態になるはずだ、というくらいの意味
パウロは何をしたかったのか?
冷めた見方、不信仰な見方で考えると、パウロの劇的なキリスト教改心も、彼が演出したエピソードであった
彼が初めから最後まで大切にしたかったのが、神であることに変わりはない
ユダヤ民族がローマに支配されている、というこの現状の中で神への信仰を貫くにはどうすれば良いか?
神を民族主義的な発想に留まらせずに、普遍的な存在にしたかった
そのためには、律法主義的なユダヤ教会にとどまっていては実現できない、またキリスト教のペトロの共同体でもだめ
結果独立的な活動を行った
キリスト教はイスラム教と違って、ユダヤ教の聖書も旧約聖書として取り込んだ
これが特徴の一つである
実際、パウロの企てはうまくいき、2000年後の現在ではキリスト教の神(すなわちユダヤ教の神)は、全世界で最も多くの信者を獲得するに至っている
ユダヤのこの世を作った万能の神、という概念は現代で全世界的な信仰を獲得したと言っていい
これは例えるなら、天照大神が全世界的に信仰されている状況と同じくらいの状況である
【40-8】矛盾した教えも、信者を増やすためには必要だった?ーマタイとルカの福音書【キリスト教と新約聖書】
パウロの書簡と、最初の福音書とされるマルコの福音書について見てきた
残る福音書、マタイ、ルカ、ヨハネについてもどのように成立したのかを見てみる
マタイ福音書
マタイとルカは、ユダヤ戦争後の80年代に書かれた
これらはマルコ福音書とQ資料、イエスの言葉資料と呼ばれている資料を参考に書かれているのではないか?(ただし、マタイとルカの相互参照はない)と考えられている
ユダヤ戦争が終わったタイミングで、ユダヤ教は完全に律法主義的な立場に閉じたので、ユダヤ教の亜種、ではなく別の「キリスト教」という立場を独立させる必要に迫られた
当然、なぜユダヤ教ではなくキリスト教なのか?何が優位性なのかを示したいとなった
マタイの福音書は、一言で言うと、新しい掟を守りましょう、と言う書である
キリスト教では、結局何をすれば救われるのか分からない
マルコの福音書はヘレニストが書いたという話をしていた。ヘレニストは神との直接の結びつきを重視し、律法を嫌う
しかし律法がなく、神と直接結びつけ、と言われても何をしたらいいのか分からない
パウロも神との結び付けを重視していた
加えて、キリスト教では旧約聖書も重要な書物であるという認識は現代まで続く流れである
イエスが、旧約聖書の内容も正しいと言っているから(これはイエスがユダヤ教の人間として出てきているから)
つまり、なんとなく旧約聖書に書かれているユダヤ教の律法があり、他方キリスト教では何を守ればいいかは語られていない
ここで、マタイの福音書での発想では、イエスが新しい掟をつくり、旧来の律法を上書きしたと考えた
そしてさらにそれは以前のユダヤ律法とは違って、全人類に対して与えられているものだ
ここでユダヤ教に対して、キリスト教は全人類を対象としていることが明示され、ユダヤ教に対する優位性を確保しつつ、キリスト者が守るべきルールを提示した
しかしやはり何か掟を明示すると、問題が生じる
まず第一に、守れない掟が書かれている
マタイ福音書では、他人の妻に性的欲望を感じたなら目を抉り出せ、というセリフがある
ユダヤ教の時と同じ
掟を一部でも守れないなら、救いはないのだから、このような一文が含まれているだけでも、信者にとっては無視できない問題になる
しかしユダヤ教徒違うのは、この律法を本気で守ろうとする信者が統率されなかったことである
複数の福音書があることもその理由かもしれない
しかし逆に、キリスト教にとって、律法とは曖昧なものとなった
律法が文字通り守れなくても、キリスト者ではない、とすぐにパージされてしまうことはない
ユダヤ教やイスラム教と比較するとこれは重要な点であるとわかる
そしてやはり、掟を作るということそのものが孕む問題がある
イエスは、ある意味で律法を守ることと救われることは関係ないということを主張する活動を行ったことで、ユダヤ教と対立した
神に救われるために人間側に何か条件は必要なのか?
同じ議論はカトリックとプロテスタントの間でも生じた(arai
カトリックは戒律を守らせることを重要視したが、むしろプロテスタントは人間側の行動は関係なく、人間にできることは神の決定を受け取るのみであると考えた
キリスト教では、ユダヤ教のように何か特定の掟(例えばこのマタイの福音書の掟)だけが尊重され、それ以外が否定される、という状態には結局ならなかった
ある意味でキリスト教の内部で掟主義が徹底されず(できず?)、対立が常に起こる形になっていた
マタイの福音書と他の福音書は同じ重みを持っているとみなされているので、マタイの福音書だけを信じよう、というようにはならなかった
ルカによる福音書
マルコは人間の権威を否定し、神との直接の繋がりを重視した聖霊主義、マタイは新しい掟を提示した
ルカによる福音書は、「指導者による指導」を肯定する内容になっている
ある意味で、マルコによる福音書と反対の要素があると言ってもよいかもしれない
ルカ文書の特徴は、イエス以外にも特別な者がいるという立場をとっていることにある
マルコの福音書では、反対に弟子たちを批判しているということはすでに先に見た
ルカではその文章表現から「ペトロはサタンだ」という表現が抜けていたり、明らかに弟子たちへの批判が控えられている
そしてルカでは、聖霊が与えられていない者でも、指導者たちによって指導されることに意味があるというニュアンスで書かれている
しかし基本的にキリスト教の立場は、聖霊を与えられなければ救われない、ということになっている。どれだけ指導されたところで意味がないではないか?というのが純粋な聖霊主義者の発想である
具体例をみていく
マタイの福音書における山上の垂訓の説教では、「霊において貧しい者は」となっており、本来は単に貧しい者だったのではないかと考えられる(つまり、財産を持たない者は、というニュアンスが消されている ルカの福音書では、たんに「貧しい者は」と表記されている
つまりルカの福音書的には、金持ちたちはその金を貧乏人などに施す事で救われる、というニュアンスがある
聖霊のない者は、神への本当の愛を手に入れることは出来ないが、隣人愛に生きることでそれなりに救われる
ルカ文書のこのような色々な教えが乱立しているのが、現代のキリスト教の姿に近しい
救われるにはアレをしろらコレをしろと色々な権威がいっている、そしてマタイの福音書のように、人間の行為によって救われたり救われなかったりする事はありえないと考える立場もある
ここまでに紹介した、マルコ、マタイ、ルカの福音書の特徴をそれぞれまとめると、
マルコ
最初の福音書、聖霊主義なので神との直接の関係を最も尊いものとする。イエスは特別な存在だが、最初は人間で、神が選んで聖霊を与えて特別になった。反律法的な立場で書かれている
マタイ
新しい掟を提唱するような形になっている。聖霊主義的な主張は少ない。ユダヤ教との対比で、キリスト教が全人類を対象とする新しい宗教であるという立場の成立に大きく関係している
ルカ
人間が人間を指導することを肯定している。神との直接のつながりがなくても、指導者にしたがってよいことを積み重ねることが、天国へとつながっている
【40-9】最後の福音書。ヨハネ書ーそれぞれの福音書の果たした役割【キリスト教と新約聖書】
一言で特徴をまとめると、イエスが神と同等の存在だ、ということを最も強く主張しているのがこの福音書の特徴である
他の福音書が、イエスの誕生から復活までを描いているのに対して、ヨハネだけは異なっている
2世紀の初めか1世紀終わり頃に書かれたと考えられている
一言で特徴をまとめるならイエス中心主義
世界(コスモス)と神は断絶している
断絶しているから救われる事はない
そこで神はイエスをこの世に送った
この世に神と繋がる機会、すなわちイエスが登場した事で人間は、「イエスを受け入れる」ことで救われる可能性を得た
マルコの福音書では、イエスは神とつながった実例の一つであって、イエスと同じく聖霊が与えられれば救われるという解釈ができる
マタイでもイエスは特別だが、重要なのはイエス自身であると同時にイエスが伝えた掟であった
パウロの発想でも、重要なのはイエスの死によって人類の罪の代価が支払われた、ということ。イエスの死は神と人間の関係を回復したが、それで役割は終わりだと考える
しかしヨハネでは、イエスと同等に神と繋がるような事は誰にも出来ないと考えている
三・二〇 わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方を受け入れる。
イエスは、自分のことをブドウの木であり、人々はその枝であると言っていた
わたしにつながっていなければ実を結ぶことはできない
つまり、イエスだけが特別な地位にいると言うことを表明する文章である
では、誰が救われて、誰が救われないのか?
イエスを受け入れる者とそうでない者によって分けられる
ここで、ユダヤの律法主義者はイエスの存在を受け入れていないので、救われない、となる
だが、ヨハネの福音書でも、イエスを受け入れている状態は明確に定義されない
現実世界でどんな違いを出せばいいのか?が分からない
現代でも教えとして説かれる、「イエスキリストの復活を信じれば救われます」というのはこのヨハネによる福音書から影響されている側面が大きい
【40-10】キリスト教、西洋派遣の道へー聖書の権威の確立とローマ帝国という後ろ盾【キリスト教と新約聖書】