第32回 力と交換様式
SYUMIGAKUの第32回目のシリーズでは、「力と交換様式 (岩波書店) (柄谷 行人, 2022)」について話しました。
本書は、日本の哲学者である柄谷行人が、社会を変えてきた力について、古今東西における古代から近代までの人類史を紐解きながら分析しています。
かつてマルクスがドイツ・イデオロギー、経済学批判草稿、資本論などで展開した理論を応用し、社会を変えてきたのは経済なのか?政治なのか?はたまた宗教なのか?といった普遍的な問いに対して、「交換様式」という概念を提唱して新たな答えを導き出しています。
本シリーズでもこの流れに則り、ヘーゲル、マルクスの過去の著作を紹介した後に、力と交換様式の本論について議論するという順番でお話ししています。
台本などは、こちら にまとめています。
【32-1】社会を変えてきた「力」とは何か?ーマルクス理論を応用した人類史の研究【力と交換様式】
一言で表現すれば
歴史・社会変化についての本
「どうすれば社会は変わるのか?」「何が社会を変える要因になるのか?」
(ブレスト的に考える)
政治、武力、文化、宗教、技術
例えばー「みんながSNSを使うようになって社会は変わった」「AIが社会を変える」
こういう言説は「何かが社会を変える力になるはずだ」と考える
まさしく「社会を変える力」とは何か?どこにあるのか?を考えようとしたのがこの本
タイトルが結論になっている
社会を変える力は、「交換様式」にある
この本では、交換様式とは何か?ということとをみる
それが本当に社会を変える力になっていると言えるのか?ということを、人類史を分析しながら論じる、ということをしている
この本はめちゃくちゃマルクスの影響を受けている
というより、「マルクスのある本の現代版リメイク」という言い方をしてもいいかもしれない
(怒られるかもしれないが)
マルクスの書いた本は100~150年以上前の本なので、色々と間違いが指摘されている
それをアップデートすることで、「社会を変える力とは何か?」という問いに答え直そうとした
まずこの本について説明します
さっき話したように、この本も「社会を変える力とは何か?」という事を問うものだった
しかし、タイトルはなぜ「ドイツ・イデオロギー」なのか?
それは、当時(19世紀前半)のドイツ哲学を批判する形で論理を展開していたから
当時のドイツでは、ヘーゲル哲学が全盛期だった
ヘーゲルは「ドイツ観念論」を代表する論者であり、「社会がどのようにして変わっていくのか」を論じるための、当時の最先端の理論を論じていた
ヘーゲルの本が精神現象学というタイトルであることからもわかるように、ヘーゲルは人間の歴史の発展を、精神の活動として捉えようとした マルクスも、20代の頃に「青年ヘーゲル左派」のメンバーの一員として、この社会変化のヘーゲル理論をベースにした哲学議論を行なっていた
ドイツ・イデオロギーは、そのようなヘーゲルのドイツ哲学を賞賛したもの…ではない
むしろ、ドイツの哲学は全て間違っていた、という批判を行った書である
そしてその理屈が非常によくできていたから、20世紀を通して批判をされながらも、多くの経済学者、哲学者、社会学者に影響を与えてきた背景がある
ではマルクスはどう考えたのか
【32-2】個々人の意識を変えても、社会は変わらない?ードイツ哲学を批判した若きマルクスの著書、ドイツ・イデオロギー【力と交換様式】
前回、マルクスは20代半ばから、徐々に青年ヘーゲル左派を批判する側に回ったと言った
マルクスが批判したのは、ヘーゲルの観念的な歴史観である
観念的な歴史観とは、一言で言えば「社会を変えていく力は、認識にある」という見方である
つまり、人々の認識が変われば、社会が変わっていく、という発想である
例えば、啓蒙思想によって人権という概念がつくられたことで、フランス革命が起きたというのがそれである
他にも例えば、キリスト教が西洋に広まったことで、中世では科学が発展しづらかった、とか
19世紀後半にナショナリズムが広まったせいで、世界大戦は起きた、とか
日本人は周りに合わせるような性格だから、製造業ではうまくいったけど、IT産業ではアメリカに負けた、とか
こういう言説は基本的に、「人間がどう考えるか、どう世界を捉えるか」ということが、社会のあり方を決めると考えている
ヘーゲルは、このような人々の認識が進歩していくことで、人間の社会は発展すると論じた
つまり、思想や宗教、社会に広まった常識や価値観というものが、歴史を決定する力を持っていると考える方向性である
この考え方自体は、現代でも多くの人が採用していると思う
SNSが広まることで社会が変わるとか、日本の若者が子供を産まないのは、価値観が変わってきているから、だと考えるのも全てこのような発想の範疇にある
マルクスは、これに対して真っ向から反対する
一言で言えば、歴史を決めるのは、人々が「何を考えるか」ではなく、「何をつくるか」である。と論じた
これはマルクスがもともと持っていた考え方に則している
それは「唯物論」である
唯物論とは、一言でいえば世界には物質しかないという考え方である
マルクスの卒論は、ギリシャ哲学の唯物論の比較研究だった
エピクロスとデモクリトスの唯物論の比較
まず、霊的な存在を否定する。それから考え方とかやる気とか、人の意思で変えられるようなものも基本的には否定する
それら(人の意思に見えるもの)は確かにあるかもしれないが、「物質的な環境」に依存している
現代的にいうと、マルクスは「意識改革」をしている人たちを徹底的に批判したと言える
考え方を変えれば貴方は成功しますとか、みんなが考え方を改めれば社会は良くなっていくなどという人がいたら、マルクスは批判しただろうと思われる
マルクス曰く、イデオロギーなどと言われるものは、人間の歪んだ認識が生んだ代物だという
自然の歴史と人間の歴史を区別して、人間の歴史だけを論じているものが大半である
彼らの書く書物には、偉大な思想や宗教家、政治家や戦略家ばかりが出てくる
これは今の歴史の教科書でもそう
ある時代の偉人が、その時代を変革する思想や発明を打ち出したり、戦争に勝ったり負けたりすることで、歴史が動く、という教育は今でも行われているもの
しかしマルクスは我々が第一に論じるべきは「人間と自然の関係である」という
この辺りの思想は、現代の左派が環境問題を論じるときにマルクスを引き合いに出すことからもわかる
マルクスはかなり初期から自然環境と人間のやりとりを視野に入れていた
人間は自然から物資を調達して、それを使って自然には元々ないものをつくる
石を削って鏃をつくり、木を使って家をつくり、鉄を掘り起こして鍋を作って…というようなこと
人間は考える動物だから、他の生物と区別されるのではなく、「ものを生産する」から他の動物と違った生き方をする、と論じた
ではなぜ、この「ものをつくる動物」である人間が社会を発展させてきたのだろうか?
【32-3】人間は考える動物…ではなく、ものをつくる動物であるーマルクス、ドイツ・イデオロギー②【力と交換様式】
(前回まで)ドイツ観念論に始まり、さまざまな思想は、「人間が考える動物」であり、人間の歴史はその考え方の発展や、政治や戦争、宗教によって捉えられるとしてきたが、マルクスはそのような発想を全て批判する
人間は自然との関係の中で、「ものを作る」ことによって歴史を発展させてきた
なぜ「ものをつくること」が社会を変化させるのだろうか?
ものをつくる際のことを考える
Dr.Stoneとかを想像してもらうのがいいかも
つまり全くの原始状態から、文明を作り上げること
前回論じていたように、まずは自然から何か生活に使えそうなものを調達することから始まる
家を作ることを思考実験してみる
自分は何も持っていないと仮定する。その場合家を作る際、まず何から始める?
どうやって木を切る?
まず木を切るための道具が必要になる
ココが肝になる
つまり、人間が作るものの中には、「別のものを作るための物」すなわち道具がある
道具自体は直接自分たちの生活に役立つ物ではないが、自分たちの生活に役立つものを作ることを、圧倒的に楽にする
そしてこの道具の連鎖(道具があるからつくれる道具がある)によって、ある時点では考えられなかったようなものを作ることさえできるようになる
Dr.Stoneだと、以下のような工程を踏んでいる
まず石器を作って、木を切れるようにし、紐を編んで色々なものを縛ったり吊るしたりできるようにした
そのあと土器をつくって薬品を作ったり保管できるようにした
大きな窯と、そこに酸素を供給するための装置まで作って鉄を生産できる体制を整えた
つまり、ある発明で手に入れたアイテムが、次のアイテムをつくるために必須の道具になっている
このように、道具は作られた時点で、ものづくりの前提条件を変える。そしてそれによって作られた道具が、さらに前提条件を引き上げる、という発展によって人間がつくれるものはどんどん高度になっていく
これがマルクスの言うところの「人間は何を考えてきたか」ではなく、「人間は何をつくってきたか」によって発展してきたと言う主張の根幹になっている
こう聞くと、確かに政治とか宗教とか哲学よりも、社会を変える力はになっていそうな気もしてくる
【32-4】 史的唯物論で歴史を捉える。文化は経済に対する後付け?ーマルクス、ドイツ・イデオロギー③【力と交換様式】
(前回まで) Dr.Stoneの例を使ったりしながら、人間は道具づくりの連鎖の中で、「つくれる物」を次々と増やし、 発展してきたと論じた
これは一言で言うと、生産性が増える、ということである
そして、生産性が増えることは、ただ単にモノ・富が増えるということ以上の変化を伴う
まずものが増えると、人間の欲求も増えてくる
それまで衣食住さえできればよかったのに、それ以上のものを望むようになる
そして人口も増える
生産力・人口・欲求が増えると、社会的な関係が構築され、それが変化してくる
それは分業という形を産む
この辺はアダムスミスとかの話とも同じだが、昔は全員で労働しないと全員分のご飯がつくれなかったのが、あるとき8割の人間で全員分がつくれるようになり、それが6割になり、3割になり…というように、衣食住の実際の労働をしなければいけない人間の割合が減ってくる
分業は、所有という観念とともに導入され、何かモノを所有し、それを交換したりして、衣食住をしていない人(例えば宗教家や政治家といった人たち)にも物資が行き渡るようになる
分業は最も初期の疎外形態であるという
簡単にいうと、分業が一度始まってしまうと、それを誰か個人の意思で止めたり、自分にとって都合のいいようにコントロールするとかそういうことはできなくなる
実際、今の社会でも、どんな金持ちであっても「分業のシステム」のなかにしか居場所はない
むしろ金持ちであることが価値を持つためには、この分業システムが維持される必要がある
つまり、「分業システムへの依存度」という観点で考えると、農家よりも資本家の方が依存しているとさえ言える
(今の農家はガソリンや薬品の供給が止まってしまったら生産性がとても落ちるので、全く依存していないなどとは言えないが)
こうして、人間の生活は「分業システムによって決定されるように」なる
人間の歴史とは、この「分業システム」が、生産性の増加を規定因子として変化してきた歴史のことをいう
さまざまな諸国民相互間の関連は、それぞれの国民が生産諸力・分業・内部的交通をどの程度まで発展させているかに依存する。この命題は普遍的に認められるところである。ー当の国民そのものの内部的編制もまた、総じて、その生産とその内部的・対外的な交通との発展段階に依存する。(ドイツ・イデオロギー(岩波書店) p.129)
「でもその分業システムを決めるのが政治や宗教なんじゃないのか?」結局、歴史を動かしているのは政治や宗教じゃないのか?というのがヘーゲル左派側の考え方になる
それは結果と原因を間違えていると、マルクスは論じる
ある社会において、ある宗教的や、政治思想が支配的になるのは、それがその時の生産力を最も有している階級にとって有利だからだ、となる
つまり、「物の生産のあり方」が支配階級をつくりだし、支配階級が「ものの考え方」を生み出す
認識が生産力をコントロールするのではなく、生産力が認識をコントロールする
このことを、下部構造と上部構造という言葉で論じる
ここまで見てきた「物をつくる力=生産力」と、それを社会が統合するあり方、つまり「分業の形態」(交通形態)が、下部構造であり、
政治や文化、宗教といったものが上部構造にあたる
人間の意識に上りやすいのは上部構造である
なぜなら、こちらが物事の認識形態だから
しかし、そもそも人間の社会を決定する「力」は下部構造の方である
下部構造は、生活の前提条件。つまり、我々が衣食住をしたりできる根拠とか、やらないといけない仕事の種類とか、そういったものを決めている
それに対して、上部構造は、そうやって生存条件が決まった後で、頭の中で考える「意味づけ」にすぎない
例えば、ある日突然人間に予想もできない環境変化が起きたりしたら、これまでと同じ価値観でみんな生きていけるだろうか?
おそらくその環境に適した価値観をまた新しくつくるのではないか?
コロナとかはそのいい例である
「これまで対面でやるのが当たり前」だったことは、色々なやり方で正当化されていた
会社の打ち合わせや面接は、対面でやらなければ失礼だし、人となりも分からないと言って、対面でやる事が正当化されていた
しかし一度環境が変わってしまえば、その環境に適した礼儀作法や正当化の論理が作られ、その一部はコロナが明けても残っている
つまり、「人の価値観や物の考え方」は、本当に我々の行動を決めている事柄ではない…というふうにマルクス的な理屈では考えられる
だから、我々の社会の変化を決定しているのは、下部構造であって、上部構造ではない
こう言って、マルクスは「哲学」から「経済学」へと重心を移していく
人間がどうやって物を作り、交換するシステムを運営しているのか、それを解き明かせば、社会のあり方がわかるはずだー。
そうして「資本論」の執筆へつながる
【32-5】マルクスの史的唯物論だけでは説明できないウェーバーからの反論ー柄谷の提唱する4つの交換様式【力と交換様式】
おさらい
マルクスは、人が何を作るか、そしてその生産システムの分業形態の発展によって、人間の歴史が作られてきたと考えた
これ(何を作るか、どう分担して作るか)をまとめて、「生産様式」と呼ぶ
マルクスの用語で言えば、生産様式の発展が、人間の歴史の下部構造となり、歴史を決定する。となる
しかしやはり、人間の歴史は「生産力の発展と、それによる分業形態の発展で決まる」というだけでは説明しきれないことがたくさんある
資本主義の発展には、プロテスタンティズムが不可欠であったとする論
出来高性による労働意欲の向上の、地域間の差を分析した
その結果、カルヴァン派のプロテスタンティズムの信仰者が多い地域だけが、仕事に熱心に取り組み、節制するような行動を取っていた
資本主義以前の社会では、自分の仕事に頑張って打ち込み、その結果得た富を消費するのではなく、節制したり投資に回したりするという発想はそもそもなかった
そうしてウェーバーは、資本主義の発展には宗教的観念が不可欠であるとし、上部構造が下部構造に与える影響を説得的に示した
以来、20世紀の思想では、下部構造論を採用するかどうかという点について様々な議論が生まれた
本書、力と交換様式は、その議論の延長線上にあると見ることができる
マルクスの論じた「生産様式による歴史発展」だけでは説明できないことを説明する理論を、マルクスをベースに考えた
結論は、社会を動かす力を、生産様式として捉えるのではなく、交換様式として捉えることで、より発展的な見方ができる、というもの
交換様式とは、「人々がモノとモノをどう交換するか」という交換のスタイルのことである
人は社会生活の中で、色々な交換をしている
例えば、コンビニで物を買うのも交換だし、
家族と家事を分担するのも、一つの交換である、
また、公共サービスを使うのも一つの交換である
我々は税金を払ったり、法律に従うことと引き換えに、公共のサービスの利用権を得ている
交換様式とは何か?
柄谷が交換をどのように定式化したのかというと、以下の4つである
A. 相互扶助などの、家族や特定の信頼関係の中で行われる交換(≒ 親密性による交換
B. 国家権力による税の回収と再分配といった、中央集権的な交換(≒ 権力による交換
C. 自由市場を介した交換(≒ 貨幣による交換
D. A.の高次元での回復(≒ 上記3つの、どれでもない交換(あとで詳しく話します
基本的には、3つだけ覚えてくれればOK
Dは、著者がある意味での希望を託す交換様式であるので、まだ定義が難しいと思われた
この本がマルクスに影響を受けているのは生産様式の話だけではなく、この交換様式についてもそうである
マルクスは、資本論で、自由市場における貨幣による交換」から生じる力について論じた
それが資本の持つ力であり、資本が一度力を持って駆動すると、人間はむしろその力によって行動を制限されるようになってしまう
柄谷は、この「交換様式が持つ力」と、それが制約する社会のあり方を、貨幣以外の2パターンについても分析することで、生産様式の話だけでは説明できなかった事柄も説明できるようになるはずだと考えた
【32-6】人類が権力という存在をつくりだす過程ー親密性による交換から国家による交換へ【力と交換様式】
人類の歴史は、3つの交換様式の重心が移り変わってきた歴史だと捉えられる
それに伴って、社会の形態も変わってきた、というのが柄谷の主張である
その中で「力」とは、人々が明示的・非明示的に従うことになる秩序のようなもの
資本主義では、貨幣が力を持って、そこに人間の活動がフィットするようデザインされる
マルクスは、資本論で、資本の自己増殖運動に人間が振り回されている構造を論じた
そのような分析を、資本主義以外の社会に対しても行えるのではないか?という発想
大筋のプロットは、親密性による交換に始まり、権力による交換が優位になる時代を経て、貨幣による交換へと至ったというもの
この筋書きを辿って、何を持って著者が「交換様式で歴史と、歴史を動かした力は説明できる」と主張しているのかを見てみる
古代(親密性による交換が優位な時代
この時代は「親密性による交換」が強かった
親密性による交換は、まず同じコミュニティ、士族の中で始まったと考えられる
それはせいぜい数十人規模のコミュニティである
ここで行われているのは、今の我々が想像する家族や地域での相互扶助関係と変わらない
そして古代は、コミュニティ間の交換についても、親密性による水平的な交換の枠組みを適応していた
最も顕著な例は、モースが贈与論で語った交換の図式である
モースは、ポリネシア、メラネシア、北西部アメリカなどを対象に考察し、贈与の互酬交換に社会の基礎を見出した
これらの部族では、相手との直接的な物と物の交換がなされたのではなく、贈与を繰り返すループ構造のような関係を築いていた
贈与によって、他の部族との双方向的な関係を維持していた
これは現代の市場取引のように、価格を決めるわけでもなければ、商品の受け取りを拒んだり、逆に多くを要求したりすることもできない
相手が差し出したものをただ受け取り、別のコミュニティに贈与するという関係
権力による交換とは何か?
親密性の次に優位となった交換様式
これはホッブズの例が最もわかりやすい
平等だった人々が、自身の生存権を国家に委ねるという契約を結ぶ
この契約こそ、権力による交換に他ならないという
人々は自由を差し出して、その代わりに保護を得る
現代の我々もこの契約を行なっている
我々は、自由な速度で車を走らせたり、憎い相手を殺す自由を奪われる代わりに、治安維持の仕組みを手に入れている
また現代の国家では、税金を払う代わりに社会保障を得るというより金銭的に考えやすい交換もしている
契約は、互いの同意に基づかない限りは力を持ち得ない
従うものと、従わせるものが互いに役割を演じることでしか、国家は成立しない
逆に言えば、みんなが従っている状況こそが力を生んでいる
つまり、親密性による交換から、権力による交換への移行とは、小さなコミュニティがバラバラに存在していた状況から、より多くの人々が同じコミュニティへと束ねられ、国家を形成するという過程のことをさしている
親密性による交換から、権力による交換への移行期を象徴している一つの事例が、ゲルマン社会の封建制だったという
ゲルマン社会では、小さな士族社会が集まっていた
日本の例でも考えてみる
日本は確かに徳川家が天下を取っていたが、ここの農民や武士が従っていたのはあくまでその藩に対してである
ここに、士族社会の名残が見える
少なくとも、現代的な意味での国家ではないし、権力による交換の完成形ではない
だから、薩摩藩が幕府に反抗する、みたいなことが普通に起きる
現代で、埼玉県が東京に反抗する、みたいなことが起きるだろうか?
士族社会には、親密性による交換がまだ残っている
それは単に地域社会が根強い、というだけではなく、武士と農民の間にも、互いに果たすべき事柄「武士はこういうものだ」「農民はこういうものだ」という約束事があって、それが安定していたから江戸時代はあれほど長く続いていたとも言える
国家が成立するためには、何らかの人間個人とは「格の違う存在」を設定しなければならない
リヴァイアサンのこと
格の違う存在と、それ以外の全ての平等な国民、という観念があって初めて、「権力による交換」の図式が確立される
日本ではそれが天皇だったし、
西洋では絶対王政の王権神授説がそうであった
つまり何らかの宗教的権威を後ろ盾にすることで、それ以外の人間全てよりも一段高いところにあって、人間を束ねる正当性を担保することによってしか、権力による交換様式が完成しない
こうして、それ以前の土着的な地域の意識(藩の意識、部族の意識)は弱められ、代わりに国と自分たちという意識が醸成される
これで近代に片足を突っ込んだところまできた
では近代に完全に入るには? -> 貨幣による交換が台頭する必要がある
【32-7】なぜ資本主義<貨幣による交換>はここまで広がったのか?ー交換様式でみる国家と貨幣の相補関係【力と交換様式】
前回、古代から近代に流れるまでに、親密性による交換から、権力による交換へと社会の力の重心が移っていく歴史をみた
絶対王政や国民国家が誕生すると、それ以前の士族社会の論理とは異なる論理で社会が結合される
一点、仮に「権力による交換」が力を持つようになっても、親密性による交換が完全になくなるわけではないということに留意
国家が形成されても家族や地域社会の中での交換は残る
今回の主題は、貨幣による交換、がどのようにして形成され、最終的に大きな力を持つようになったのかである
まず、誕生自体は「権力による交換」と同じ時期である
中央権力と、市場は、二人三脚的に拡大してきた
権力による交換、ここでは大きな国家(帝国)と、貨幣による交換の二つの成立条件を考える
二つが成立するためには、それ以前、つまり親密性による交換が十分に活発である必要がある
コミュニティとコミュニティの取引が円滑に行われているということ
モース的に言えば、贈与関係によって、コミュニティ同士が相手への信頼を強めている状態
コミュニティ通しのやりとりが活発になっていくに従って、結婚相手や農作物など様々なものが交換されるようになる
そうすると原始的な貨幣として、羊や貝が使われ始める
しかしこのような貨幣はより広い集団では使えず、あくまで「親密性による交換」という関係が維持できる範囲でそれを効率化する程度のものになる
本当に貨幣による交換がなされるためには、やはり貴金属の貨幣が誕生する必要があるが、そのためには国家が必要だった
実は、権力による交換(国家)が生まれるためにも、上記のような条件が整っている必要がある
帝国といっても、周辺の地域で全く信頼関係や、交換の関係がない場所につくるのは難しい
例えば遊牧民を無理やり集めて今日からここで暮らせ、といっても成立しないだろう
特定の土地で、その周囲の社会関係(信頼関係)が十分に発展しているような場所の方が国が生まれやすい
帝国への加入というと、植民地化されて収奪される、という印象があるかもしれない
確かにそういうケースも少なくないが、人々がモノの交換と、治安の安定のために、統治を望んでいる、という側面もあった
それぞれの集団は、もっと安定的かつ、効率的に物を交換したいという欲求もある
だから帝国は都市とそれを繋ぐ道を作る
さらに通貨も統一する
国家が秩序を作ることで、治安も安定する
こうして権力による交換と、貨幣による交換がどちらも成立する、という事態が起こる
初期の例は、紀元前15世紀ごろのヒッタイト(今で言うトルコ)や、ペルシア王国(紀元前400年)などがある
しかし古代の帝国では、当然資本主義は発展していない
つまり、貨幣による交換の力はそれほど強くならなかった
それは国家が、借金の上限を作ったり、再分配の機能を果たすなどして、貨幣による交換の力が強くなりすぎないように制御していたからである
近代になって貨幣による交換が力をつけたのは、資本の種類として全く別のものが出てきたから
古代からあったのは、商人資本と金貸資本だった
つまり安く買って高く売るか、利子で儲けるかの二択しかなく、これは先に述べたように国家による規制で力を持ちづらい
近代には、産業資本が力を持つようになった。そのことが結果的に貨幣による交換を最も優位な交換様式へと押し上げた
なぜ産業資本が力を持てたのか?
マルクスなら生産様式の発展で説明するのだろうが、柄谷さんは他の要因も挙げている
まず、マックスウェーバーが論じたプロテスタンティズムの論理
規律・禁欲・勤勉という発想。稼いだお金を使うのではなく、次の生産へと回す、という発想
そして絶対王政によって生じた「労働力商品」
こちらはミッシェルフーコーが論じている
絶対王政下で、教育制度などが作られ、特定の職を持たない自由な労働者が存在するようになった
これは元々は国家の常備軍を作るという目的の仕組みが副次的に機能したものである
このようにして、権力による交換の具現化した形である国家という仕組みが十分に発達した西洋において、貨幣による交換が優位になるまでの経緯を見た
【32-8】資本主義とナショナリズムを乗り越える道?ーイエス・キリストやソクラテスにみる第四の交換様式【力と交換様式】
現代の社会(西洋や日本)は、貨幣による交換が優位で、それを権力による交換や、親密性による交換が支えている、という形
一番力を持っているのは貨幣による交換のロジックだろう、ということ
マルクスは、この貨幣の交換ロジックが、人間を支配するようになり、結果的に人間のための経済システムではなく、資本が増加するという運動のために人間が奔走するようになることを問題視した
これだけ生産力が増加したのに、労働時間は全然減っていないとか、環境問題が起きていると分かっているのに、経済システムを止められないとか、そういうことが現代的には問題にされている
柄谷の発想に倣えば、交換様式が力の源泉をつくっている以上、貨幣による交換が優位な間は、この力学から逃れることはできない
これはマルクスの発想と同じである
かつての共産主義革命、例えばソ連で起こったものは、貨幣による交換を打ち倒そうとした
しかし結果的に、彼らが頼ったのは権力による交換の方であった
つまり、貨幣による交換の力を弱めた代わりに、中央集権的な権力の力を強めただけだった
だから当初マルクス主義者が夢見たようなユートピアは実現されなかった
実は国家仕組みも、貨幣による交換と切っても切り離せないような関係を築いているのが現代の構造である
だから国家という仕組みが多少優位になったところで、貨幣による交換の力は揺るがない
近代に成立した「国民」という概念と自由市場が結びついたことで、単純に交換様式を昔の形に戻せばいい、ということにはならなくなった
実は国民という概念は、これまで見てきた3つの交換の全ての側面に通じている
親密性という点においては、我々の郷土的な精神に結びついている
「親密性による交換を取り戻そう」という話をすると、その親密性という言葉の中に、どうしても国民や国家という登場する
つまり、親密性による交換を復興しようとする発想は、いつの間にか権力による交換の話にすり替わっていってしまう
これは、具体的な労働運動を組織しようとか、地域社会を盛り上げようという話を考えても、初めは数人の親密な関係で始めたはずが、より力を持とうと組織を大きくしていくと、いつの間にか国民的なアイデンティティを利用することになるのが、実例である
そして先に見たように、国家は近代的な教育や社会福祉を提供することで、労働者を創り上げ、市場に供給する役目も持っている
貨幣による交換、が優位でい続けるためには、労働者が供給される必要があるため、貨幣による交換は、権力による交換を完全に駆逐したりはしない
このようにして、親密性による交換は弱まり、その一部は国家という枠組みに回収され、国家は貨幣による交換を支える範囲での力の発揮に留まる
ある意味で、いい具合にバランシングされている
逆に言えば、ガッチリハマってしまって、変更を加えることが難しい状況に置かれている
だから、柄谷氏は3つの交換様式ではなく、4つ目の交換様式が現れる時に、社会は新しい可能性に開かれると考えている
そしてそれは、「親密性による交換の高次元での回復」であるという
古代において、その交換様式の片鱗が見られた
柄谷はゾロアスター、モーセ、イエス・キリスト、ソクラテス、中国の諸子百家(墨子)などに、その交換様式の片鱗を見ている
(自分の言葉では)柄谷が提案しようとしているのは「普遍的な交換」というふうに言える
他の交換様式は、常に何らかの条件付きの交換であり、特定の偏りを産むような交換だった
親密性による交換は、相手を限定し閉じた交換を産む
権力による交換は、イメージ通り中央に力を集中させた偏りのある交換
国家という形で内側と外側を分けている
貨幣による交換は、お金を持っていることを条件に、誰でも参加できるものだが、資本を富める者へと集中させる
このような交換様式が力を持っている以上、力の偏りや、(強い言葉では)差別的な行いが起こる
家族や国家というものも、枠ぐみを安定させるために、外部と内部をわけるという力になる
特に国家は、外部から収奪をするという行いを時に正当化するようにまでなる
先にあげたイエス・キリストやソクラテスは、普遍的な関係を説こうとした者たちである
イエスは、親密性による交換も、権力による交換も否定した
王という形で、人間の中に序列をつけることを否定し、さらに家族や共同体すらも否定した
家族だけを特別扱いするのはおかしい、という発想だった
神殿から商人を追い出し、貨幣の力も否定した
イエスのいう隣人を愛せよ、とは共同体的な近くにいる人を愛せよという意味ではなく、むしろ自分から一番遠くに感じられる者(罪人や病人)を愛せよという意味だった
ソクラテスやモーセなど、他の人にも共通しているのは、彼らが特殊的な利益(自分の利益、自分のコミュニティの利益)を追求したり、貨幣の力を使おうとしなかったことである
そうではなくて、何か別のもの(例えばソクラテスなら、普遍的な真理に近づいて、善く生きること)をよりしろに、人々を導いたり、自分の行動原理にしようとした
柄谷は、このような普遍的な発想が、主要な交換様式となった時、現在の3つの交換様式を乗り越えることができるだろう、と論じた