第37回 暗黙知の次元
暗黙知の次元という本を紹介します!
「暗黙知」という概念と、それを発展させて社会や哲学の領域まで踏み込んでお話します
社会主義によって歪んだ知覚の姿に対して違和感を持つことが、知の探求をスタートさせた。
【37-1】暗黙知とは何か?練習によって上達する仕組み【暗黙知の次元】
1891年、ハンガリー生まれ、ユダヤ人
ドイツにいたころから社会学、経済学に興味 (兄の影響)
兄は社会主義を支持したが、反対
57歳でこの分野へ
科学者
知の放浪者
本自体の構成
暗黙知
創発
探求者たちの社会
マイケル・ポランニーは科学知識の性質と正当化のために知の探求をした。暗黙知の概念が生み出されたのである。全ての出発点は、「私たちは言葉にできるより多くのことを知ることができる」という考え方。 暗黙知の構造
共通の目的に対して意識を向けることで、諸要素は明確に意識されなくなる (機能的構造)
一方、その目的(遠位)に意識を向けることで、諸要素(近位)は感知されている (現象的構造)
その近位は、遠位に対して何かしらの意味を持つようになる (意味的構造)
結果として、遠位と近位を含めた包括的存在を理解できる (存在的構造)
例
洞窟で杖をつきながら歩く
サッカーボール、プログラミング
軽くディスカッション
【37-2】美しい文章はどうやってできるか?暗黙的な諸要素と上位概念の仕組み【暗黙知の次元】
内在化について
内在化は、芸術鑑賞において必要な行為である。鑑賞者は、創作者の行動を追体験することで作品を理解できる。あるいは、創作者に精神に内在することによってのみ、その作品を理解できる。つまり作品を理解する過程は極めて暗黙知的である。 これは芸術鑑賞に限らず、他者から学ぶこと一般においても言える。例えば暗黙知の次元で紹介されているチェスの名人のプレイを繰り返しみて、名人の精神に飛び込むことで、そのプレイの真髄を掴むことができる。また、弓道や書道のような禅に由来を持つ営みにおいても、師匠の行動を弟子がただ繰り返すことによって、師匠の精神に内在することができるようになる。 境界性の制御
文法ルールのみから文学のような文章の美しさを説明することはできないが、文学は文法のルールに従い、それを活かしている。
これを一般化すると、以下のようになる。
システムの上位に動作原理が存在しており、その原理が下位の諸要素を制御している
この時、下位の諸要素は動作原理によって暗黙知化されている。 下位の諸要素のみに目を向けて、上位の動作原理を導くことはできない
これを、境界性の制御と呼ぶ。
ex. 機械の境界性の制御
機械の動作原理によって、下位の物理・科学の概念を制御している
一方で、動作原理では考慮されていない「故障」という現象が起きる
これは、システムは動作原理だけでなく物理・科学によっても制御されるから
【37-3】なぜ子供は学ぶのが上手なのか?暗黙知が生み出す創発【暗黙知の次元】
生物学の誤謬
1948年、ヒクソン・シンポジウムで共通認識とされた。生物学は物理・科学から考えられることへの批判。
創発
下位の諸概念は上位の動作原理によって制御されている
一方、下位の諸概念が固定化されることで自由な配置を生み出し、上位の新しいパターンを生み出すことがある
例えば、子供は言葉を覚えた後に、その言葉を自由に使いながら新しいパターンや論理を自ら見つけていく。この包括的な手続きを通じて飛躍的に推論力を上げる
プログラミングによる創発を考える
プログラムを絵の具や言葉のように自在に操ることで、より高次の表現ができるようになる
逆にいえば、自在に操るレベルにならないとそれより上位のものを創発することはできない
進化論批判
生物は自己保存が前提であり、進化論は環境に有利に働く突然変異が生存し、その他は淘汰されることを前提としている。つまり、ランダムな種による変化ではなく、低次の能力を獲得した生物が創発によって高次の能力を生み出す。知能が突然変異ではなく創発的に生まれたのでは
【37-4】科学はどうやって発展してきたか?暗黙知としての潜在的思考【暗黙知の次元】
科学的懐疑主義と道徳的完全主義
科学的懐疑主義と道徳的完全主義は、西洋思想がもたらし社会主義で猛威を振るった考え方。科学的懐疑主義が啓蒙思想に引き継がれた。啓蒙思想によって教会の権威は解体され、キリスト教の権威は失われた。科学によって世界の魔法が解けていった。一方で、キリスト教の知的権威が解体されたために、キリスト教的情熱が世俗的な思考に流れていった。そのため、道徳的完全主義が誕生し、人為的に作られた価値観は全て偽善的だと考えられるようになった。 このような流れは、社会主義への熱狂を加速させた。社会主義を求める根源は「ユートピア主義」であり、全てに対して懐疑的になり道徳的完全主義が資本主義に内在する考え方を否定した結果である。だがしかし、社会主義は完璧なコントロールを前提としているため、科学をそれ自身のために発展させることを認めなかった。 相互制御の原理
科学は権威に基づいている。同じ分野の中で研究者同士が「科学的基準」という権威に基づいて評価をしている。
潜在思考
暗黙知の概念を前提にすると、科学は潜在的思考を前提にしている。潜在的思考は上位の原理であり、この原理が創造的発見を促す。アインシュタインはまさに潜在的思考や時間・空間に関する直感があった。だから、彼より数学が得意なはずのヒルベルトより先に相対性理論を完成させた。同様に、マックス・プランクが量子論を築いた時は、誰でもアクセスできる事実やデータから生まれたものである。 暗黙知を共有するためには、共有される側が共有する側が持つ権威を受容する必要がある。たとえば、教師の指導が仮に無意味に思えても、教師が内在化している何かを生徒が感知し、それを繰り返し実践する必要がある。そこには、生徒が教師への権威を受容する必要がある。 禅は非言語的な思考の領域へと踏み込むことを目的としている。そういう意味では、禅と暗黙知はやはり深いつながりがあると言える。 道徳と社会
境界性の制御を前提とすると、道徳は社会という下位概念を制御すると同時に社会という性質に依拠する。社会や人間は、ある種の汚い営みや考える性質を持っている。社会主義のように、このような性質を無視して道徳的完全主義を押し付けても、最終的には暴力を生み出すだけである。道徳的規範は、社会や人間を暗黙知的に理解した上でのみ、成り立つ。 科学や芸術はこのような潜在的な思考の可能性に浸ることによって生まれる。そして、この思考の可能性が自己決定の絶対化を免れる。なぜなら、潜在的な思考の可能性が、下位の行動を制御してくれるからだ。