第35回 失敗の本質 日本軍の組織論的研究
SYUMIGAKUの第35回目のシリーズでは、「失敗の本質 日本軍の組織論的研究(中公文庫)( 戸部良一他5名, 1991)」について話しました。
本書は、合計6名の著者による第二次世界大戦における日本軍の弱点についての研究をまとめているものです。
戦争を振り返るというと、今後また悲劇を繰り返さないためにはどうするのかという点に焦点が置かれることが多いと思います。本書でもそのことには触れつつ、その上で、なぜ負けたのか?という戦術的、戦略的な欠陥を分析しています。
そして後半では、前半の分析をまとめ直し、現代日本の組織にも散見されるような、組織としての危うさを抽出しています。
台本などは、こちら にまとめています。
【35-1】失敗の本質ー近代の日本組織の弱点はどこにあったのか【日本軍の組織論的研究】
大東亜戦争で、日本は惨敗した
なぜ負けたのか?という問いに、軍部が暴走して勝てない戦を始めてしまったから、というのはそうかもしれないが、
本書はあくまで開戦した後に、どうやって日本が負けたかを対象にする
日本軍が抱えていた組織的な課題を分析するというもの
東大、京大、防衛大出身者で、政治外交史や、軍事史、組織論などの教授など、合計6人による合作
初版は1991年
現代の組織論にも応用できる?かもということで一部で有名かもしれない
しかし本の内容はかなり軍事の話を細部まで書いているので、軍事系の専門用語に慣れていない人は読むのに苦労するかも
実際、自分も読むのに苦労した
が、組織論については結構あるあるというか、側から見ているとなんでそんなアホなことをと思うが、実際に自分が立たされると回避できる気がしないような感じの内容が多い
本書の構成は、まず第一章で6つの事例として、実際の作品を取り上げた後、第二、三章でそれを総括して組織的問題がどこにあったのか?を論じている
このpodcastでは、作戦を2つ紹介した後、日本軍全体の問題について話していく
作戦の話は、かなりその時代の状況を詳細に書いているので、興味がある人は個別に詳しく見てもらうのが良さそう
まず、第一回ではこの本には載っていないが太平洋戦争全体の流れをおさらいする
太平洋戦争は1941年から45年にかけて行われた戦争である
4年前の1937年に、日中戦争が行われていたが、泥沼化していた
日本はドイツと同盟を組んで、アメリカ、イギリス、中国などと主に戦闘を行なった
一般に、日本が戦争に突入した原因と言われているのは、アメリカの経済制裁による石油などの輸入ができなくなって、独自の経済権を作らなければいけなくなったこと、またアメリカが満州国を認めず、撤退を支持してきたことなどが挙げられている
2年で石油が尽きて、何もできなくなる前に、自立した経済圏を作るほかないと考えた
41年の12月に、ハワイ沖にある真珠湾とマレーシアを同時に奇襲攻撃し、戦争が始まる
物資をかけた戦いだったこともあって、日本の領土は太平洋に広く分布した
オーストラリアのすぐ北にあるパプアニューギニア、マレーシアから、タイ、ミャンマーまで全て支配していた時期が最高長のときだった
半年間、42年の5月ごろまでに日本は上記の領域を占領し、物資も手に入れていたが、その後徐々に戦況が反転し、アメリカ軍に次々に太平洋の島を制圧されていく
結局、アメリカは沖縄まで連なる一連の島を3年かけて制圧し、沖縄上陸に至る
最後は原子爆弾を投下し、ソ連が参戦して終戦へ
アメリカは、タイやミャンマーの土地まで全てを制圧して沖縄に上陸したのではなく、太平洋の主要な島々を制圧して、沖縄へと続く道をつくった
元々、日本攻略には沖縄上陸が必要だと考えていたようである
また、その過程で大型爆撃機であるb29の射程圏内に日本本土を収める事で、空爆を行い、戦力と戦意をそぐ計画だった
まとめると、日本とアメリカの戦いはこの太平洋の島々を奪い合う戦いで、日本は島が減れば物資の調達元がなくなり、かつ空爆の危険が生じるという状況に置かれていた
しかし一時期の日本の領土は非常に大きかった
次回は、日本優勢から反転した、太平洋での戦い、ミッドウェー海鮮について
【35-2】ミッドウェー海戦ー太平洋戦争のターニングポイントで日本軍が犯した失敗【失敗の本質ー日本軍の組織論的研究】
この戦闘まで、日本軍は快進撃を続けていたと言っていい
この戦闘をきっかけに、米軍からの巻き返しを受けることになった
ハワイより少し日本寄りにあったミッドウェー島にあるアメリカ軍基地を日本軍が急襲するという作戦
ぱっと見の印象は真珠湾攻撃にも近しいが、作戦内容はかなり異なる
(そのことは後述する
そもそも、日本軍は元々は、自分たちから攻めに行くタイプの戦い方をしていなかった
なるべく日本近海に相手を引き付けて、兵力差を生かして一気に叩くような戦い方を得意としていた
太平洋戦争においては、戦争自体を長引かせてはいけないという発想から、積極的な奇襲作戦を仕掛ける方針に切り替えていた
対するアメリカは、日本が奇襲作戦に出てくることはよんでいた
一方で、奇襲作戦そのものが読めていても、その時期や目的地が分からなくては劣勢になると考え、暗号解読を進めていた
結果その暗号解読は功をそうし、ミッドウェー海鮮の20日程度前にはほぼ解読に成功し、日本の艦長と同程度の情報を得ていた
米軍は逆奇襲のためにミッドウェー近くに艦隊を展開させた
海戦の経過
序章 索敵の開始
日本軍は予定通り奇襲を実施しようとした
日本軍は、空母を4隻も一気に出陣させた
日本は戦時中に空母を9隻しかつくれていないので、約半数をこの戦闘に動員したことになる
アメリカ軍の方がレーダーが高性能であったため、先に敵機の発見に成功。日本軍に向けて発進
日本軍はミッドウェー基地に損害を与えることに成功するが、航空機の殆どは発進済みであり、破壊する事が出来なかった
日本軍は基地を攻撃して戦果を上げたと思ったりもしたが、実際は相手の兵力をどれだけ削げるか=つまり相手の兵器をどれだけ壊せるか、が勝負である
発信したアメリカ軍の戦闘機は、日本軍に攻撃を仕掛け、逆奇襲が大成功。日本軍は敗れた…という単純な話ではなかった
アメリカ側は事前の計画が不十分で大きな成果を上げることなく、多くが撃沈された
しかし日本軍の足止めには成功していた
その時、日本軍も米軍の艦隊が近くにあることを察知した
そこで空母との戦闘に備えて攻撃部隊を準備したかったが、それをやってしまうと、ミッドウェーに攻撃を行った部隊が帰投するための滑走路がなくなってしまう
空母はそこまで大きくはないので、帰投と発信を同時に行うのは難しい
だから、ミッドウェー攻撃部隊が帰ってくるのを待った
先に発信した攻撃隊が帰ってきてから、再び全軍で出撃しようと考えた
これが一つのターニングポイントであった
米軍はミッドウェー攻撃(航空機)が収容されているタイミングで日本軍に奇襲攻撃を与えることに成功する
戦闘機による低空の魚雷発射はほとんど成功しなかったが、代わりに爆撃機による攻撃が成功した
結果、日本の空母が3隻失われる大損害を産んだ
加賀、赤城、蒼竜
唯一残った日本の空母、飛龍は2回に渡って攻撃を行い、3隻の敵空母のうち2隻の撃沈に成功したと考えていた
しかし、実際は2回とも同じ空母に対して攻撃していた
1度目の攻撃の後、米軍はすぐに消化と応急修理に成功していた
2回の攻撃の際、日本側が受けたダメージも大きかった
そして日本軍が第三の攻撃を準備している間に、またも米軍の爆撃機によって飛竜も甲板が使用不能になってしまった
こうして空母が全て失われたため、結果的にミッドウェー作戦は中止せざるを得なかった
米軍が失ったのは空母一隻と駆逐艦一隻、航空機147
日本が失ったのは空母4隻と重巡洋艦、航空機約300であった
著者らによる分析
まず、現場レベルのミスがいくつか重なっていた
索敵において、米軍に大きく差をあけられていた
日本は索敵部隊の発信が遅れたり、報告にミスがあったりして、敵の情報を十分に活用できなかった
航空作戦の面では、ミッドウェー島を一気に叩くという点に集中しすぎて、4隻の空母全てで島を攻撃してしまった
もし相手の空母が近くにいたら…ということを想定して、一部の部隊は待機させておくべきだった
そしてそもそも、米軍が空母を出してくることは、実は日本軍側は想定できたことだった
ここが第二の問題になる
第二の問題は、作戦本部からの戦略が曖昧なまま現場に伝わってしまっていたこと
ミッドウェー作戦は、ミッドウェー島の米軍基地を壊すことが目的ではなかった
ミッドウェー島の基地を爆撃することで、近くの島から空母を誘き出し、それを撃沈することが目的だった
つまり戦略レベルでは、元々お互いに相手の空母を何隻壊せるか、ということが一番重要な目的だった
しかし日本軍はそれを現場レベルで十分に認識されていなかった
アメリカは十分にこの点を理解し、あえて島を攻撃させつつ、航空戦力は最大限守り、逆奇襲を仕掛けて空母を撃沈することに成功した
また、そもそも日本海軍全体に行き渡る思想にも問題があった
それは一言で言えば、攻撃することのみを重視する思想
まず情報戦を軽視した
アメリカは暗号解読に多くのリソースを投下してミッドウェー作戦を事前に察知できたが、日本は相手の暗号を解読することは愚か、相手の作戦に乗って情報を漏らしてしまったこともあった
そして防御とリカバリーを軽視した
日本の空母は、一度相手の攻撃を受けると、すぐに沈んでしまった
それはたくさん飛行機や爆弾を積めるようにした代わりに、火災が発生した時に消化する機構が弱かった
攻撃は最大の防御、ということを本気で実施してしまっていた
こうして空母を4隻もうしなかった日本の戦局は傾き始めた
【35-3】最悪の作戦と称されるインパール作戦ー数万人の犠牲を出した作戦はなぜ実行されてしまったのか【失敗の本質ー日本軍の組織論的研究】
【35-4】米軍との比較でみえてくる日本軍という組織が抱えていた問題【失敗の本質ー日本軍の組織論的研究】
改めて「日本人」のDNAに刻まれたもの、みたいな話をしたいわけではないが、
日本が社会として継続している以上、その「習慣」は受け継がれていると考えると、現代の日本にも共通するような部分があるのでは?と考える
このpodcastでは2つだけ紹介したがー
本で紹介されていた6つの作戦に共通する性格(組織としての日本軍の問題
1. 複数の師団が参加した作戦のため、日本軍の作戦中枢が計画に関与した
2. 従って、作戦中枢と実施部隊との間に、時間的・空間的な乖離があった
3. 統合的近代戦(戦闘部隊だけでなく、補給、情報通信、後方支援が組み合わされたもの)だった
4. 相手の奇襲への対応といった突発的な作戦ではなく、日本軍側があらかじめ作戦を作成したものだった
長期的な経済力・物資量の違いによる敗北というだけでなく、日本軍と米軍の間には組織的な優劣があったと看做さざるを得ないのではないか
短期決戦の戦略志向
基本的に日本軍の作戦には、短期決戦で一気に叩く、以外の発想がなかった
そして負けた時にどうやって撤退するかということがあまり真面目に検討されていなかった
開戦前の上層部の多くも、「短期的に日本が有利になる根拠は挙げられるが、長期的に勝ち切る見込みはない」と話していた
このような近視眼的な攻撃重視の発想とそれに基づく意思決定は、戦争全体だけでなく、個々の作戦にも見られる
それは情報戦と補給、索敵などを軽視することにもつながっており、ミッドウェーやインパールのいずれでも情報不足、補給不足、索敵不足で、攻撃による一点突破しか考えられていなかった
また、空母の防御力や敵に空爆された時のリカバリーを軽視した設計など、装備の設計にも現れている
狭くて進化のない戦略オプション
個々人の技量や、小手先の戦術が生じ強かったことが、戦略の徹底や、技術力の向上を軽視することにつながった
第二次大戦以前の戦闘では、現場での小手先のテクニックが功を奏して、相手を倒すこともあり、それを英雄視するような見方があった
兵士の訓練も非常に徹底しており、熟練の操縦士などが華々しい結果を残すことも少なくなかった
しかし太平洋戦争では、索敵や物流など、全面的な近代戦であったため、戦略的判断による影響が大きかった
例えば、マリアナ沖海戦では技術力で優った日本軍に対し、米軍はレーダーによる索敵技術と物量(ほぼ倍の戦闘機で迎え撃つ)によって対抗し、米軍の勝利となった
戦争後半になるにつれて、高度な操縦技術を持つ兵士を育成する余裕もなくなり、益々軍は弱体化していった
日本軍は過去の成功体験から抽出された作戦様式を変えることができず硬直化した発想で戦略を検討していたと言える
これは、プランBのような代替案を用意できなかったことにも影響している
戦略上の失敗要因
曖昧な作戦目的
実行部隊の地位を尊重して、明確な指示を大本営から出さず、実行部隊に権限を付与するようなやり方
「察してくれ」というようなコミュニケーションが多かった
その背景には、大本営側でも意見を一つにまとめきれていなかったという事情がある
目的が複数あり、その優先順位を明確化できないまま、指示がなされたりしていた
対して、アメリカは情報戦で勝利を収め、相手の意図を見抜いた上で、戦力を一つの目的に集中させることに成功していた
事実、ミッドウェーでは日本軍よりも少ない戦力で、「空母以外には手を出すな」という命令を守らせることで勝利を得た
インパール作戦でも、大本営はビルマ防衛が最優先事項だと考えていたにも関わらず、それを明示的に示すことなく、牟田口はインパール進行を第一目的とした作戦を実行してしまった
さらに、陸軍と海軍の合同作戦では、大本営は陸軍が迎え撃つことが最善だと考えていたのに対し、海軍の現場指揮官は、「死に花を咲かせてでも、戦艦同士の撃ち合いでケリをつけるべき」としていたこと
結局、6つの作戦全てにおいて、軍全体において作戦目的を統一することに失敗していた
その背景には、戦争をどうやって終結させるかというグランドデザインが欠如していたことがある
米軍は、グランドデザインとして、中部太平洋諸島を制圧し、その後日本本土を空爆して軍事力を削ぎ、最終的には本土へと上陸してケリをつけるという全体のストーリーラインがあった
しかし日本軍は、アメリカ本土に上陸するという作戦はなく、「米国の戦意喪失を目的とする」という非常に曖昧な作戦目的しか立てられていなかった
とにかく個別の作戦に勝ちさえすれば、アメリカは折れてくれるだろうという、目的と手段が結合しないものだった
主観的で帰納的な戦略策定ー「空気による支配」
米軍が演繹的な作戦の立て方をしていたとすれば、その対比として日本軍は帰納法的な作戦策定を行なっていたといえる
日本軍は、科学的な発想に基づく貫徹した意思決定よりも、その場その場のムードに流されるような意思決定を行なっていた
牟田口の無謀な作戦が実行許可されてしまったことは、その局地的な表れだといえよう
科学的な「フィードバックによる思考の修正」ということも日米では決定的な差があった
日本軍の真珠湾攻撃は、海戦の舞台が空に移ったことを示していたにも関わらず、その後も日本軍は巨大艦隊を製造し続け、米軍は軍備の方針を見直した
またインパール作戦では、それ以前の戦闘で英軍が簡単に打ち破れる相手ではないという情報を得ていたにも関わらず、過去に作成した英軍の脅威予想を変更できなかった
アンバランスな戦闘技術体系
日本軍の装備は、ある部分においては優れているが、別の部分においては絶望的に遅れている、というものであった
海での戦闘は、戦闘機、爆撃機、偵察機、巡洋艦、駆逐艦、潜水艦などあらゆる技術の統合的な戦闘だと言える
そしてそれらが連携するための、通信技術やレーダー技術なども不可欠である
例えば戦艦大和は、アメリカ軍の所有する戦艦を有に凌ぐほど巨大な大砲と飛距離を有し、戦艦自体のサイズも世界一だった
しかし、その建造予算で飛龍型の空母が3つ作れるほどであり、軍の中には空母や戦闘機へと予算を振り向けるべきとする意見もあった
結局、大和はその主砲の性能を十分に発揮する前に沈められた
手法をうまく使うためのレーダー技術や、それを使いこなせるだけの兵員の訓練に割くだけのリソースがなかったためだとされている
また、零戦は当時世界で最高水準の攻撃力を誇っていた
しかし、量産に向かない材料を使っていたり、防御力が著しく低いなどの欠点があった
対して米軍は、馬力を十分に増強した戦闘機かつ大量生産体制を整え、零戦を2機で迎え撃つ戦法によって勝利を重ねた
数字で日本軍と米軍を比較すると、日本軍はアメリカの1/4程度しか、船を建造できなかった
航空機に至っては、1/10程度であった
これは単に、物資の違いだったのかといえば、そうとも言い切れない
米軍は、科学的管理法を生産ラインにも徹底させていた
部品を大量生産できるようなやり方
一方で日本軍は多種多様な潜水艦を作ったりしていた
【35-5】現代の組織にも通ずる?ー日本軍の人事制度の強さと脆さ【失敗の本質ー日本軍の組織論的研究】