第33回 「利他」とは何か
第一章 「うつわ」的利他 - ケアの現場から by 伊藤亜沙 欧米におけるの利他の数値化
利他とは?
利他嫌いが考える利他
利他に対して懐疑的な考えを持っていた
障害のある人たちと関わる中で利他的な行動が壁になっているような場面に遭遇していた
そのため結果として本人のためになってないのでは?
利他とは結局何なのか?
伝統的にはキリスト教の隣人愛や、浄土真宗の他力などの価値観と結びついていたが、現代ではそれとは切り離されている
利他とは自己犠牲なのか?共感からくるのか?
こういった疑問を念頭に置きつつ、利他のかたち、について考えていく
欧米の利他
パンデミックを予想していたと言われていて、有名になっている
合理的利他主義とは何か?
自分が感染したくないなら、周囲の人の感染を防ぐ必要がある、ので、つまり利他的であるのは自分の利益になる
日本的には縁起などにも通ずる話で、巡り巡って自分に帰ってくる、という発想だとわかりやすい
利他主義の起源
その時は利己主義の反対として使われていた
合理的利他主義というのは、利己主義のための利他主義ということで、このルーツをひっくり返す構造を持つ
利益を動機にする
日本人からするとちょっと遠いかも
シンプルに、私たちは自分にできる、一番たくさんのいいこと、をしなければならない
ここから幸福を徹底的に数値化する
徹底的な数値化主義
盲導犬の育成に400万円使うより、トラコーマという目の病気を2000人治療する方がいい、など いろんな団体があって、サイトには、徹底的に評価と比較があっておすすめがある、ということになっている
tanimutomo.icon 少しふるさと納税に似てるけど違う
自分の情報を入れると世界の上位何%に入るかが表示され、年収の10%を寄付すると、寄生虫症の薬がいくつかえて何人が健康的な生活をくれるか、とかが一発で表示される
利他の数値化の理由
なぜ数値化するか?それは利他の原理を共感にしないため
共感は悪くないが、それに支配されると視野が狭まり、普段会うことのない遠い国の人々などにはアプローチできない
就活でも共感より数字を重視する動きがある
プリンストン大学哲学科を最優秀論文賞を受賞して卒業した人が、オックスフォードの大学院をけって、ウォール街に就職した NPOなどで低い時給で働くより、金を稼いでその分寄付した方がいい、という
tanimutomo.icon 全員が間接的では成り立たないし、むしろ無責任な気もする。解像度の低い寄付とも言える。利他なのか、、?
もう一つの背景は、地球規模の危機
環境問題など、地球上のすべての人がアメリカの平均レベルの生活をするには資源が地球5個必要だと言われている
コロナにおいても、一人一人の行動はその合計よりも複雑な相互作用の結果、予想し難い効果をもたらす
tanimutomo.icon ここはアレントの相互作用の可能性に似ている 地球規模の危機も同じで、各場所での行動が膨大かつ複雑な相互作用を経て様々な場所に問題を起こしている、それは近いところに関わろうとする共感では解決できない
そのため、合理的な利他主義、効果的な利他主義の方を目指すべき、と主張している
数値化による疎外とその事例
この潮流についてどう思う?
確かに共感への指摘はその通り
助けが必要な人は共感を得られるように、相手に好かれるようにへつらわなければならない
これは間違いなく不自由かつ、窮屈である
アメリカと日本の文化の違いによるところは大きいと思う
アメリカは寄付の文化が成熟している
アメリカの寄付の現状
2008、アメリカはGDP比で、2.2%、36兆円、個人8割
2023年は、78兆円、個人は67%
日本の寄付の現状
2007、日本はGDP比で、0.11%、6000億円、個人2割
tanimutomo.icon 今の日本の寄付の現状
クラファンとか、ふるさと納税も入るのか
こう考えると、アメリカのエリート層では寄付をするならどこにするべきか、を知りたくなるのは自然とも言える流れ
(でも違和感あるよね)
そうは言われても、数字へのこだわりが強すぎることに対しての違和感はある
利他は寄付をすることだけではないが、金銭や物資といったものの寄付が数値化しやすくなるので、それが効果的であるかのようになる
加えて、数値化という価値観、長い目で見た時に良いか
多額の寄付をするためなら手段を選ばなくても良いのか?
先ほどのウォール街の件で言えば、金融の肥大がリーマンショックを招いたわけで、そうなると貧困国への影響はかなり大きい また、寄付そのものについても、それが宛先の人々を幸せにできるか、構造的に救えるのか、は別物
tanimutomo.icon これは、日本の平和と繁栄の回廊の仕組みを見ていても思った。結局イスラエル企業にメリットがある形になるのか、という 物流や組織がうまく機能していなくて、支援物資などが空港に放置されていたり、政治的混乱のために政府の金庫に放置されているや、独裁政権の懐を肥やすだけになっているなど
真の利他性は魚の釣り方を教えること、それによって自立性の獲得を支援すること
数値化によって利他の感情が消える場合がある
イスラエルの6つの託児所で、遅れる親御さんが多かったので、罰金制を導入したら帰って遅刻する親が増えた
託児所のことを思ってお迎えに行こうという人がいなくなって、お金払えばいいんだ、となった
似た例、ボストンの消防署
日曜欠勤が多かったので、病欠は15日までと決めたらクリスマスと元旦が10倍になった
数字で管理されるのが侮辱的と感じて、現場のため、という倫理規範が消防士においても失われた
倫理的な繋がり、ではないんだ、というスタンダードに変わってしまった
tanimutomo.icon 会社組織も同じで、組織の中でそれぞれのメンバーの思いやりや、利他精神で動いてたところにルールが導入された瞬間に、組織の力学が変わって帰って悪い方向に行く、ということは一定ある話だと思う
インセンティブや罰が、利他という個人の内面の問題を、客観的かつ比較可能な指標にすり替える
それによって、利他から離れる
内発性と外側からの制度の対立
もちろん定量化して現状を正確に把握することは大事だが、数字が目的化して、人がそれに縛られることが問題
tanimutomo.icon 数字の奴隷になる、というのは 超相対性理論 でも語られてた もう一つの学校教育にける事例
地域の落ちこぼれをなくし、みんなの点数を目標にした、格差をなくすように
先生のインセンティブとしても点数を設定した
そしたら、共通テストに出る科目だけになり、とにかくテストを解くための授業になった、長文は読むなくなった
テキサスとフロリダでは、学力の低い生徒を障害者にカテゴライズして、平均点を挙げようとした
tanimutomo.icon ここまで行くか、、
利他の原則は結果を期待しないこと
他者をコントロールしようとしている無意識が、利他の最大の敵
他者のために何か良いことをしようとする思いが他者をコントロールし、支配することにつながる
全盲の方が、毎日はとばすツアーみたい、と言っている
何でもかんでも周りの人たちが説明してくるので、ここは段差だよ、ここはコンビニだよ、など
自分で世界を感じたいのに
これは善意の押し付け
助けてって、言ってないのに
それによって、障害者を演じなきゃ、というマインドにさえなる
認知症の方も同様のことを言っている
割り箸まで割ってくる、やりすぎ
自分たちの自律を奪っている
病気になることで過度に警戒され、失敗が許されなくなり、挑戦できなくなり、自己肯定感が下がっていく
他者に対する信頼が前提に必要
安心は、相手が想定外の行動をとる可能性を意識してない(社会的に可能性がない)状態、自分のコントロール下にあると感じる。
tanimutomo.icon 保証に対する安堵のようなもの。
信頼は、相手が想定の行動をとるかもしれない、と不利益を被る可能性を意識している状態、それでも酷いことしないだろう
tanimutomo.icon 無根拠な思い込み。
信頼するときは、相手の自立性を尊重し、支配するのではなく、委ねる感覚が重要
これが利他における必要条件、つまり信頼の方。
利他は、自分の行為の結果はコントロールできないことの自覚から出発するべき
利他的な行動には、本質的に、これをやってあげたら相手に利があるだろう、という私の思いがある
しかし、これは「私の」思いでしかない、つまり思い込み
理になるだろう、から、喜ぶはずだ、そして、喜ぶべきだ、と無意識的に変わる
これが容易に支配へつながる
利他の大原則は
自分の行為の結果はコントロールできない
どうなるかわからんけど、それでもやってみる
つまり、見返りを求めない、ということでもある
自分を救済者などと思うなよ、ということ
ジャックアタリの自分に返ってくる、というのは、巡り巡って、に予測不可能制が入ってるなら良いでしょう
コロナ禍での相互扶助
イギリスで住人が困った時に物資届けるから連絡してね、というメモと一緒に電話番号を書いた紙をポスト投函している人がいた
悪用されるということよりも信頼が勝ったのかな
自然災害などの危機的な状況においては、人々は利己的にならずに、見知らぬ人のために行動できるようになる
読めなさ、があるから、混乱の中においてこそ純粋な利他が生まれるのでは
この予測不可能性があるから、自分が何かした時にもどうなるかわからない、という前提がある
だからこそ、それでもやってみよう、という純粋な利他精神が生まれる?
tanimutomo.icon それだけで説明できるのか、はちょっとわからんなぁ。
みんなそんな余裕がなくなるから、というのはありそう
ああ、でも、この後どうなるかわからないから怖い、ので、一人だけで生きていくことが本能的に難しいかもしれない、と感じるからこそ、周りの人と助け合おう、という心理が働く、という可能性はありそうだな
あとは、たくさん周りに困っている人がいるのに、それを悪用しようというのは共感の観点から難しくなる、という可能性もありそう
tanimutomo.icon 純粋にポスト投函の話は、非常に間接的に選択肢を提示している行動であり、困っていたらやる、という相手側に委ねた利他である。それに加えて、災害時は全員自分と同じことに困るので、共感が非常にしやすく、それによって貢献できることがわかりやすい、ということなのではないのかな。むしろめちゃくちゃ共感に依存した行動な気もする。
利他とはうつわであり、余白が必要
ケアすることとしての利他
平時の際には予測しやすくなる、というか逆で、行動の結果を予測できるという前提にいる時が平時
平時では、こうだろう、が、こうであるはずだ、になり、それにより、思い、が、支配、になりやすい
こうならないためには、相手の声に真摯に耳を傾け、結果に対する想定や前提を捨てることが大事
となると、利他は思ったよりも受け身のなことなのかもしれない
その本質は、他者をケアすることではないか
介助や介護という意味ではない
こちらには見えてない部分があるんだ、という距離と敬意を持って他者を気遣うこと
耳を傾け、拾うこと
ケアを前提とすると、事前の想定がないからこそ、ケアによって他者を発見することにつながる
その気づきによって、自分が変わること、行動が変わること、がセットであるはず
これがないと一方的な押し付けになっている可能性が高い
(意外性による他者の発見と自己の変化が起こる)
(うつわ的利他)
そう考えると、利他とはうつわのようなものではないか
つまり、自分が思っている計画に固執せず、常に相手が入り込める余白を残しておくこと
この余白は、自分が変わる可能性としての余白でもある
この余白が利他だとするなら、それは料理を載せるうつわみたいなもの、だろう
(目的の失効)
哲学者の鷲田清一は、ケアとは「何のために?」という問いが失効するところでなされるもの、と言っている つまり、目的なく相手を享けること
いるだけ、の理由で享ける
うつわ、だとすると、つくり手の想いが過剰なうつわほどまずいものはないよね
条件にあったものしか受け付けない押し付けの利他ではなく
なんでも受け入れる意味から自由な余白が必要
(余白をつくる)
橋を作るのは、そこに渡りたいという人がいる、という思い、その声からでしょう
数字のためだけに働いてしまうと、それが目的化して、その奴隷となり、結果として余白は失われていく
すると、仕事からケアの概念はどんどん薄れていく
ブルシットジョブでも、仕事のケアリング的な価値が、労働の中でも数値化しえない要素、と言っている
この先にあるのは、何のために働いてるか、もわからない、利他の宛先のない、虚しい労働だろう
tanimutomo.icon 数字の奴隷になった瞬間に、人間は労働から完全に疎外される
そして、それの最たる例がブルシットジョブ
最近見た「ラスト・マイル」という映画が、それを秀逸に描いていた
Amazonのようなプライベートブランドも持っていて、速達をできて、販売網としても利用できるプラットフォーム企業が舞台
そこで数値の奴隷化された従業員を描き、それによって起こる問題と闇を描き、それに奴隷として対処する、最後のシーンはめちゃくちゃかっこいい
会社のValueなども含めて描かれるところが良かった。Customer-centric というのがあって、それは何にでも言い換えられるマジックワードであると。
資本家と戦うための労働組合の重要性とか、運送のラストワンマイルの問題も描いている
利他の議論をまとめる
聞くことを通じて、相手の隠れた可能性を引き出すことである、と同時に、自分が変わること
そのためには、押し付けではなく、うつわのような余白が必要
「他」は人間に限ったことではないはず
動物は振る舞いを通して語っているはずなのに、それを無視してないだろうか
自然は人間が思うより、相互扶助的
ノーベル生理学医学賞を受賞した大隅良典先生も、自然界においては、種を保存するために利他は当たり前のように行われているんじゃないか、と言っている 確かに、互いにエネルギーや物資を受け渡ししながら、相互に依存して生きている
花と昆虫とかね
同種の話もそうだし、犠牲になる話とか