第39回 反哲学入門
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『反哲学入門』 木田元 | 新潮社
【39-1】日本には哲学がない? 〜反哲学が紐解く西洋思想の起源〜【反哲学入門】
著作についてざっくり
反哲学と言ってるけど、哲学史の流れを深く掘り下げながら話してくれている
対談形式で話した内容をテコ入れしているものなので、難解な表現とかがほとんどなくて、とても読みやすかった
哲学の初学者向けの本をある程度読んだりした人にはとてもおすすめの本かも
内容としては、そもそも日本人は哲学というものを理解する下地や文化が存在しない、哲学というものは西洋の文化形成の過程でしか生まれ得ないもの
そのことを哲学史を外観しながら説明して、特にニーチェ以前を哲学と呼び、ニーチェ以後は哲学ではなく、哲学を批判的に扱った反哲学であり、そちらの方が日本人とって馴染みが深いといえる
著者について
1928(昭和3)年生れ。山形県出身だが、新潟県新潟市生まれ。哲学者。
東北大学文学部哲学科卒。中央大学名誉教授。
専攻は西洋哲学史、現象学の研究。
マルティン・ハイデガー、エドムント・フッサール、モーリス・メルロ=ポンティなどの現代西洋哲学者の主要著作を分かりやすい日本語に翻訳したことで知られる。
主な著書に、『現象学』『反哲学史』『現代の哲学』『ハイデガーの思想』『メルロ=ポンティの思想』『闇屋になりそこねた哲学者』『ピアノを弾くニーチェ』『哲学は人生の役に立つのか』などがある。
木田さんの人生について軽く
どちらかというと事業をやったりなどの実務的能力を備えた人らしい
終戦直後の混乱の中で、母と姉二人を養うために闇市で生計を立てていた
完全に不良化する前に、父がシベリアから帰ってきた間ピッ発のところで救われた
父は日露戦争の直前に生まれていて、大正教養主義の洗礼を受けていた世代
ウェーバー、カント、ハイデガーなどを読んでいた
デカンショと言われていて、芥川の羅生門なども流行っていた時期
農林専門学校に入って、ドストエフスキーの小説を読んでから、だんだん哲学に興味が出てきた
その後、ハイデガーの存在と時間を読んで感銘を受けて、大学に入って哲学科を専攻してドイツ語でも読んでめちゃくちゃハマったらしい
カントの著作はハイデガーほど心躍るものではなかったけど、一応読めたので卒論で書こうとしたけど、書こうとすると分からなくて父に相談をしたみたら、1回で理解できるはずがないと、72回読んで理解できない人がいる、と言われたらしい
本の概要、あらすじ
哲学は、ある、とはどういことか、日本にはない
人生観とか世界観、道徳思想とか、宗教思想と関係はあるけど、それらと同じものではない
ありとしあらゆるものが何であり、どういうあり方をしているか、に関する考え方、そういう思考様式である
しかし、それは西洋には生まれたが日本にはなかった
そういう考えをするためには、自分たちが存在するものの全体のうちにいながら、その全体を見て判断する為に、特別な位置に立つことができないといけないから
つまり、存在するものの全体を自然と呼ぶと、超自然的な存在として自分を捉えないといけない
日本人は、自然の中に包まれて生きてきたと思っているので、そんな問いは立てられない
西洋の思考の不自然さ
そのような超自然原理は、存在するものの全体を、
イデアの模像として(プラトン)
純粋形相を目指して運動しつつあるものとして(アリストテレス)
神が創造したものとして(キリスト教神学)
理性によって認識されるものとして(デカルト、カント)
精神によって形成されるものとして(ヘーゲル)
捉えることになる
デカルトの理性であっても、神の出張所として人間に備わった完全なものとして捉えているわけで、その辺は日本人が一般的に利用してる「理性」の概念とは異なるものである
このように思考の大前提が違う
そうすると自然はそれらによって形を与えられる材料であり、物質になる
自然とは自ずから生きて生成していくものであるか、それを死せる静的な材料とみる
それは自然を限定して否定してみる反自然的、不自然な考え方と言える
古代ギリシャの初期は違かった
アナクシマンドロスや、ヘラクレイトスなどのいわゆるソクラテス以前の思想家たち、らは、そうは考えなかった
しかし、ソクラテス、プラトンが出てきてから変わった
プラトンがイデアを定義してからは、それが前提に
その後神学もふくめて、この超自然的原理を土台にして思想が形成されていくこととなる
それにニーチェは気づいていた、主要な研究テーマがギリシャ悲劇の成立史だったので
ニーチェは古代ギリシャの古い思想を復権しようとした
神は死んだ、というのも、広くは超自然的原理のことを指しており、それによって、万物を自ずから生成する自然と見ていたギリシャの古い思想を復権することで、ヨーロッパ文化の危機を打開しようとした
そういうニーチェの思想を、ハイデガーや、メルロ=ポンティ、デリダなどの20世紀の思想家は多少なりとも引き継ごうとしていた
そして、これを反哲学と呼ぶなら、それは日本人にも理解できる
【39-2】つくる・うむ・なる:存在を紐解く古代神話と自然の物語【反哲学入門】
存在を考える上での、つくる、うむ、なる、の3つの基本動詞
歴史の意識の古層(丸山眞男)では、世界中のどの民族にもある世界がどの硫黄にして今あるものになったか、といを説明する宇宙創世神話があり、それを整理すると、この3つに大別できる
つくる
世界と万物は神などの人格的創造者によって一定の目的で作られた
ユダヤ教やキリスト教などの世界創造神話がこれにあたる
うむ
神々の生殖行為によって生まれた
中国の盤古説話やその影響を受けている古事記のイザナギ・イザナミによる国海神話、古代ローマの創世神話など
これは、つくる、と、なる、の中間に位置する考え方
なる
世界に内在する神秘的な霊力の作用で具現化した
人格を持たない、人間社会の外にあるなんかkが期限とである、と考えるもの
朱子学派の儒教思想なども、なる、に分類されるもので、本居宣長の神話分析なども考慮すると、日本は、なる、という発想に支配されがちな国なのではないか
こう考えていくと、存在、という概念がだいぶ身近に感じられるようになるよね
古代ギリシャにおける、フユシス、自然という概念
ソクラテス以前の思想家たちは、一様に「自然について」という本を書いていた
フユシス、というギリシャ語が、natura というラテン語に翻訳されて、それが nature, Natur, nature といった英独仏の近代語の受け継がれている
そこには2つの意味があり、日本語でも全く同じ
1つは、自然というのを人間から離れた存在として、その対称にある概念と対で使われるケース
自然と人工、自然と歴史、自然と芸術、など
ラテン語やギリシャ語にも自然と技術(フユシスとテクネー)、自然と制度(フユシスとノモス)などの使われ方をしている
もう1つが、自ずからそうある、といった状態を表すようなケース
そう考える方が自然だよね、といった使い方
英語だと、nature of history, nature of society などの用法があり、それらは歴史の本性、社会の本性と訳される
これは存在者の一領域ではなくて、存在者の真の性格、性質を表していて、これがラテン語やギリシャ語にも同じ用法がある
そして、ソクラテス以前の思想家たちが、が書いた自然について、も、こういった真の存在とは何か?ということを考えようとした(ハイデガー)
そして、フユシス、という言葉が元々は、芽生える、花開く、生成する、といった意味の動詞であるフユエスタイから派生した言葉だということもある
つまり、彼らは全てのものの真なる性質というのは、生きて生成してきたと考えていた
なる、の論理に近い
【39-3】衆愚政治の中の哲学者 ― ソクラテスとアテナイの激動【反哲学入門】
ソクラテスが生きた古代ギリシャ時代
ペロポネソス戦争のおこり
ペロポネソス戦争前、ペルシアと戦っていて、そこに対抗するために、ポリスがデロス同盟を組んでおり、盟主をアテナイ、スパルタ、のどちらにするか、となっていた
スパルタはモンロー主義をとっていて孤立していたので、自然とアテナイになった
その頃、ほとんどのポリスが少数寡頭政で、その代表格がスパルタ、アテナイは直接民主制で特殊だった
しかし、アテナイにも奴隷はいて、女性には賛成権はない
しかし、いつ攻めてくるかわからないペルシャに備えるために、軍費を集め、それでパルテノン神殿を作ったりして、帝国ムーブをしちゃった
それが、どんどん民主制の強制や、裁判介入にまで発展
耐えかねたポリスがスパルタを頼るようになり、分裂し、bc 431-404の30年間にわたるペロポネソス戦争は突入
ソクラテスも3回従軍している
ソクラテスは想像とは違い、存在感がある醜男で、体力もあった。鎧をきた大男のアルキビアーデスをかついで退却したくらい
その後の戦争中のアテナイの衆愚政治
優秀な指導者によるペリクレス時代と呼ばれる黄金時代へ
しかし、ひどい衆愚政治
メロス島事件
メロス島の人々がスパルタ側についていたので、男性は皆殺し、女性と子供は奴隷に、という提案が可決。冷静になって考え直した時には遅く、大量虐殺
当時はデマゴーグが出てきて煽動すれば、多数がそこに靡くという政治だった
ソクラテスの弟子であるアルキビアーデスは、演説の力で対戦を仕掛けたり(弁論術を使って扇動して戦争を仕掛けたり)して、失敗しては敵国に逃げ込んで、を、アテナイ、スパルタ、ペルシアの間で繰り返していた
ヤバすぎて面白い
当時のアテナイは衆愚政治に嫌気がさして、何か変えなきゃと思ってる若者のほとんどはソクラテスの弟子であった
ソクラテスの罪と裁判
ソクラテスが告発された本当の理由
スパルタに負けてからは、戦後の日本がGHQに占領されてるのと同じ状態だった
しかし、戦争の罰をこれ以降互いに引きずらないことが明記されていた
三十人政権(トリアコンタ)、と呼ばれる半憲法制定委員会のようなものが作られ、そこに寡頭制を支持していて隣国に逃げていたものなどもいた
そこにソクラテスの昔の弟子もいて、過激になっていて、穏健派までもを厳しく断罪し始め、結果として三十人政権の乱というのが1年間起こり、それによって30年間よりも市民が死んだ
ソクラテスはトリアコンタに反対しており、やはり常に反体制であった
それもあって黒幕だと見なされて、若者たちを教育した罪として処刑された
謎めいた裁判
ソクラテスの罪
国家の認める神々を認めず、新しい鬼神、ダイモーン、の祭りを導入して、かつ青年に害悪を及ぼす
3つ
三人が告発者だが、そのうち2人は内乱がようやく落ち着いたのに未だに体勢批判をしていることをよく思わない民主派の政治家が裏で依頼をしていた
民衆はもちろん知っていた
また、互いに戦争責任を追求しない、となっていたので、アルキビアーデスや、その後のトリアコンタにいた弟子たちのことは、青年に害悪を及ぼす、となっていた
神々の話など大したことではない
民主派の政治家も殺すつもりはなかったはずだが、彼が全く持って逃げないし、全てに対して、非常に批判的であった
ソクラテスがしたこと
死刑になっても逃げることをせず信念を貫いた、生命よりも大事な思想があるということを人生を持って体現した
ただ彼は圧倒的な否定主義者であって、キルケゴールが言うように、否定のための否定をしていた、無限否定性としてのアイロニー
これによって、それまでの自然的な思考法を徹底して否定し、その後のプラトンやアリストテレスといった超自然的な思考法が作られる土台を作った
注意が必要なのは、ソクラテスであればそれらも否定したであろうことである
【39-4】イデアの逆転 ― プラトンが問いかけた世界の本質【反哲学入門】
プラトンが生み出した思想とその背景、これまでとの違い
プラトンはどんな思想を作ったのか?世界漫遊旅行をして、そこで形成された
ソクラテスの死後、対話辺を書きまくる、がこの時思想はない
エジプトや島など、いろんなところを旅して返ってきてから、アカデメイアを開く
ユダヤ人居住区にも行った説があり、この辺りで、一神教の概念に触れたことで、イデアなどの考えの基礎が作られたという説がある
つくる論理
プラトンの思想形成の背景
プラトンは旅の後に、イデアという考えができていて、かなりシステマティックに世界を捉える思考が構築されている
イデアとは、真に存在するものがなにか、というのを実世界空間と逆転させた
そして、イデアにある実際の真の世界に近づくことを目指して生きるのが正しいと
プラトンは、アテナイの現実政治に絶望し、それはなるがままに任せた、なる論理によって作られているからであり、ポリスとは一つの理想として、正義の理念を目指して作られるべきものだ、とした
新たな政治哲学を構想しようとした、それが国家
アリストテレスが少しプラトンの考えを中和させる
(フユシス、自然、と、ポイエーシス、制作)
ギリシャ本来の自然的思考では、制作も生成の1種だった 、自然の1変種として見なされていた
例えば、ヴィーナス像を大理石から彫刻で作るのは
大理石の塊のうちに潜んでいたものが、彫刻家の技術の力を借りて、余計な部部分を削ぎ落として立ち現れてうる、と解釈されていた
アリストテレスは、自然学の中で、
樫の木、自然によって存在するもの、と、ヴィーナス像、技術によって存在するもの、に関して、それぞれを生成の運動としてみなして、その運動の原因としての、自然と技術と、その運動体との関係性を分析した
樫の木は、原因である自然が中にあり
ヴィーナス像では、原因である技術が外にある
しかし、両方ともなるもの、としてみなしていた
プラトンの思考はその時のギリシャ人の感覚からしても離れていたため、そこに対してアリストテレスが折り合いをつけた、と言える
プラトンは、制作を自然に従属するものとは見なさず、制作に独自の権利を認めた
それを通り越して、制作が自然を規定している、とまでした
すると、自然とはもはや生きておのずから生成するものではなく、制作のための死せる質料(マーテリア)、無機質なもの、として見なされた
tanimutomo.icon 確かに、それがマテリアル、の語源か
【39-5】神の国とイデアの交錯 ― プラトンが紡いだカトリックの根源【反哲学入門】
アウグスティヌスが打ち立てたカトリックの正統教義はプラトンが源流となっている
プラトンの思想の受け継がれ方
プロティノスが古代オリエントやエジプトの神秘主義的思想のものとに、プラトンの内容を再編し、新プラトン主義を構築
アウグスティヌスの生涯
新プラトン主義を経由した形でプラトン哲学を下敷きにして、キリスト教最初の壮大な教義体系を作ったのが、アウグスティヌス
生涯自体は、「告白」に書かれている
北アフリカのカルタゴ出身で、いろんなところを移動している、途中から入信する
tanimutomo.icon この辺プラトンとか、ショーペンハウアーとかに似ている
若い頃に子供を作ったりしていて、禁欲できなかった過去のエピソードなどを赤裸々に書いている。そういうところが民衆からも受け入れられたきっかけになったと言われている。自分でも救済される可能性があるのかも、という希望を持てるという意味で。
「神の国」を貫くプラトン主義
後に執筆した大著、神の国、これがローマ・カトリックの正統教義として認められることになる
プラトン哲学をどう利用したか
二世界説、イデアと現実
新プラトン主義経由で学んだので、神の国と地の国という区別として受け継いだ
そして、そのイデアの代わりに、キリスト教的な人格神を超自然的原理として打ち立てる
イデアは神の理性に内在している概念であると
悪の存在に対する解釈にも利用している(こっちの方が有名かも)
神は悪は作ってない、神は人間に自由意志を与えた、そこに善の不在としての悪ができてしまった。(原罪)
この人間が不完全な善であるという思想はプラトンから
プラトン-アウグスティヌス主義的教義体系が作られる
神の国と、地の国、という大別から、
ローマ教会と皇帝の支配する世俗国家
信仰と知識
精神と肉体
これがのちにローマ帝国によって国教に採用される際の教義となり、民衆に広がっていくことになる
ニーチェは、キリスト教は民衆のためのプラトン主義に他ならない、と言っている
tanimutomo.icon キリスト教がベースになっていた当時に、民衆がイデアなどの概念を受け入れやすい形で説明したと言える
【39-6】知の転換期 ― アリストテレスとトマスが紡ぐ中世教義の真実【反哲学入門】
その後のトマスアクイナスが打ち立てたキリスト教の教義体系は、アリストテレス哲学が下敷きになっている
古代の終わりと哲学
その後ゲルマン民族による侵略等によって、古代と中世を分つことになる
地中海世界を舞台に展開された古代ギリシャ、ローマ文化が西方世界から姿を消して、ヨーロッパに舞台が映ることになる
多分それもビザンツ帝国の方かな、東ヨーロッパの、そこで中世キリスト教文化が花開く
担い手はゲルマン民族だが、最初のほうはこ納めているのは教会だった
教会が世俗政治に介入しすぎて、教会や聖職者の腐敗が叫ばれるようになる
それに伴って、それに都合の良い新しい教義体系が必要となる
これで登場するのが、13世紀のアリストテレス-トマス主義的教義体系
イスラム圏で研究されたアリストテレス
ギリシャ哲学研究者たちは、哲学禁止令によってローマを離れて、アラビアに逃れて遺産を守り研究を続けることになる
アリストテレス哲学は、イスラム教議の基礎づけに使われることになる
研究が盛んだったのは、コルドバ大学
そして、11世紀末に始まった十字軍運動によって、ヨーロッパとイスラム圏の交流が始まり、それによってアリストテレス哲学が、コルドバからイタリアに、そして、その後ラテン語に訳されて、キリスト教の教義の再編に使われる
ルネサンス
トマスアクイナスとスコラ哲学
スコラとは、修道院附属の学校のこと
ここで再編成の仕事を担っていたから、スコラ哲学と呼ばれている
大成者がトマス
アリストテレス哲学を下敷きにして、プラトン-アウグスティヌス主義に変わる新しい教義体系を組織することになる
アリストテレス登場による神学の混乱と、それを静めたトマスアクイナス
アウグスティヌス以後13世紀までは、プラトンが最高権威とみなされていたし、基本的には哲学といったものは異端とされていた。
12世紀と13世紀にアリストテレスが知られるようになって、徐々に変わっていった。アリストテレス哲学が完璧だが、キリスト教の教義だったり世界解釈と矛盾する点があったので、どちらが正しいのかという話になってきた
それに対して、原因追及という手法で哲学に迫った先に根源的に説明できない箇所があり、それこそが神学であり神の領域であるとして、神学を明確に哲学の上位のレイヤーとして位置付けて、神学の勝利を勝ち取ったのがトマスアクイナス
アリストテレス-トマス主義によるキリスト教教義体系
アリストテレスの思想は、プラトンのイデア論を批判して修正しようとするもの
プラトンはイデア界を現実界と明確に区別して扱い、イデアは超自然的であり現実世界からは想像できないものとして捉えていた
しかし、アリストテレスは、形相(世界に形を持って存在しているもの)を、質料という素材のようなものの存在のうちに備わった可能性が現実になったものとして考えていた
つまり、プラトンでいうところのイデアに当たる「純粋形相」(全ての可能性を具現化した存在)も、現実世界と連続的に存在するものとして考えていた
つまり、アリストテレスの世界を二分せず、ある種連続的に扱う思想をベースとすれば、教会が世俗の国家に対して介入することに対して、ある種の必然性を付与できる、連続的につながっているのだから。
力を少しずつつけつつあった国民国家という概念との対立に対しても有効に働かせられると考えた
まあ、介入した結果として、さらに腐敗することとなる
そして、その後に時代背景からプラトン側へのよりもどしが起こる
14世紀あたりから、再びローマ・カトリック教会に世俗政治から手を引かせて浄化をするために、より戻しが起こったりする
一方で、15世紀のルネサンス時代には、メディチ家の後援の元、プラトンアカデミーなどでプラトン-アウグスティヌス主義復興運動は進められていた
そして、のちに16世紀のルターやカルバンの宗教改革運動にまでつながっていく
教会や信仰を浄化するための改革運動は、近代国民国家の建設を図る政治勢力によって推進されていたナショナリズム運動との利害の一致もあって、成功を収めることになる
これらはキリスト教の教義の中の話であるが、その中でもプラトンとアリストテレスの覇権は交替を繰り返していた
【39-7】普遍数学と世界幾何学 ― デカルトが挑んだ理性と自我の革新【反哲学入門】
デカルトによる近代的自我の確立?
デカルトの普遍数学の構想
マテーシス ウニヴェルサーリス
普遍数学
マテーシス、は後の数学
マテーシスは、ピタゴラス教団によって、学ぶべきもの、ときて定義されたもの
算術、幾何学、天文学、音楽
全て数学
天文は天体の動きが整数比
音楽は和音をなす弦の長さが整数比
目や耳で数学をする、と考えられていた
我思う故に我あり、の我とは?
一つの実体であり、その本質は考えるということだけにあって、物質的なものには依存しないもの、と考えていた
方法的懐疑、で、全てのものを疑う中で、疑っている自分だけは疑うことができない、ということを発見したことからも、その疑っている自分というのは肉体的ではなくて、そこから切り離された思考としての概念であることがわかる
デカルトの哲学原理における実体とは、存在するために他のいかなるものをも必要とせずに存在するもの
省察の中で、人間の精神の体からの区別を論証する、といってる
身体かなくても精神はそれだけで存在しうる
精神、つまり理性は神の創造した実体であり、いわば神の理性の出張所のようなもの、として捉えていた
果たしてこれで、近代的自我を獲得できたと本当に言えるのか?
近代的自我といっても神によって与えられている支店的概念としての私であった、神から独立してはない
神の存在証明に関わる生得観念
方法については言及しないが、狙いは生得観念の客観的妥当性を確保すること
この生得観念というのが今後の哲学の大きな議題の一つとなっていく
私たちの持つ観念
外来観念
感覚的経験を通して外から得られる、経験的事実など
作為観念
外来をもとに私たちが作り上げたもの
ペガサスなど
生得観念
数学的諸観念や、神の観念など、感覚的経験では得られないのに、全ての精神に備わってるもの
物体の存在証明からの、数学と自然研究の結びつきの必然性
神の存在と誠実さが証明された後では、私の精神が明晰判明な観念を持ちうる限りでの物体の存在は信じて良い
人格的な神がいて、その神が生得観念として、私に理性を与えてくれているのであれば、その理性で認識した物体の存在は信じて良い
しかし物体の認識というのは非常に物理的なものとして、である
認識するというても、精神は体から切り離されてるので、当然物理的な刺激を受ける感覚器官などはない
つまり、精神が洞察しうるのは、空間的拡がりに還元された物体とその位置の変化としての運動、その範囲内での物体の存在が証明された、ということ
そこには、数学的に処理できないような生命だの質といったものは含まれてない
tanimutomo.icon つまり、自分を原点として取った時のデカルト座標上での点としての認識というイメージなのかな
だからこそ彼の自然観は世界幾何学と言われる
tanimutomo.icon これらも彼の中の 普遍数学 の概念がベースになっていると思われる
超自然的思考様式の近代的更新
デカルトは、理性に生得的な数学的所観念と、経験的な自然研究の成果との結びつきを、普遍的かつ必然なものとして証明した
プラトン以来の超自然的思考様式を、近代的に更新した
つまりデカルトの元では、人間理性が明確に認識できるものだけが真に存在すると認められるとした
プラトンのイデア、アリストテレスの純粋形相、キリストの人格神ではなく、人間理性にその判断ができると
ここから神的理性に全般的退陣してもらうためには、カントが必要になる
【39-8】啓蒙の誕生 ― カントが切り拓く新たな理性の地平【反哲学入門】
古典的理性主義から啓蒙的理性主義へ
17世紀は3つの理性が調和しつつ統一を保っていた、調和の時代
神的理性の神学
世界の理性法則の科学
人間理性の哲学
それは全て、神的理性の後見のもとに成立していた、というのが古典理性主義
18世紀にはいると変わって啓蒙の時代に
神的理性の後見を脱した啓蒙的、批判的理性
カントの啓蒙の定義
人間が自らまねいた未成年状態を抜け出すことである。未成年とは、他人の指導がなければ理性を使うことのできない状態である。(神のこと)
啓蒙運動
ベーコン、ニュートン、ロックらイギリスの知識人から始まる
ヴォルテール、ディドロに代表される無神論的、唯物論的なフランス思想家のもとで批判する理性に転じる
神的理性の後見を脱すると大変なのが、人間理性と世界の合理的存在構造との一致が成り立つロジックがなくなること
つまり、人間が理性で考えた世界はこうなっている、という説明に対して、実際に世界がそうなっているということが証明できなくなる(神の理性の後見があれば、世界を作ったのも神なので、その説明は不要だった)
イギリス経験論の哲学
理性主義的な哲学は、それゆえ行き詰まった、独断論と言われた
そこに対する反省から、ロックに始まり、バークリー、ヒュームと受け継がれるイギリスの啓蒙思想では、生得観念やそれを使った理性的認識を否定
我々の認識は全て感覚的経験に基づく、と主張
数学や物理学も否定、生得観念に数学的な論理学の話も入っていたので
カントが統合を図る
しかしそれは行き過ぎだろうということで、神的理性なしにもある範囲内で我々の理性的認識と世界の合理的存在構造が一致する、と主張しようとしたのがカント
それを純粋な理性的認識の有効範囲を、自己批判によって明らかにした
それが名著 純粋理性批判
ドイツの詩人であるハインリッヒハイネは、革命家・政治家のロベスピエールは国王の首を切り落としたが、平穏に生活していたカントは神の首を切り落とした、と言ってる
【39-9】カントの疑念 ― 直感と理性が導くコペルニクス的転回【反哲学入門】
カントの疑念
直感の疑念
理性だからといって、神学や形而上学上の主張まで認める必要はないが、同じように数学や理論物理学の普遍性や客観的妥当性まで否定するのはおかしい
なにか、そこの有効に働く範囲があるはずだ
可能性はあるはず
もし世界が我々の理性とは完全に独立してたら、それは捉えられないだろう
しかし、それが我々の理性の作った世界だったらあり得るだろう
人間の理性が神のように世界を作ったというわけではないし、神と同じ理性でもない(あくまで借り物)
人間の認識する世界を前提に考えると、世界を捉えられるのでは
しかし、人間の有限の理性には、目の鱗を通して制限付きで世界が現れてくるはず
そして、その制限がついた部分は我々の理性に合わせた部分とみれる
つまり、もの自体を認識する能力は我々にはないが、制限がかけられた中で立ち現れる現象としての世界を認識する能力はあるだろう、それが人間の世界なのだから
そこでは人間の理性は働くはずであり、その形式的構造に関しては、いちいち経験しなくても理性によって、アプリオリに知ることができても不思議ではない
そして、現象界とは、自然界に他ならない
ゆえに、自然界の形式的構造における創始者と言える
その限られた範囲においては、神的理性の後見がなくても、自然界に何が存在するか、を判断できる
つまり、超自然的原理たりうる
超越論的主観性ともよふ
哲学史における コペルニクス的転回 が起こった
これまで
我々の認識は対象に依存している
その対象は何かしら人間には簡単に捉えられない世界の模造である
カント
対象が我々の認識に依存してる
現象世界の中で捉えられる対象ね
カントの考えていた人間の理性に共通した形式的構造
受け入れ、直感の能力としての感性
空間と時間という二重の形式
受け容れた材料は必ず時間と空間の一点にあるものとして感じられる
思考の能力としての知性、悟性
量、質、関係、様相の4種類ごとに3つある、計12の思考のカテゴリー、純粋悟性概念
詳しくは話さない
この後重要にあるので一応
【39-10】カントからヘーゲルへ ― 大学教授化する哲学と絶対精神への進化【反哲学入門】
カント前後から哲学者に大学教授が増えた
カント以前は、在野の知識人、政治家、外交官、僧侶など
一般読者を対象に書いていた
当時の大学のポストが、中世依頼のスコラ哲学者で占められていたため
カント前後から増えてくると、学生相手に普段話すようになるので、難しい用語や文体になっていく
カントからヘーゲルへ
ドイツ観念論の哲学
フィヒテ、シェリング、ヘーゲルなど
プラトン、アリストテレスの時代と並ぶ黄金時代と言われる
大体、カントの純粋理性批判が刊行された1781年から、ヘーゲルぼつの1831年の半世紀くらい
彼らの使命
神的理性の後見を退けた上で、有限性をぶち破って、無条件な絶対精神に高まっていこうとする
人間理性の有限性
現象界と物自体界
理論理性と実践理性
の二元論、二項対立になっていた
それらを一元化しようとする試み
ヘーゲルの人生と生きた時代背景
思いっきりフランス革命の時代で、隣国であるドイツの哲学者たちも大きく影響を受け、一喜一憂しながら過ごしていた
シェリング、ヘルダーリンと仲良くしていたが、最年少のシェリングが、ゲーテやフィヒテに見出されて、イェーナ大学の助教に
その後ヘーゲルも呼ばれて講師をやり始め、シェリングが離れた後に自由にやり始めて、1807年に精神現象学を発表
この裏でショーペンハウアーが講義をして対抗して、誰も集まってない。
31年にコレラで死ぬ
ヘーゲルがカントの哲学をどう発展させようとしたか
カントの12個の悟性のカテゴリは、もともと懐疑的な見解が多かった
形式論理学から取られたのはわかるが、固定していいのか、その12個なのはなぜか、など納得が薄かった
もし悟性概念が多ければ、物自体にゆらいする材料は少なくていいし、無限に多ければ物自体の存在を認める必要すらなくなる
だから、もっと弾力的に考えても良いのでは、精神が新たなカテゴリを発動させたり、自己増殖しても良いのでは、と考えていた
そうすれば、人間精神が絶対的な意味で世界の創造者になりうると
こういう流れで考えが進んでいく
【39-11】カントの限界と超越への道 ― ヘーゲルが拓く精神の進化【反哲学入門】
カントの限界
物自体の不可知性が存在し、人間は人間が作り出した現象界の範囲で理性を正当に発揮できる
形而上の概念は、道徳的要請(実践理性)としてしか肯定できない、つまり無条件に正しさを認めることはできない
カントを乗り越える契機をどこに見出したか
12個の悟性の概念
その悟性が固定的であることと、その根底として、カントの分析が静的な構造として世界を捉えていること
ヘーゲルの発想に影響を与えた世界史
やはりフランス革命によって、啓蒙思想を中心とする人々の思想が、結果として世界史に影響を与えて、新しい社会が作られていく、という姿に影響を受けないわけはなかった
そうしてカントとは違う形で人間を捉える
それは、いってしまえば、カントよりも空間的にも時間的にも広く捉えている
ヘーゲルは、人間を世界との相互作用の中に、かつ、それらが歴史的に発展していくものとして動的に捉えた
どういう構想をしていたか
(文明の初期状態)最初においては、確かに人間にとって物自体の世界は不可知であり、形而上学的な概念についても人間が正しく捉えられることはないだろう、としている
しかし、人間理性に始まりを見るような精神が(ここでいう精神は人間のものではなくて、世界における精神)が、時間と共にさまざまな矛盾や対立を乗り越えていくことで、成長・発展していく中で、人間やこの世界に対しての理解を深めていくし、コントロール可能なものとなっていく
それは自然についてもそうだし、社会制度においてもそうだし、この世界の法則といったものにも当てはまっていくことになる
その結果として、物自体の世界に対しても、形而上学的な概念についても人間は正しく捉えることができるようになる
フランス革命の波がドイツに押し寄せてきた時に、ドイツは民族の歴史的生成過程を重要視するようになる
ドイツにはドイツなりのこれまでの歴史があるわけで、フランスと同じやり方を強要しに侵攻してくるな、という反発がドイツ内に起きていた
そこから発想された人類の精神、個人としての精神を超えて民族として、人類としての共通した発展を遂げる精神を持っているのではなかろうか?
主観の側も、個人の意識から、歴史的世界を形成する民族の精神へ
さらに、それら民族の精神を時々で媒介にしながら、世界史全体を形成していく人類の精神へ
この流れで行くと、主観としての人類の精神が、活動のあらゆるカテゴリー(悟性)を発達・発動して、歴史的世界を全面的に創造する、という流れが考えられなくはない
tanimutomo.icon 悟性のカテゴリが無限である場合、物自体の材料の情報は不要になるよね、という話
精神の発展こそが、精神の存在である
精神の精神たる所以は、己自身を知っていること、つまり自己意識ないし、自覚があること
生まれたばかりの精神もそうではあるが、まだ未熟であり、可能体としての精神
その眠っている精神が目覚め、可能的な自己意識を現実化していくところに精神の本領がある
その意味で、精神の存在とは、精神が精神になっていく生成の運動である
tanimutomo.icon 各個人を含む社会全体がどれだけ理性で正しく判断して行動できるか、の度合い、でありそのプロセスそのもの。成熟するほどその範囲が広がっていくというイメージ。最初は自分のことから、次に社会の制度など、最後に行き方の宗教や哲学まで。
【39-12】ヘーゲルが労働にみた世界精神の発展 ― 弁証法で拓く絶対精神への道【反哲学入門】
精神が自己を知るための外化としての労働
自分を知るということをできないとその先に発展はないですよね
自己を知ろうと思うなら、外的世界に働きかけて、そこに映し出される自分を見るしかない
詩人になろうとしたら、詩を実際に書いて見るしかない
これが外化、自分の内面、考えを、実際に世界に表現する
このことを労働、アルバイト、という概念を持ち出して説明する
カントの実践という概念は自己の内側で完結してしまうものになっていて、外界との相互作用の概念がないので、あえて区別している
アダムスミスにこの時期ハマっていたので、労働、と表現しているが、経済的にドイツは遅れをとっており、実際の経済的活動としての労働は見たことがなかった
そのため、社会哲学的な概念として使っている
労働を通じた自己実現、が外化によって自己を見つめることであり、精神の発展に必要なプロセスと捉えた
労働の主体が、対象にのうちに自己を外化することで、ジャングルが麦畑に変わる
未開拓のジャングルを麦畑にする労働を考える
木をちゃんと分析して、その切り方をを覚えて、そのための道具を開発したりする
季節ごとにどういう挙動をするか、を理解して、収穫のタイミングでは、疲れていても、時期があるので頑張って作業する
実際に、こうやって強い意志を持って外界の自然と向き合って、それを自分たちの支配下に収めていくのが労働である
そして、主体がそこに自分の分身を認めることで初めて、主体は自分の中にあった可能性の一部を現実化する
tanimutomo.icon つまり、自分が対象をちゃんと理解している、という感覚、と捉えて良いのかな
それによって自分の能力を自覚することになる
対象のうちに自分自身を認められるとアットホームに感じ、自由を味わえる
tanimutomo.icon 世界をちゃんと理解し操作できている、という感覚になるので、そこに存在していることに対する安心感が生まれる、といってもいいのかな。ただ自分自身も変わっているというのが重要。
しかし、それは一回では飽き足らない
精神も成長するので、労働で自己を外化した対象と、自分との間に新たな矛盾が生じて、それをまた解消するために、より高次の労働をすることになる
このプロセスは自然に対してもそうだし、人間が生み出した社会に対しても同じように、労働を通して自己を外化することで、対象を理解し、自己を反映してかえていくことで、生きやすい社会になっていく
最終的にそれが芸術、宗教、そして哲学の領域でそれが行われることによって、概念としてこの世界を理性的に捉えるところまで精神の発展を遂げる形になるので、この状態を絶対精神として捉えている
この外化を通して精神を発展させていく過程のことを弁証法と呼んでいる
最終的に、外界全てが自己の投影になり、自分自身になるようになる、完全なアットホームが実現される。それによって精神は絶対の自由を獲得することがで、それが絶対精神と呼ばれるものである。
どの意味で、自然だけではなくて、社会をも人間の理性に従う形に変えていこうとする、意志の表れであるフランス革命は、まさしく最終到達点であり、歴史の終焉と言える。
【39-13】理性主義の完成が技術文明を生み出した。ヘーゲル哲学により完成を見る理性主義的哲学のその後【反哲学入門】
超自然的思考様式の完成
人間理性
カント哲学によって、自然の科学的認識と技術的支配の可能性を約束される
ヘーゲル哲学によって、社会の合理的形成の可能性を保障される
これが神的理性の後見なしに可能になった
tanimutomo.icon つまり、形而上学的な概念については理性によって保証できないとしていたカントの限界を打ち破って、それに関しても人間が世界に内包される形で、世界の精神として弁証法的に発展していくことで最終的な一致を見る。
よって、自然的および社会的世界に対する超越論的主観としての位置を手に入れる
加えて、カントの時点では現象界に限られていたのも、弁証法的に生成していくことによって世界全体に対しても適用可能となった
tanimutomo.icon 世界と関わりながら、異質な力を受けながらも、自分の分身を増やしていくことによって、新しい見方を獲得して、捉えられる世界というのを徐々に広げていける、それによってもの自体の世界に対しても理解をできるようになるといってるのか?
ヘーゲルに、理性主義の最終的完成を見る
法哲学講義の序文
理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である
解説
理性の認識しうるものだけが現実に存在する権利を持つ
つまり、現実に存在するすべてのものは理性的に認識可能で、合理的に改造されうる
ヘーゲルによる近代哲学の完成は、超自然的思考様式の完成を意味する
プラトンの時代から取って代わられてきた原理に対して、人間理性を適用できるようになった
20世紀を代表するドイツの哲学者、ハイデガーの考え、技術はこの思想を土台に生まれた
ヘーゲルによって理論化された超自然的思考様式、つまり形而上学、は、以後は技術として猛威を振るうことになる、と言っている
ヘーゲルがなくなる時代になると、イギリスで始まった産業革命がヨーロッパ全土に広まっていく
こうした技術文明というのは勝手に出てきたわけではない
もちろん近代自然科学を基礎にして生まれている
その科学というのも、物質的、機械論的な自然観を基礎にして成立しえたものである
自然を死せる物質としてみる自然観自体が、超自然的思考様式によって成立した
蘇る生きた「自然」の概念
フランス革命後の世界
自由と平等に基づく、格差なき理想郷が到来したかと言われると、そうではない
むしろ、社会的不平等がますことになり、人間を非人間化していくような資本的経済体制の担い手であるブルジョワジーが政治の主導権を握るようになった
マルクスやエンゲルスのより少し上の世代の人たちは、繰り返し反体制運動を起こしていた、現実が理性的であるなどあり得ないと
ヘーゲル哲学批判
その当時はそれゆえたくさんあった
しかし、近代理性主義の総体に対する批判のような本格的なものもあった
それが、後期のシェリングや、若き日のマルクス
彼らは、ともに生きた根源的自然の概念を批判の拠点とした
彼らよりさらに増して、西洋という文化形成の総体の批判まで広げたのがニーチェ
ヘーゲルについて直接言及してはないが、ヘーゲルを最大の論敵にしていたショーペンハウアーの強い影響を受けている
【39-14】ニーチェはプラトンからヘーゲルまでの近代理性主義哲学を全否定した。古代ギリシャ文化の復活によりニヒリズムを乗り越える。【反哲学入門】
(これまでの哲学における批判的な態度の歴史的流れ)
ニーチェが哲学批判をしていた時代には、様々な学問分野でも同様のことが起きていた
マルクスの経済学批判
エルンストマッハの物理学における古典力学批判
ここでもダーウィニズムによって動物の進化の原理、という形で、自然の神秘、より長い人間の歴史を認識したことが、これまでの学問や思想の前提を退けるきっかけになった
より鮮明だったのは、1851年に初めてロンドンで開催された万国博覧会
ドストエフスキーも、真昼の太陽が全てを照らし出す技術文明においては、芸術は危機に瀕する、といっている
ニーチェやマッハもこのような危機感から出発している
(ニーチェ自身はどういうことを考えていたのか)
ニーチェの思想と悲劇
最初の研究テーマは悲劇、ギリシャにおける悲劇の誕生とその形式
ディオニュソス的なもと、アポロン的なもの、の二つで成立した
ディオニュソス的なもの
原始的な生命力や情熱、境界を超える没入感であり、かなり衝動的な本能という感じ
アポロン的なもの秩序
明晰さや調和、形態の美しさであり、整然と存在する理想世界
対極的な性質を持つ2つが、互いに補完し合うことで、原始的な力と秩序が融合することで、ただの混沌や、冷徹な理性を超えた、深い芸術的体験と生命の真実が表現される
これは遡ると以下からのインスパイアになる
ショーペンハウアーの意志と表象としての世界における
意志としての世界
表象としての世界
ショーペンハウアーとカント哲学をドイツ観念論とは違う形で捉えようとしたもので
物自体の世界
現象界
カントはライプニッツの単子、モナド
意欲、アペテイトウス
表象、ペルケプテイオ
ハイデガーはこの系譜を、ドイツ形而上学の系譜と読んだ
意欲、意志の方が、表象、認識の能力よりも根源的である
シェリングやヘーゲルらドイツ観念論者も、意志を重視してるという点ではここにはいる
ここでいう意志とは、生命衝動のようなもので、方向性のわからないもの、理性で操作できない対象
ニーチェの古代ギリシャ文化の解釈
これまでは、アポロン的なもの代表されるオリュンポスの神々や、神殿や彫刻など、がメインだと考えられていた
しかし、ニーチェはその裏とちうか精神の根底に、ペシミスティック、ディオニュソス的なもの潜んでふと主張
実際にそういう祭典が夜中にあったりして、公にはならないが、そこでは原始的な衝動に突き動かされる
この二つの原理が見事な均衡を保つことで、ギリシャのアッチカ悲劇、文化が最高の完成に達した
しかし、当時の学会の考えと異なっていてたので、半年後に追放され、その後大学も辞めざるを得なくなり、在野の哲学者になった
(ソクラテス以前の思想家たちとのつながり)
生きた自然の概念
ニーチェは、ソクラテス以前の思想家たちも研究していた
フユシス、自然について、をみんな書いてた
これは、タパンタ、万物と同義で、本性や真の在り方をさしてる
この本性や、真のあり方と、ディオニュソス的なものをかなさねようとした
新しいレーベン、生の概念の捉え直し
力への意志とは、力への力であり、意志への意志
政治権力だとわかりやすいが、現状に甘んじた瞬間に衰退する
だからこそ、無限に求める構造に、生の本質的構造をとらえた
それが力への意志という概念
【39-15】力への意志。ニーチェが試みた2000年間続いたニヒリズムの歴史を乗り越える価値の転倒。【反哲学入門】
(力への意志、で起こしたかった革命)
力への意志
副題
すべての価値の転倒の試み
章
ヨーロッパのニヒリズム
最高価値の批判
新たな価値定立の原理
訓育と育成
ヨーロッパのニヒリズム
心理状態としてのニヒリズム
すべてのものが無価値無意味になる
この病因
超自然的な原理が、すべてのものに価値を与えていたはずなのに、その原理が価値を失ってしまった
神は死んだ、というのは宗教的な信仰の喪失もあるが、プラトンから始める超自然原理の喪失でもある
しかし、それらは人間が目安として設定した想像上の産物にすぎない、それが実在すると思って信じて、文化形成をしてきた
元凶はプラトン
プラトン以後のヨーロッパの哲学、宗教、道徳は、実在しない超自然原理に基づく価値の維持に努めてきた
だからこそプラトニズム
つまり、ニヒリズムはプラトン以来すでに始まっていて、ヨーロッパの文化形成を規定してきた歴史的運動と読みとける
以後どうするべきか
このニヒリズムを徹底する以外に道はない
これまでの価値感が意味なかったことを積極的に認めて否定していくしかない
つまり、このニヒリズムは歴史だけでなく、これからのヨーロッパの未来すらも規定している
その歴史的に続いてきた、これからも続く運動をヨーロッパのニヒリズムとよぶ
新しい価値定立
この世界が存続する為には、まったく新たな価値体系が必要
それは、今まで評価されてなかったものを評価するといったような同列のものではない
価値という概念そのものの再定義が必要
これが、第三巻の課題であり、主題
何を頼るか
もはや感性的世界、つまり自然しか残ってない
それは、つまり生きた自然ともいうべき、世界の根本であるレーベン、生に求めるしかない
これを力への意志と呼ぶ
新たな価値とは何か
価値とは決して絶対的なものではない
レーベンが自分の現段階を見積もり、そこから下落しないようにするための目安であり、高揚していく先を見積もるための目安
つまり、現状把握とその先を理解するための目安
レーベンは現にあるよりより大きく強くなろうとする、しかし一気にではなくて、現段階にとどまった上で、その次に上にまた上がろうとするという生成と持続が入り組んだ複雑や機構を有している
このようなレーベンの中における一つの機能として、価値があるだけ
tanimutomo.icon これはつまり、価値やこれまで考えられてきた真理などは主観の側に存在するものであって、絶対的な客観性は存在しない、ととることもできるのでは?
つまりあってるね。真理というのも我々の感覚的経験と独立して即自的に存在するものではなくて、あくまでレーベンが現段階を確保して自分を安定させる為の目安に過ぎない
tanimutomo.icon これは卑近な例でも共感できる
ニーチェはこう言ってる
われわれは、真の世界は転変し生成する世界ではなく、存在する世界であるということ捏造してしまったのである。
tanimutomo.icon ヘーゲルみもある
ニーチェはこう言ってる
真理とは、それがなくてはある種の生物が生きていけないような一種の誤謬である
tanimutomo.icon これ好き
つまり、認識も、レーベンの本質的機能に属するものでしかない
それを明らかにするのが、ニヒリズムの克服に必要
【39-16】ハイデガーは、存在と時間で何を書き、何が書けなかったのか。転職マスター : ハイデガーの生涯。【反哲学入門】
ハイデガーとナチズム
ハイデガーは、ユダヤ人差別政策の同調者ではない
周囲はユダヤ人だらけだった
ただ、周りにいたのは同化ユダヤ人
完全にドイツ社会に同化していてユダヤ人としての自覚を持たない
東欧から差別されてドイツに逃げ込んできた東方ユダヤ人とは全く違う人種だった
反ユダヤ主義の必然性
第一次世界大戦後、ドイツはインフレと不況に苦しんでいた
ロスチャイルドをはじめとする同化ユダヤ人は欧米の様々な国に資本を分散させて、金融や貿易を牛耳っていた
一方で、東方から難民がどんどんくる
そうして民衆の怨嗟の声が高まっていく
巨大な資本への反感が民族で分かれたから加速した
ハイデガーのキャリア
フライブルク大学の哲学科を出ていて、その後フライブルク大学の神学部のカトリック哲学担当のポストが開いたが、落ちた
その後プロテスタント圏の大学から中世哲学、現象学の担当でオファーが来来たので、意図的にカトリック側の関係者と縁を切りはじめる
そういうやつらしい
どちらにせよ神学への興味が強かった
アリストテレスの現象学的解釈
トマスアクィナスをはじめとするスコラ哲学の解釈ではなくて、直にアリストテレスを読むやり方、らしい
ナトルプ報告の内容
存在と時間の下書き
移ってからは、ヨハネの福音書を読んで、プロテスタント側で聖書の再解釈などをするが、結局フライブルクの方でフッサールの後任として推薦されるとなると、また距離を置いわ批判するようになる
ただ、流石に、宗派の往復はまずいか、ということで、神学から形而上学へ鞍替えする
そして書かれたのが存在と時間
1928年にフッサールの後任としてフライブルク大学の主任教授として凱旋
彼の転身が世界を動かすにいたる
存在と時間、で語られていたこと。存在の分析方法と
存在と時間は存在一般についての分析
人間を主題にした実存主義的な思想ではない
出版直後から、ねらいは、存在論の根本問題、つまり、存在一般の意味の究明、にあるとしてる
人間存在、現存在、の存在構造の分析はそのための準備作業だと
結局、準備作業の上巻のみしか出されなかったわけだが
現存在の分析による準備とは
存在了解の解釈
存在する、ということを、作られてある、とするか、なりいでてある、とするか
この解釈と現存在の分析の関係
現存在の存在了解は、勝手に決められることではない
自分か存在の時間的構造をどう組み上げるか、つまり流れに身を任せて生きるか、積極的に立ち向かっていくような生き方をするか、ということに密接に関連してる
tanimutomo.icon つまり、任せるなら作られてるし、立ち向かうなら成り出でるということだろう
ということは、時間と存在は密接に結びついている
こう考えると、準備作業であり、かつ空は失敗したということになる
思想と現実の革命、ナチスとの関係
存在了解の解釈と現実の関係
この存在了解の解釈の転換は、思想上の話ではなく、現実に人間がどう時間と関わるか、平たく言えば生き方と密接に関わるということになる
しかし、1人2人が生きかたを変えるだけでは、文化形成の基軸となったる存在概念の転換が起こることはない
ただ、それが世界史を領導するような一つの民族がやるとなると話は違う
ナチスの文化革命にそうした希望を一時的にでもみていたのかもしれない
しかしナチスでも途中から邪魔者扱いに
政権獲得までは突撃隊が活躍していて、そこのイデオロギーにハイデガーも加担していた
しかし、政権獲得後は、巨大資本や国防軍とうまくやらないといけないので、突撃隊は邪魔になる
そうして、ナチス革命は終わったと考える、ゲッベルスや親衛隊を率いるヒムラーに肩入れして、下からの革命、第二革命をといて、突撃隊の排除にかかる
長いナイフの夜、と呼ばれる1934年に突撃隊の幹部が惨殺されることで幕を閉じる
その後、ハイデガーも内部の権力闘争て敗れて総長職を辞任する
【39-17】現代の科学文明は古代ギリシャから通ずる哲学からしか生まれなかった?そして哲学はどう生まれたか?【反哲学入門】
哲学とは西洋のものでしかない
それはなんであるか 哲学とは?、という講義を1955年のフランス ノルマンディで行った
西洋のみが哲学的
フィロソフィア、哲学とはギリシャにしか生まれなかった
ギリシャ精神のあり方そのものでもあり、その特殊な知のあり方を受け継いだ、西洋、ヨーロッパだけが歴史の内奥の歩みにおいて根源的である
そのため、西洋哲学、や、ヨーロッパ哲学というのは同語反復でしかない
諸科学がこの歴史の歩みから発展したことからも明らか
近代科学技術の成立も、この哲学という特殊な知を形成原理にしてきたヨーロッパ文化の必然的な帰結だと
ただ、これは優劣の話をしているわけではなくて、特性としての話をしているに過ぎない
2000年続いてきた哲学のあゆみ
ソクラテス以前の哲学者たち
ソクラテス以前の思想家たちは、哲学者ではなく、叡智を愛する人、アネール・フィロソフォス、であった
ただ、彼らは思索の別の次元を生きた、もっと偉大な思索者なのである
哲学の歩み
哲学への一歩はソフィストの思考よって準備され
ソクラテスとプラトンによって踏み出され
ついでアリストテレスが、ヘラクレイトスから二世紀を経てから、この一歩を次のように定式化した
アリストテレスによる哲学の定式化
事実、かつても今もまたこれからも、耐えることなく、哲学がそこに向かう途上にありながら、いつも繰り返しそこへ通じる道を見出せないでいるもの、それは(つまり問われているのは)、存在者とはなにか、という問いである
哲学は結局変わってように見えて根底は変わらなかった
その後の2000年間で多様に変化はしたけど、アリストテレスからニーチェに至るまで、変化を超えて、変化をつらぬいて同じものであり続けた
しかしアリストテレスのその定義も相対化して考えてよう
我々はそのアリストテレスの定義にだけ縋り付いてはならず、それ以前と以後の定義を思い浮かべなければならない
哲学以前の思想から、哲学の思想への変遷
一なるもの(存在)が全てのものを存在者としてあらしめる
一なるものは、万物は一つである、ヘラクレイトスのヘン・パンタから来ている
存在者が存在のうちに集められているということ、存在の輝きのうちに存在者が現れ出ているということ、まさしくこのことがギリシャ人を驚かせたのであり、思索に駆り立てた
tanimutomo.icon つまり、万物である存在者が、より根源的な存在という一つの概念によって見出せれており、人間もそのうちの一つである、ということの発見であり
それを思索・探求していくことで世界が開けていく可能性に心を踊らせた、ということなんじゃなかろうか
最初の思索
この思索も最初は自分のうちで起きているそうした出来事をひたすら畏敬し、それに調和することでしかなかった
これを偉大な始まりの開始、と読んでいる
この驚きがソフィスト的知性によって、当たり前のこととされかける
しかし、それをあくまで驚きとして保持し、存在者の統一を可能にしているものはなんであるか、ということを問おうとする
これをやったのがソクラテスとプラトン
しかし、そのような問いをすることは、調和とは異なる
存在を問うということは、その始原も統一のうちに包み込まれたままでいることはできず、というより、むしろ自らがそこを脱することによって、全体を観察してそれを分析するということになる
このような思考が特権的、超自然的な思考様式というところにつながる
これをアリストテレスが、存在とはなにか、という形で定式化した
このプラトン・アリストテレスのフィロソフィア、哲学をギリシャ的思索という、偉大な始まりの終焉、とよんでいる
【39-18】人間よりも存在、存在よりも言葉の方が先である。反哲学から始まる現代哲学。【反哲学入門】
反哲学と呼んだのは誰か
ハイデガーは、自分の思索の営みを哲学とは呼ばず、存在の回想、と呼んでいる
それを反哲学と明確に言ったのは、モーリス・メルロ=ポンティ
ハイデガーの影響を強く受けてて、死ぬ前に会いに行こうとしてた
この反哲学の足跡が作られたニーチェ以前と以後で分けて考えると整理がしやすいだろうし、以前は日本人に馴染みがなくて当然、ということがわかる
反哲学と反人間主義(アンチフィロソフィとアンチヒューマニズム)
ノルマンディでの講演の前の1947年にアンチヒューマニズムを提唱している
経緯
1945年にサルトルが、「実存主義は一つのヒューマニズムである」という講演を行い、実存主義の旗揚げをした
そこで、ハイデガーを実存主義の先駆者の一人として挙げている
それに応える形で、「ヒューマニズムについて」という論文を書いた
何を語ったか
自分の思想は実存主義でもないし、ヒューマニズムでもない
むしろ、結局は人間中心主義であるヒューマニズムを批判し、その根幹をなしている超自然的(形而上学的)思考の克服を図るアンチヒューマニズムなのだ
ドイツ語では、について、を、を超えて、とも読めるらしいから、その意味で書いたのだろう
具体的には人間よりも言葉の方が先だ、と主張した
人間よりも、存在の方が、そしてその存在の住まいである言葉の方が先だ
存在というものは現存在の了解の方法によって左右されるものではなく、むしろ存在自体の方から、現存在にさまざまな形で現れてくるものであって、現存在はそれを受け入れるしかない
これを存在の生起と呼び、これは言葉の中で起こるのだとした
tanimutomo.icon これを知ってる知識で解釈しようとすると
人間よりも、その人間さえも規定している(人間とはどういうものか?)存在というものが先に来ていて、そしてその存在というのを生み出しているのは言葉である
つまり、人間は言葉を操っているように見えて、言葉は人間とは独立して存在しており、その言葉によって人間の概念であったり、諸観念も作られ規定されている
そして人間というのはそれを結果的に受容することしかできず、そこに大した影響を与えることはできないまま、それをもって人間という存在も規定されている
この言葉は人間が操っているもののように見えて、独立しているばかりでなく、人間を含めた諸概念を含めた存在全体を規定しているのだと、というのが重要なポイントなのではなかろうか
ハイデガーが後世に与えた影響
存在の生起を重要視していたので、存在史といった考え方も出てきて、人間の歴史、つまり人間のその時々のあり方もこの存在史によって左右される、という歴史観も提唱する
ハイデガーのこうした考えが、人間よりも構造が先だと主張し、アンチヒューマニズムを標榜することになる20世紀後半のフランスの構造主義やポスト構造主義の思想家たちに影響を与えた
デリダ、ラカン、フーコー、ドゥルーズ、など
メルロ=ポンティもそう