第31回 イスラエル建国を通して考える国民の定義
SYUMIGAKUの第31回目のシリーズでは、「ユダヤとイスラエルのあいだ -民族/国民のアポリア- (早尾 貴紀, 2008) (青土社)」について話しました。
本書は、イスラエルとパレスチナの現状の戦争の問題や、政府の内実等についても話をしつつ、メインではイスラエル建国までに行われていたユダヤ系哲学者の議論について論じています。
全員がパレスチナの地にユダヤ人国家を建てようと思っていたわけではなく、アラブとユダヤが共存する形での国家像について模索していました。
ユダヤ人国家を建設することは、ヨーロッパの国民国家の反省を踏まえてないとして、ユダヤ人でありながらシオニズム運動と戦い続けた哲学者の議論を紹介します。
台本を見たい方は、 こちら にまとめています。
【31-1】ユダヤとイスラエルの歴史と現状の振り返り【イスラエル建国を通して考える国民の定義】
ユダヤとイスラエルのあいだ
前に話をしてきたが、宗教戦争でもないし、外交的な側面もある
イスラエルが悪いとも言い切れず、イギリスの3枚じた外交があったり、ナチスのホロコーストもあったり
この本はイスラエルという国が創られるまでに、どういう葛藤があったのか、を哲学者の議論として描く
何があれば国なの?国民ってなんなの?作れるの?
イスラエルという国の建国を通して、我々日本人も含めた、国民とは何か?をそこにあるアポリア(矛盾)を考えていく本
ユダヤとイスラエルの歴史
軽くおさらい
アラブ諸国がイスラエルとの国交正常化に乗り出している
アメリカからの働きかけが強い、中国に対する対抗の意味合いも込めて
パレスチナ、という地の宗教的な意味合い
ローマ帝国時代のディアスポラ、からのキリスト教国教化からユダヤ教徒の迫害、シオニズム運動へ、イギリスの三枚舌外交、ナチスのホロコースト
今のイスラエルとパレスチナの状況
ネタニアフ首相のアメリカ訪問と、議会でのトランプ前大統領の行動を賞賛
エルサレムをイスラエルの首都にする、など
ハマス最高指導者のハニエ氏死去
停戦交渉のためにカタールを拠点に、いろんなところに働きかけをしていた人物
イランの新大統領の就任式で訪れていた時に、イスラエルによって殺された、と見られている
イランの最高指導者ハメネイ氏が、イスラエルの攻撃を指示しているとのこと。
ヨルダン川西岸地域でもデモ活動が起きている
ヒズボラと合わせて、中東全体を巻き込んだ戦争に発展していくことが予想される
今回話すこと
思想史の大枠
日本との繋がり、国民という広い定義についての矛盾
その後イスラエル建国に至るまでの哲学的な論争を見ていく
最後に、これからイスラエルとパレスチナの国家というのがどこへ向かうのか、を見ていく
日本もアメリカ側としてこの状態を作る一員を担っている
【31-2】シオニズムとは。ユダヤ人問題の始まりとイスラエル建国まで。イスラエルと日本の類似点。【イスラエル建国を通して考える国民の定義】
話の前提(まえがき)
この本はイスラエル・パレスチナ問題を直接論じるものではない
近代世界における国家、国民、民族、といったものを理論的かつ歴史的に問い直そうと思った時に、ユダヤ人問題にぶつかったから研究してる
ユダヤ人問題の始まりとイスラエル建国まで
フランス革命とヘーゲル哲学が大きな流れを作った
ヘーゲル左派の主張
信仰の自由のもと、宗教を問わずに市民権を平等に保障するべき
そこから、1848年革命の挫折と反動化を経て、シオニズム運動が始まった 1862年のヘーゲル左派の中心人物であるモーゼス・セスのローマとエルサレムが代表的 ドイツのユダヤ人哲学者
これらはユダヤ教徒のフランス国民、ドイツ国民というのを認めなかったために、ユダヤ民族の国家を作ろうというナショナリズムをユダヤ人に生み出した
これはユダヤ人を排除したいヨーロッパも、ユダヤ人自身も受け入れていた(その当時の常識だった)
その後、人種主義的反ユダヤ主義は、ナチスのホロコーストで頂点に達し、ユダヤナショナリズムもヨーロッパの土地から出て領土主義的なシオニズムに発展していった
そして、1948年にイスラエルが建国される
イスラエルと日本の類似点
両国とも、ヨーロッパを目指して、周辺国に植民地等を作り階層構造を作ることで、国民化を加速した
ヘスの著作とヘルツルの著作の時期(1860~1890年)のシオニズムの発生時期は、日本が北海道と沖縄へ侵攻して占領した時期と重なる
琉球王国は、1872年に明治政府によって琉球藩として日本の統治下に完全に置かれる アイヌ は、明治2年(1869年)、蝦夷地は北海道と改称され、同時に開拓が本格的に開始される。 屯田兵や一般の農民が次々と入植し、和人の人口が増加した。戸籍制度において、アイヌの人々は日本国の「平民」とされる。
これは、アメリカの同盟国として、軍事戦略上重要な前哨基地をなしているという点が主たるポイント
【31-3】日本人とは?国民とは?どう決まっている?イスラエルのユダヤ人定義から考えてみる【イスラエル建国を通して考える国民の定義】
はじめに
日本国民って誰ですか?
問いとしては、近代の産物である国民国家における国民とはどこからどこまでなのか?、ということ これは歴史が古く海に隔てられ続けていた日本にも言えること
正当性を神話や伝統に依拠するのは、よくあるロジックであり、それだけで片づけられる問題ではない
現代の国民とは間違いなく、民族的同一性では説明できない(文化とか、人種とか)。実態としては、政治的決定によって線引きされている
しかし、国民は法的存在ではなく、民族的な実態であるという幻想は根深い
しかし、法的線引きだけで全員を同一の国民として全員が扱えるかというとそうではない
亡命したり移民に対して国籍が付与されて、制度上の国民として認められたとしても、その人たちが「真の国民」として受け入れられるわけではない
実際には、本来的国民という理念的前提が共有されており、新規の国民においてもそれを身につけるべき努力を重ねることが求められる
その本来性に従属させられる、ということもできる
ただ、定義として、本来的というのが、本来的国民が持ちうるものである以上、非本来的な新規国民はどう頑張っても完璧に本来性を獲得することはできず、無限の同化過程に置かれることになる
tanimutomo.icon でも、本来的国民というののも、どこまで辿ればいいのか、ということになる。愛国心とはなんなのか、という問いと一緒で、辿り続けられる以上は、本来性のようなものをどこまで議論することに価値があるのだろうか?
確かに、その時点で形成されている本来性、ということはできるかもしれないが、そうなると全員がグラデーションになるので、本来性を完全に獲得している人間などいないことにもなる
しかし、この本来的なものは本来的、非本来的なものは非本来的、という定義が自家撞着を起こしている以上、恣意性によって自己破産するため、現代では法的な線引きに頼っている。それ自体が、国民というのものを法とは無関係なものに頼って成立させることができないことを示している
結局意味をなしてない
イスラエルの帰還法とユダヤ人
ユダヤ人の定義
イスラエルには憲法がなく、独立宣言やこの帰還法をはじめとする基本法体系しかない
そこではユダヤ人のみが本来的な国民であり、アラブ系住民(パレスチナ人)は国籍はあるが、二級国民(非本来的な国民)とされている
ユダヤ人とは誰か
人種、宗教、文化による定義がないわけではないが、実際には曖昧
ユダヤ教を信仰するもの、とか、母をユダヤ人に持つもの(母系主義)、とか、文化的にユダヤ人な人、とか
イスラエルの現実政治における線引きは、四祖父母の中に一人でもユダヤ人がいるもの、は帰還の権利を有する、となっている
そういった人たちを救済する、という意図が見える
しかし、これは言い換えると、ナチスの「血のナショナリズム」を共有している、とも言えてしまうが
四祖父母 = 四親等
https://gyazo.com/a5d86c144e8d7480d993ff854bf91631
また、より現実的な問題として、対アラブ・パレスチナに対する優位を築かなければならない、というのもある
人口比は重要であるため、ゆるくユダヤ人を定義して、できるだけ多くの人をユダヤ人として迎え入れる必要もある
これによって不純化も起きているのは事実としてある
【31-4】国民の矛盾。日本国民がどう作られて、現在はどう定義されているか?【イスラエル建国を通して考える国民の定義】
エチオピアからのユダヤ人移民
エチオピアにはユダヤ教に共通する文化や、建国神話があり、ユダヤ教起源が信じられている
ファラーシャと呼ばれるエチオピア教でキリスト教にならずにユダヤ教を信仰する人たちが、1975年にユダヤ人として認定され、その後二度にわたってイスラエルへ22000人が移民した
その後もイスラエルに行きたくて、ユダヤ人を自称するものたちが出てきているが、イスラエルでは差別されてたりする
イスラエルの中での葛藤
ユダヤ人を増やしたいので良いこと
シオニズムの人たちはヨーロッパ出身だが、エチオピアはアフリカなので、人種的に受け入れにくい、差別
イスラエルの正統派ユダヤ教徒は、ファラーシャムラと呼ばれる祖先がユダヤ教だったとするキリスト教徒までもをユダヤ人と認めることに反発
これらの全てに妥協しつつ、毎年数千人が移民している
そもそも、その神話が事実ではないという研究が、主流になっている
14世紀あたりのルネサンスらへん?に原点回帰が流行ったせいで、旧約聖書を読む人が増え、その流れで自らをそこに投影したのではと言われている
証拠となってる文献もその辺しかない
これは神話の政治利用とも言われている
日本の帰還法と日本人
日本にもイスラエルと似た血統主義に基づく四親等基準の帰還法がある(改訂入管法、1990年がそれ)
四親等以内に日本人がいればよく、日本人の証明は戸籍によって行われる
戸籍とは何か?
天皇教徒名簿、とも言われる。実は天皇には戸籍がない。
その意味では天皇という神話に基づいて帰還法ないしは日本人というものを規定しているとも言える
tanimutomo.icon ちょっと無理やり感あるけどな
戸籍は、1872年(明治5年)に壬申戸籍というものが作られたのが最初
これを持ってないと、外国人扱いされて、いろんな国の保護を受けられなかった
この頃に徴兵令が出されてることからも、徴兵が目的だったことがわかる
登録対象は住んでる人全員だった、特に外国から来た人とかの区別はなかった(居住者原則)
しかし、戸籍というのは紙切れだけの話であり、自由に売買できるため、事実上それで血統主義的な国民を定義することはできない
実際に戸籍を買って違法入国している外国人はたくさんいる
というか、そもそも最初に戸籍を作った時点で居住者原則なのでその時点で矛盾している
血族的に見せて、起源としてはその原則に矛盾している
国民とは誰か
イスラエルはシオニズムから来る純粋なユダヤ国家という理念を、日本は天皇制と戸籍制度を捨てようとはしない
しかし、人種的な管理の試みは最初からすでに破綻していて、継続できるものではないことは明らか
この状態で多文化主義というのが多くの国で語られている
しかし、実際的にやっているのは、多様性や他者性や差異を肯定する、という本当の多文化主義にはなりえてない
今やってるのは、善意や寛容さという言葉で、国民/外国人という区分がある前提で、外国人を管理する、という構造はそのままにしようとしている
X アレントが提起した難民における国民からの国籍の剥奪という問題定期に、現実政治への反映を試みたのが、セイラ ベンハビブというこれもユダヤ人女性 現在1947年に出された世界人権宣言で保障されているのは、出国の権利のみであって、入国の権利は保障されてない
しかし、これを民主主義的な活動の中におき、流動的な交渉のもとで判断できるようにすることで、市民と外国人、我々と彼ら、という区分を削り落としていくプロセスができるのではないか、と主張した
外国人があらかじめ存在するわけではなく、法が外国人を作り出している
それにもかかわらず、外国人がいるから法が必要だとされる悪循環に世界は陥っている
我々の中心性と確実性を信じて疑わないマジョリティの内部においてこの問題を考えることが重要
tanimutomo.icon 現代思想入門でも書かれていた、差異が同一性に先立つ、という考え方にも通ずるところがある 【31-5】イスラエル建国における葛藤と矛盾。デリダのアメリカ合衆国独立宣言の分析から考察するイスラエル独立の無根拠性【イスラエル建国を通して考える国民の定義】
イスラエル建国の葛藤とそこに存在した矛盾・アポリア
シオニズム運動というのは、ヨーロッパの特定民族のための国民国家というところの限界によって生み出された
この究極的な表れとしてのナチスのホロコーストという経験もあった
だからこそ、それを乗り越えられる新しい国家を構築するべき、というのがある
しかし、それが民族に限定せずに、形式的に国民を定める国民国家を作るという話になると、それであればヨーロッパ諸国を形式的な国民を受け入れる国民国家とした上で、その一員としてのユダヤ人でいいではないか、と
実は、バイナショナリズム(二民族共存国家論)は、イスラエル建国の前からイスラエル国内でも様々な議論がされてきた(アレントもその一人) 建国に着目してみよう
そもそも、ヨーロッパ的な国民国家を超越する原理を国家の内実として持ちえたか?ということに関しては、アメリカの建国原理が思想的には参考になる
そして、実はイスラエルの建国とアメリカ建国には類似点が結構ある
まずは、デリダのアメリカ合衆国独立宣言の分析を見てみる 署名が署名者を作り出している、宣言によって国家が作られる前段階においては、「我々」などと総称して主張できるような概念は存在しない。しかし、そのように行為遂行的であるにも関わらず、あたかも事実確認的であるかのように振る舞っている
これら連合植民地は、現に自由で独立した諸邦であり (are)、かつ (and)、当然の権利としてそうあるべきである (ought to be)。
宣言に書かれている人民とその権利は、究極的には自然と神によって保障されている、としている。また、「である」と「であるべき」というこれまた事実確認と行為遂行が、宣言の中でandで結び付けられている。この2点からデリダは「このandが神である」と結論した。
この署名の審判をするには神が最も妥当であり、神の名の下で、「である」と「であるべき」が結び付けられている
これはある意味で国家の正統性の無根拠さを暴いている
また、インディアンのへの言及はネガティブなもの1つだけで、枠の外に置かれており、問題のすり替えと暴力の隠蔽があると言える
次にイスラエルの国家独立宣言を見ていく
彼らが代表しているのは、パレスチナの地におけるユダヤ人だけであり、アメリカと同じ。アラブ人への言及も消極的な1箇所だけ
また、移民や将来の構成員(ユダヤ人)に対しても代表をしているため、その意味でユダヤ人国家であることが見て取れる
独立はユダヤ民族の自然の権利といったり、最後に神への信仰と共に宣言を締めていることからも、ここでも神や自然の名の下に正統性を主張していると言える
アメリカと同様に、宗教、人種、性別に関係なく、自由や平等を宣言している箇所がある
しかし、実態としてそうなったことなど一度もないし、ユダヤ人前提で書いてある箇所もあるため、そこにはある種の二重性が存在する
結論として、建国時の独立宣言を読み解いていっても、そこに矛盾に対する解は存在してない。むしろ隠し、神に訴えることで正当性を担保しようとしているだけ。
結果的に単一民族国家となったイスラエルだが、そこで繰り広げられてきた理論のせめぎ合いや展開を見ておくことには、今日の国民の問題を考える上で重要な示唆になる
純粋なユダヤ人国家を目指すか、二民族共存国家を目指すか、市民の国家(民族的等質性を前提としない形式的国民という意味での国民国家)を目指すのか
【31-6】ブーバーによるユダヤ・アラブの二民族共存国家論。正統派のユダヤ教運動から構築される共存国家の実現可能性【イスラエル建国を通して考える国民の定義】
ここまででユダヤ人国家を作ることは、ヨーロッパのユダヤ人排除の論理を肯定することになり、同じ道を辿ることになる、というジレンマを抱えている、という話をしてきた
この特殊性と普遍性が、ここから全てのアポリアの起源となる
ブーバー
ブーバーは、パレスチナに移民をして以来、一貫してアラブ・パレスチナ人との共存を訴え、ユダヤ人でありながらも分割国家としてのイスラエル建国に反対した
ブーバーという人間について
影響を受けたのは、色々ある
ユダヤ教でも、カバラー(神秘主義の一つ)、ハシディズム(民間信仰から生じた敬虔主義運動)など、正統派とな異なる流れからの影響も 新約聖書も含めたキリスト教思想研究もしていた
社会主義運動や思想からも
ハシディズムと、社会主義思想の融合がテーマ?
ユートピアへの途で書いている
プルートン、クロポトキン、マルクス、レーニン、などの共産主義、社会主義、無政府主義を唱えた思想家についてそれぞれ検討を加えた後に、共同体構想についての実験をユダヤ人のパレスチナ入植のスタイルを例にとって記述している 共同体構想
ハシディズムは、今・ここ、を重視する現世主義(神秘主義というよりは)
救いの日常性
そして、神は超越的な絶対神ではなく、二人称で呼べる相手
つまり、神への愛は隣人愛と同列であり、宗教はそのまま他者との倫理につながる
つまり、いま・ここの生活は、他者との関係構築、ひいては共同体の形成につながる
こうして、ハシディズムという特殊ユダヤ教の研究から、普遍的な共同体の思想を導出している
これがアポリアにつながる
ブーバーのランダウアー解釈
国家とはクロポトキンが考える通り、人が革命によって破壊することができる制度ではない
国家は一つの人々の間の関係の様式であると、そうすると、人が国家を破壊するためには、お互いが今とは別の関係に入り別の態度を取ることによって成し得る
その別の関係を、ランダウアーは民衆(Volk)と読んでいる
つまり、国家と並んで民衆である共同体(孤立した個人の総和ではないもの)が存在している
民衆は、民族的なアイデンティティ、民族が持つ内面的な現実、国家化や政治化が廃止されたときにも残るもの、を持っている
tanimutomo.icon つまり国家が滅んだとしても共同体も解散とはならないよ、ということかな
そして、この共同体の永続的な素地となるのが、言語、伝統、共同運命の記憶による人々の相互の親近である
この共同体実存を建設することによって、民衆は自らを新たに建設することができる
共同精神(共同運命の記憶)にとっては、土地が、再び人々との共同体的な生活および労働の担い手となることによってのみ、共同精神のための場所が存在するため、この大地以外には存在しない
ポイント
まず、革命はまさに今あるこの社会から人間の関係を変えることで始まる、ということ
tanimutomo.icon マルクスの主張に似ている?東大全共闘のやつにも同じような話が出てきた
tanimutomo.icon イノベーションも行動変容から、みたいにいう。チープだけど。
つまり、革命の目的は、国家を打倒して新しい国家を建設することではなくて、有機的な人間結合による共同体、自発性と相互性による共同体を作ること
これだったら今、ここで、やれるよね
民衆が民族化されていく流れにおいて、民族化のために共同的な記憶の重要性を説いている
これが、ユダヤ人共同体の正統化への流れであり、パレスチナという土地の重要性につながる
つまり、古代イスラエル(複数の宗教の人々が共生していた時代)と、現代イスラエルのつながりを想像 = 創造する、ことでこれが達せられる
土地の問題を語る際に、精神的な面が強調されている
精神を無視した政治的移民は、ただ新しい場所にもう一つの国家を作るだけなので、この精神が宿っているパレスチナという土地にしか、共同体は成立し得ない、と言っている
【31-7】社会主義共同体実験としてのキブーツ入植村の本音と建前【イスラエル建国を通して考える国民の定義】
経済と血と土地のイデオロギー
ユートピアへの途の最後の部分で、もう一つの実験として、パレスチナの地におけるユダヤ人入植村について言及している
社会主義、無政府主義思想の検討の流れからランダウアーを経て、論理的な必然性を持ってユダヤ人入植村の協同組合について語っている
キブーツ
入植村の協同組合
一般的なイメージは、社会主義的共同体で、自給自足、私有財産の否定、雇用関係の否定、事故労働の実現
理想の社会主義的共同体の実験例、として長く注目されてきた
大体の研究がこのイメージを前提に書かれている
キブーツの実態は、そうではない。実証研究から批判的な考察をした大岩川和正
現代イスラエルの社会経済構造、という著作
その中の、経済イデオロギーの批判と、血と土のイデオロギーの批判、の2つが関わってくる
キブーツの起源と実態、4つの否定
入植に必要な資本と労働力の大部分は海外に依存
低賃金のアラブ人労働者の雇用も多い
階層化されたロシア系移民も低賃金
tanimutomo.icon ソ連のユダヤ人迫害のために、階級が下に扱われている、ということかな?
生産も自給自足ではなく、外部との取引用の商品生産を行っていた
私有財産の否定も、あくまでキブーツ内部の立場においてのみであり、これを一つの主体として外から見れば、あくまで資本主義的な商品生産によって富を蓄積していた、と言える キブーツは別に一つではなく、複数あった
今もまだあるけど、給与も払われているし、普通の企業や町と変わらなくなった
となると、キブーツは認識論的な意味におけるイデオロギー的な存在であり、社会主義シオニズム自体が漠然とした形の理想主義であった、と言える
だとしたら、キブーツ入植村というのは、どういう役割を担っていたのか?
それが、新しい国家経済の創出であり、経済基盤としての土地所有をいかに確立するか、という課題に対する解決策と言える
相互の依存という形の上に、お互い見ていた方向性は同じだったと言える
政治からしたら、入植活動を正当化したいし、文化からしたらちゃんと現実の土地を入手したい
❌ そもそもの話として、世界シオニスト機構が、結成当初からナショナルな次元においてのユダヤ人のパレスチナ入植を基本政策とて定めていた これは、つまりユダヤ人勤労者によるユダヤ人国家の建設を目指していた、ということ
土地の排他的占有やアラブ・パレスチナ人の安価での労働者というのが、結局最初からユダヤ人国家を目指していた、と指摘されている
このナショナルな土地所有の問題から、血と土のイデオロギー批判に移る
19世紀ヨーロッパに顕著だった血と土の共同体としての国民国家思想は、政治シオニストに受け継がれて移民によってパレスチナにも渡ってきた
大岩川は、血の思想に基づいた「家族 - キブーツ共同体 - ユダヤ民族」という同心円的な階層構造があると指摘している
キブーツという村落を一つの大きな家族的な社会単位として形成することで、そこからユダヤ民族まで思考を広げるための階段にしていた、ということ
つまりキブーツが家族と民族をつなぐ媒介となって、それが血というフィクションでつながる、ということ
その後の実態と役割
イスラエル建国後にこの思想はどうなっていったか?
イスラエル建国によって、民族 = 国民となり、血は国民国家の一体性を保つ紐帯の役割を担うことになる
しかし、国民になったことで、共同体のフィクション性はさらに増していくことになる
まず、民族より国民の方が内実を伴わない形式的なものである
そして、帰還法によって世界中から多様なユダヤ人がイスラエルに移民してきた
だとしたら、血のイデオロギーもキブーツという入植村も、役割を終えたものとして捨ててもいいのでは?
実際に経済に対する影響はもうすでにかなり小さくなっている
しかし、イスラエル国内の人口が多様化すればするほど、象徴としての入植村はますます参照される
それは、イスラエルが結局他民族ではなく、ユダヤ人国家として建国されたためで、国民国家としてのアイデンティティを保つために、入植村の記憶とその象徴性が必要になる、ということ
つまり、これが理想的国家像の回帰点になっている
tanimutomo.icon 元々のキブーツは、社会主義的で共同体というところから始まっていたはずなのに、今ではただのユダヤ人国家になっており、そこに自ら矛盾する形なってしまったわけだが、それでは本来のシオニズム運動を自ら否定することにもなりかねないので、どうにかキブーツのような理想としての共同体的国民国家のアイデンティティが欲しい、ということなのだと思う
普遍性と特殊性
イスラエルという存在は、普遍性と特殊性を同時に主張せざるを得ない
形式的な国民国家か、特定の民族国家か、など、いろんなものがある
大岩川さんの言葉としては
ナショナリズムとしてのシオニズムは、ユダヤ史固有の価値を絶対化するが故に、現代のイスラエルの特殊性、唯一性を強調する
tanimutomo.icon パレスチナへの土地と精神の紐付きのロジックなどかな
しかし、国際政治運動としてのシオニズムは、それの建国と存続とに客観的に正当性を与える手段として普遍的な価値観に依拠せざるを得ない
tanimutomo.icon つまりこれが形式的な国民国家としてユダヤ人も含めた多民族国家を作り上げる、ということなのだと思う。それに変わる正当性が示せるなら別のロジックでも良いが。
ブーバーの共同体論もこのアポリアの中になった
我と汝の普遍性と、ハシディズムという宗教思想の一支流の特殊性、その双方の緊張関係の中にある共同体論は、アポリアそのもの
大岩川によると、汝との関わりによる共同体論は普遍的であると同時に、特殊ハディシズムからしか生まれなかった
ユートピアへの途の中で、自らこのアポリアの中にあることを認識していたかのような記述まである
おわりに
こうしてたどり着くのは、結局アポリアである
特定の国境を持つ国家を創設する起源、つまり法を制定する起源については、究極的には無根拠にならざるを得ない
このアポリアの探究は、ベンヤミンからデリダへと引き継がれた法と暴力を目ぐる問題を深化させることに向かうことにもなるし、日本という国家と国民の歴史と現在を根本的に問い直すことにもつながるだろう
【31-8】哲学と国語が国民国家形成に果たす役割。カントによる理性の基盤としての大学から、近代国民国家形成のための文化の大学への変容【イスラエル建国を通して考える国民の定義】
アレントの前提
アレントはユダヤ人国家としての建国は反対しており、その意味ではシオニズムとは一定の距離をとっていたと言える
実際に1945年にシオニズム再考という著書では、シオニズム右派・修正主義に対する批判は容赦なかった
しかし、第3次、4次の中東戦争の勝利は祝しており、移民に関しても反対してないことから、シオニストではあった
建国前後に揺れるアレント
建国直前後直後で、イスラエル国家を前提に議論をするという形に変わっており、振り幅がある
tanimutomo.icon それは現状起こってしまったことを嘆いても仕方ない、ということなのかな、と思ったけど、著作を読んでみないとわからないな
もしくは、他の著者はまだ議論していたのかもしれない
シオニズムの理念を支える二つの制度
イスラエルは他の国民国家とは異なり、それを支えるのがキブーツとヘブライ大学
アレントは、イスラエルとは呼ばず、ユダヤ人の郷土、と読んでいた
そして、そこは他の国民国家とは異なり(特にヨーロッパ)、特異かつ唯一のものであると主張する
そして、その論拠として、キブーツという入植者共同体とヘブライ大学の設立を上げていた
これが単なるユダヤ人国家としてのシオニズムではない、という主張
論拠としてのヘブライ大学
ヘブライ大学はユダヤ民族の大学
実際に、欧米出自のユダヤ人知識人らがこの大学の設立に尽力し、実際にパレスチナに移住して教鞭を取っていた
アレントは最終的にアメリカに移住することを選んだが、強いこだわりを持っている
なぜ大学なのか?近代国民国家と大学
ビル・レディングスの廃墟のなかの大学、に、国民国家・国民文化に対して大学が果たす役割、が整理されている
ヘブライ大学がユダヤ人国家建国においてもたらした意味は、ヨーロッパ近代に大学と国民国家の盛衰がたどった奇跡の縮図とも言える
全体の流れ
カントの時代には、まず理性が大学における組織原理で、大学と国家の発展に従って、その理念が理性から文化へ移行した
これは、大学に要求されることが、知識と権力の統合、つまり理性と国家の統合から、文化理念を通した国民的自己認識の生産になっていった、ということでもある
tanimutomo.icon 国民国家に必要な国民の生産ということかな
重要なこと
カントが理性を基盤として、近代の大学を設立した
その理性が近代的な意味において、大学に普遍性を与えた
カントによる大学の構造と自立性の主張
自由な、つまり自律的な理性の学問は、それ自体は具体的な内容を持たない形式的・普遍的学問分野である哲学で扱うことにした
が、具体的な研究対象を持つ神学、法学、医学よりも下に置いた
しかし、哲学は、これら上位の学問が自らの基盤を批判的に問い直すためには不可欠なものとなる
この関係によって、上位学問は単なる経験科学から理論科学になることができる
この批判力によって、大学全体に自立性を与える、という相補関係になっている
アポリアによって新たな概念に帰着する大学
理性の自律性を大学のなかで、制度化する、ということは、理性を他律的なものにしてしまう、という意味もでもある
このアポリア故に、大学は国家との関係において、新たな概念を求めた
そして、大学は国家に保護され、国家に奉仕する以上は、相対的に自律しつつも、自律は相対的でしかない
ここに、大学の理念が理性から文化へと取ってかわられる契機が存在する
ドイツにおいては、このシフトがはっきりしていた
民族的統一隊としてのドイツ人国家を正当化する、という課題があった
ので、国民文化という紐帯を持って、民族アイデンティティをまとめ上げ、国民意識にまで高める必要があったから
カント以降のドイツ観念論者らがこの課題に取り組むことになる
この課題にどう取り組んだか
理性による進歩と、伝統への回帰、との間の調停、という弁証法的な形で達成される
異なる2つのベクトルを扱わざるを得ない、というアポリアの中にありつつ、
伝統の解釈によって過去に回帰するのではなく、伝統を合理的な民族的自意識にまで高める、という方法をとった
その伝統の解釈こそを、文化、と呼んだ
ここでの大学の役割
国民に対しては、従って生きるための国民国家という理念を与えられている
ので、国民国家に対して、その理念に従って生きることのできる国民を配給することが、文化の大学の役割である
意見は分かれるところではあるが、特に国家の介入に関しては
哲学部と国語が果たす、文化の大学としての役割
ヘブライ大学は、1928年に設立されている
最初の哲学部長だったレオン・ロスと、哲学部の教授兼大学図書館の館長だったザムエル・フーゴー・ベルクマンに焦点を当てる ユダヤ教への偏りを避けた
ロスから学長マグネスに当てた手紙
ユダヤ哲学という言葉を避けていた
ユダヤ物理学やユダヤ数学がないように、哲学にもない。ただユダヤ教の哲学的解釈がある、というだけ、とまで言っていた
そして、ユダヤ学研究所が別であるから、哲学部では古代ギリシャや近代ヨーロッパなどの非ユダヤ人の古典的哲学から入るべき、と言っていた
ロスは、大学が神学校に変質してしまうこと、分離主義的な個別主義に傾くことを懸念していた
目的は国家・国民形成
しかし、ロスの関心は、あくまでナショナル大学の哲学部として、国家形成のプロジェクトを進めることにあった
そのためには、学生らにヨーロッパの近代国民国家の形成をさせた哲学者らの著作に直接触れてもらうことが必要だと判断した
レディングスの話からも理にかなっている、自ら自立性を獲得するため、という意味で
そうして、ロスは、ヨーロッパ哲学の古典をヘブライ語に翻訳することを哲学部の主要任務とした
ヘブライ語の現状と役割
まだ現代ヘブライ語は、発明されたばかりで、言語体系としては未熟で、そんなに理解して使える人がいなかった
しかし、それでも利用したのは、国語を作り出す、ため
ヘブライ語は、聖なる言語とされる古代の聖書を脱宗教化したもの
こうして試行錯誤の中で様々な著作が翻訳されて行った
tanimutomo.icon 言語で分けるというのは、うちと外を人間的に区別する上でかなり重要な要素だよな、と思った。明確にコミュニケーションの難易度が変わるので。集団を形成しやすくなる
ゴルドンとモツキンの考え
ヘブライ語は移民してきた人々を統合して活気づけるのに役立った
そして、現代ヘブライ語によってイスラエル国家が生み出されたのであって、その逆ではない、と言っている
シオニズムの核心をなしていた、といえる
今でもヘブライ語が公用語
その意味で、哲学書をヘブライ語に翻訳するというのは、国民意識と国語の両方を形成した国民国家形成の基盤となった
二人が普遍と個別の間で揺れ動いていた
これを2人も感じていた
ロスはその後イギリスへ
ベルクマンは宗教と国家の分離を訴える一方で、ユダヤ教の重要性もといていた
そもそもドイツ観念論自体が、形式的理性と実質的民族との間で、両儀性を示していなかったか?
ここからドイツ観念論自体の再検証をしていく
【31-9】カント主義とユダヤ教の接点を見出すコーエン。カント主義の頂点として見出されるフィヒテの民族的視点とギリシャ哲学の唯一性。【イスラエル建国を通して考える国民の定義】
デリダとハイデガー
ヘブライ大学で、フランス・ユダヤ人のジャック・デリダが、ドイツ・ユダヤ人の抱えていた普遍性と特殊性の問題について講演を行なった 1998年1月5日っぽい
この2人はカントから大きな影響を受けており、新カント派で、シオニストではなかったらしい
そして、ロスもベルクマン(哲学部の創設者2人)も、このコーエンとローゼンツヴァイクをよく読んでいたらしい
デリダが立てた問い
コーエンの例を取り上げていくわけだが、その例が範例たりうるのか、一つの特殊な民族が範例として普遍的メッセージを持ちうるのか
すなわち、特殊なユダヤ教思想が、いかにして普遍的とされるカント主義と結びつけられるか
まず、ドイツ・ユダヤ人であるコーエンが抱えていた問題を、2つの方向で整理していく
カント主義とユダヤ教の接点をどこに見出すのか
カントからフィヒテへと至る大学論の発展は、コーエンの側からはどのように評価されうるのか
カント主義とユダヤ教の接点をどこに見出すのか
コーエンは、それをギリシャ哲学の営みに接点を求める
そして、その役割を自ら引き受けようとしていたらしい
考えられる共通性とユダヤ教でなければならない理由
唯一にして単独な神というユダヤ教と、無限の事象の背後に単一性や、真なる存在を発見しようとするギリシャ哲学
ここに思考の共通性がある
また、キリスト教は違う
受肉や精霊と言った思想も神の単独性と相容れないため問題である
ここからカント主義へどう至るか
コーエンは、カント的な近代倫理学の前提である人間の自立性へのロジックをユダヤ教の中に見出した
一神教としてのユダヤ教を出発点として、普遍的な人間の自立性が導かれる
どういうことか、ロジック
神の単独性の前では、非ユダヤ人のよそ者、も人間として認めるという思想に辿り着く
ここで人類という普遍的な概念が発見される
そして、これが、自然法と国際法の基本的な概念へと発展する
二つ目の整理として、コーエンは、カントからフィヒテへの展開をどう見ていたか
デリダの公演をみると、やはりコーエンはフィヒテに一つの頂点を見出す
フィヒテは理論的にはカントから後退するが、抽象性、形式性を批判して、内実を与えた点においては、進歩を認める
単なる特殊な民族への回帰ではなく、カント的普遍主義を上での普遍性を備えた民族主義に進んだと
ロジック
自己認識や自律性のようなものは、カントの思想に反して形式的なものではないですよね
それは他者との関係において、自らに現れるものである
そしてその他者、仲間というのは、抽象的なものではなく、ある精神、歴史、言語への帰属によって作られている
つまり、主体も根源的に、隅から隅まで、実体的に、基体的に、民族的である
tanimutomo.icon 他者との関係性、仲間との関係性というのを区別しているものは、結局のところ民族的なものに帰着するので、主体もそれとの差異によって定義されるのであれば民族的であると
つまり、フィヒテによって発見された考える自我は民族的である
確かに普遍的な形式を持っているのだが、この普遍性は民族性と介さなければ、その真理へは到達できない
そして、コーエンはこれを一例ではなく、範例だと捉えている
コーエンの理解できる点、疑問が残る点
理解できる点
コーエンを愛読していたドイツ・ユダヤ人であるヘブライ大学の哲学部の創設者らが、カントやフィヒテなどドイツ観念論を積極導入した点
範例的民族の肯定のため、と考えると理解できる
疑問点
ドイツ民族の至上性を訴えたフィヒテと、ユダヤ人ではあるがドイツ国民で愛国者であるコーエンを読んだ上で、そのドイツ民族をユダヤ民族を書き換えることの妥当性
しかし、コーエンの背景と、書かれた時代背景には留意すべき
まず、コーエンのドイツ性とユダヤ性は、第一次世界大戦中に発表されている
シオニズム運動に反対しており、ドイツこそ祖国とすると主張する政治的意図があった
そして、難しいのが、20年後でもコーエンはドイツ・ユダヤ人として同じ主張をできたであろうか?
これらは逆に、文化シオニストが、カント、フィヒテ、コーエンをヘブライ大学で読む価値があったと言えるかもしれない
【31-10】普遍主義と個別主義のアポリア。イスラエル建国によるパーリア性というユダヤ性の変容【イスラエル建国を通して考える国民の定義】
これまでのまとめ
文化シオニストのアレントの主張としては、ヨーロッパの反省を生かすべきという話であったために、1民族ではダメだ、ということだった
そして、それならヨーロッパでいいじゃん、に対する対抗策として、イスラエルという国がその他の国に属していてはダメで独立する意義を説明していた
それがヘブライ大学とキブーツで、ヘブライ大学によって普遍性を獲得し、キブーツに国としての特殊性があるという話だった
そして、ヘブライ大学に焦点を当てた時に、そこはカントから始まる大学論から気づき挙げられてきたもので、コーエンまでを見てきた
そうなると、流れ的にハイデガーへ必然的に繋がることとなる、総長公演含めて
そのまま、ドイツという国民国家を作ってきたドイツの大学のフレームを、ヘブライ大学に当てはめて考えることは本当に妥当なのか?
ホロコーストからの教訓としてのイスラエルはそれで成り立ちうるのか?
エルネスト・ラクラウは、純粋な普遍性(普遍主義)も純粋な特殊性(個別主義)も、それ自体として成立するものではない、という 普遍性から独立して個別主義が生まれる以上、自らの差異をなり立たせるための基盤を否認することになる。自己破壊的な企て
逆に、普遍性は、脱臼した個別的アイデンティティを縫合する不安定なもの
つまり、両者は切っても切り離せない解消不可能な緊張関係の上にある
ヨーロッパとユダヤの間でのアイデンティティの問いは、この解決不可能なアポリアの様相を呈している
国民化、世界喪失の喪失
アレントはイスラエル建国後は、あまりこの問題に言及することは無くなったが、1964年の対談でユダヤ性の変容について言及している
元々のユダヤ的人間性というのは、あらゆる社会的な結びつき(国家等かな)の外に立っているということ、それの美しさだった
しかし、イスラエルという民族国家の建国によって、これを失った
これは、パーリア性(追放者としての疎外感的な一面)を通して得られる、普遍性と特殊性の緊張感系の自覚が失われた、と言える これは、おそらくイスラエル建国以前から自覚していたのではないか。だからこそイスラエルに移民をしなかったのではないか
だとすると、ヘブライ大学とキブーツ共同体を持って、イスラエル国家が普遍性と特殊性を併せ持った国家であるという主張は自己欺瞞だった問い合わざるを得ない
アレントがヘブライ大学について書いた1948年には、ヘブライ語が公用語になることは決まっていた
大学内の言語戦争は熾烈を極めたが、そうなった
つまり、ヘブライ大学は世界のユダヤ人のための大学ではなくて、新しい国民のための大学となった、ことはこの時から明白であった
【31-11】パレスチナ政府内部の変遷。自立も依存もできず隣国や国際社会から中途半端な介入だけされるパレスチナ。【イスラエル建国を通して考える国民の定義】
はじめに
これだけの時間がたった今でも、ユダヤ人国家はいまだに自らを定義できずにいる
また、ユダヤ人国家と同時にイギリスに約束されたはずの「アラブ人国家」はいまだに実現の見通しが立ってないどころか、その可能性が失われつつある
結局落ち着いたはずの二国家案は、パレスチナもイスラエルも国際社会も指示しているが、なぜ実現したいのか?
それは、パレスチナ国家をどうすべきか、ユダヤ人国家をどうすべきか、という国家理念に関わる問いにつながる
パレスチナ国家の現状を改めて
パレスチナ自治の現在
現在のパレスチナ自治政府は、分裂政府の状態を成している
この混乱の原因
正当な選挙でハマスが勝ったにも関わらず、国際社会が受け入れなかった
とくに、イスラエル、アメリカ、日本
ハマスはパレスチナ解放機構にも参加していなかったし、オスロ合意に基づく和平も、イスラエル国家そのものも認めてない
現状
ハマス内閣主導のパレスチナ自治政府との和平交渉、支援を停止
ある種のハマスを選んだパレスチナ人全体に対する集団懲罰
そんな中議会少数派のファタハに肩入れしている
ハマスも二国家分離に根本的には反対してない
建前としてはイスラエル残滅と言っているが、エルサレムの土地を渡し、パレスチナに主権とともに様々な権利を完全に認めるのであれば、イスラエルを承認する用意はある
むしろ現実にはオスロ合意後悪化の一途を辿っている
パレスチナ人テロリストの侵入を防ぐ、という表向きの理由で、主要入植地や、水源地帯をイスラエル側に入れる形で、分離壁の構築をしている
連続する領土的実態を持った国家という理念はもうない
しかもこれに対して、ファタハはこの建築を、将来的なパレスチナの国境だ、と言って黙認していた。一年半の間。
その間土地を奪われる住民の悲鳴を黙殺していた
世俗対宗教などの簡単な対立ではない
これらの現状に嫌けがさした人々が、ファタハ批判のためにハマスにいれた大勝した
民主的世俗的一国家から、二国家分割へ
PLOの政治理念である、民主的世俗的パレスチナ国家、をハマスの台頭が骨抜きにしかねないのも事実
だが、これはとうに終焉しているよね、という話でもある
この理念は、68年に国民憲章を改訂する過程において使われたもの
イスラエルをまだ承認していなかったが、48年占領地とそこに住むユダヤ人をなんらかの形で包み込む国家理念の創設として謳われた
そこでの議論
シオニズム運動以前からパレスチナにいるユダヤ人を、パレスチナ・ユダヤ人として国民と認める
さらに、宗教にかかわらず、望むものは誰でも国民として平等の権利を持つ
ある種の二民族共存国家的な思想であったと言える
しかし、現実味を持つことはなかった
結局圧倒的な軍事力をもつイスラエル国家の存在を否定することはできなかった
ゆえに、二国家分割を前提とした独立論だけが公然と語られた
そして、公式に88年のパレスチナ国家独立宣言において、1967年占領地からの撤退をイスラエルに求めた
こらはイスラエル領有を認めたことになり、その時点でパレスチナ側かはの一つのパレスチナ案は終焉する
その延長として、国家分割案としてのオスロ合意がある
シオニストの悪夢
イスラエル国内の反シオニスト組織、民主的行動機構、ヤコブ・ベン=エンフラットは、現状をこう言い表している
オスロ合意当時から、形を変えた占領政策の延長だと批判している
どういうことか
パレスチナには、寸断され蝕まれた領土しかない
国境も領海も領空も管轄下に置けない
そのため、経済的に自立できず、イスラエルに依存せざるを得ない
しかし、イスラエルが占領を続ければ、アパルトヘイト体制にならざるを得ず、いずれ市民権の要求がでる
その中で、民主主義を尊重する国際社会が、半数近い住民に市民権を与えない人種差別を永久に容認することはない
このジレンマが悪夢
イスラエルによる生殺し状態
イスラエルは和平を放棄し、第二次インティファーダを弾圧するために、全面的な軍事支配下に収めた
だが、占領下のパレスチナ人の面倒は見たくないので、独立も認めず、かといって、占領統治下にもおかない
これが、アリエルシャロン首相の一方的撤退・分離という政策
しかし、この状態が武力、政治の両面で悪化させた
ロケット砲撃は増え、ハマス政権を誕生させた
手の内ようのない悪魔
二つの民族のための二つの国家という考えは、かつてないほどに消え去ろうとしている
そのため、一国家解決の重要性はさらに増すことになる
【31-12】パレスチナを誰が食わせるか。パレスチナ問題の現実できることと、理想としての解決の可能性。そして、内部矛盾を深めるイスラエル。【イスラエル建国を通して考える国民の定義】
バイナショナリズムの諸相
バイナショナリズムの歴史
政治VS文化のシオニズムの話
二国家分割案の死
エドワード・サイードの一国家解決、1999
オスロ合意を批判して、再度バイナショナリズムに焦点を当てた
以下二つを足場としてパレスチナで市民権思想に基づく世俗的国家を打ち立てることを説いた
歴史的にもパレスチナは特定の宗教や民族に独占されることなく、常に多民族、他宗教であった
韓国前にバイナショナリズムのグループが存在した
テイリーの一国家解決で包括的に議論がまとめられている
一国家解決は、魅力的な理念ではなく、パレスチナ占領を終わらせるための唯一の現実的な手段
和平の障害物としてのユダヤ人入植地が大きくなりすぎて、移動可能な物体、もはや巨大都市にまで発展してしまったことを上げている
知的ゲームとしてのバイナショナリズム
民主的行動機構のロニ・ベン=エフラットは、インタビューでの一国家解決について、一種の知的ゲームにしかみえない、と言っている
じっさいに、サイードの論考ふくめて、お伺い欧米圏の学者、批評家によるものである
また、移民、入植者であるユダヤ人が先住民に対して対等な共存を呼びかけることと、された側であるパレスチナ人が受け入れるのとでは、文脈と重さが異なる
日本においては、サイードの論考を語ることが、パレスチナの現状を語ることと、混同されている。こう言った知的消費構造の中で、バイナショナリズムを称揚するのは、歴史的にも現実的にもコンテキストをかいている
こりゃいろんなところで言えるよな
民主的行動機構は、パレスチナの問題解決については、イスラエルの新自由主義による支配体制が鍵を握っていると考えていて、国際的な労働者運動が必要?と訴えている
パレスチナを誰が食わせるか
アリエルシャロンの一方的撤退政策は、もはや和平でも解決でもなんでもない
簡単に言えば、パレスチナ側の話は無視して、主要植民地をイスラエルとして国境を作り、それ以外の残りのパレスチナ人を切り捨てる、というもの
結局、ユダヤ人入植地の土地と、資源を効率的に確保して、いらない人と土地を極小化するために、分離壁を作った
こんな状態では、パレスチナが経済的、政治的に独立できる可能性などない
ジャーナリスト、小田切拓の、誰が、いつまでパレスチナを食わせるのだろうか
現地取材とパレスチナ、イスラエル経済の研究者へのインタビューに基づくレポート
イスラエルか、アラブ諸国か、国際社会が支援を投入し続けるしか、パレスチナには生き残る道はない
なぜか
まず独立して政治経済を保てる要件をかいている
西岸地区をヨルダンに、ガザ地区をエジプトに委ねるのは、資材や武器の持ち込みを阻止したいイスラエルが認めない
なので、パレスチナはイスラエルにとっての緩衝地帯として孤立するしかない
まさにアパルトヘイト体制下のバンツースタンのように、パレスチナ人居住区として
そうなると、残された道はシオニズムを黙認する国際社会が、その埋め合わせ的にパレスチナに援助金を投入し続けて食わせてやること
その一例として、支援の名の下に、占領地内に設置する工業団地
イスラエル企業が関与しながら、パレスチナ人を安価に働かせるのに、国際的な援助金が投入される
日本でも、平和と繁栄の回廊構想で、西岸地区に計画を進めている
これは、イスラエル政府と共に占領地なら開発を行うもので、イスラエルには好都合なプロジェクト
内部矛盾を深めるイスラエル
パレスチナ問題は、パレスチナを利用しているシオニズムの問題
ここまでイスラエル側が一方的に振る舞えることが問題
イスラエルとは何で、ユダヤ人とは何かを再確認していこう
不本意な移民政策
イスラエルのユダヤ人は、もっと多いはずだった
イスラエルに行ったのは一部であり、シオニズムに反対の人や、ユダヤ教徒のヨーロッパ人として事故を認識している人もいたので
また、ナチスによる虐殺でも人は減った
しかし、ユダヤ人国家であるためには、ユダヤ人を特権的にする必要があります、人口でも過半数必要
ただ、実際にはそれは難しく、結果として矛盾だらけのユダヤ人規定と移民政策と国家理念ができた
アラブからの移民政策
1950年前後には、すでにヨーロッパからの移民は頭打ちに
アラブ系を入れざるを得なくなる
手っ取り早くやるために、アラブ諸国で反ユダヤ主義を組織的に煽ることで、強引にユダヤ人を移送してきた
彼らのアラブ性は否定され、東方系ユダヤ人としたら位置付けられた
連れてこられた側も、自分よりも差別を受けるパレスチナ人との類縁性を断ち切るために、自らアラブ性を否定し、反パレスチナになって行った
tanimutomo.icon もはやナチスやん、、
1980年代後半からは、ユダヤ人であるか根本的に怪しい人たちを、崩壊した旧ソ連やエチオピアから連れてくる
それもどんどん加速する
出身国の政治的、経済的混乱が仮眠する側の動機としてあって、イスラエル側もユダヤ人人口を増やしたかったので、利害が一致した
結果として、人口競争を意識するあまり、ユダヤ人の多様化、多文化かを不本意ながら進めている
宗教対世俗の緊張関係
ユダヤ人の多様化は、超正統派のハレディームによって常に監視されている
超正統派は、イスラエル国家の実現はメシアの到来によってもたらされるもので、人為的にではないと言っている
その点で、敬虔であるが故にシオニズムと対立する
徐々に宗教勢力や政党が、議席数を伸ばすことで、イスラエル国家理念が、宗教なのか世俗なのか、が問い直されることになった
いまだに制定不可能な憲法
独立宣言には、ユダヤ人国家、というユダヤ人の特権性と、宗教に関わりのない全ての住民の平等という特権性の否定という、相矛盾する二つの理念が含まれている
49年には制定会議が開かれたが、翌年には延期することが決まった
人口の2割いるアラブパレスチナ人の存在を平等な国民とも非国民とも言えない、というジレンマ
結局、近代的民主国家でありたいと同時に、排他的なユダヤ人国家でもありたい、という矛盾した欲望は両立しえなかった
ユダヤ法と、近代国家の法体系のバランスを取れなかった、どうしても世俗に傾いてしまう
世界のユダヤ人の民族的郷土であるため、まぁ1割しかイスラエルないない中では時期尚早と判断した
いまだに少数派なので、世界中のユダヤ人との世界会議を持っていて、そこのいこうを重視している
おわりに
イスラエルには、アラブ・パレスチナ人との平等や、市民として認める意思はなく、一国家解決は到底受け入れられない。完全に純然たるユダヤ人国家を目指している
他方で、二国家解決も難しい
残された現実は、ユダヤ人国家イスラエルと、バンツースタンのパレスチナである
しかし、アパルトヘイト体制は確実に自戒する
すでに、移民や壁の建設によりパレスチナ人を取り込んでることも含めて、ユダヤ人の多様は進み、正統派からの批判を受けている
こうして、ユダヤ人国家は、ナショナルアイデンティティの純化を目指しながら、必然的に自己解体している
近代国民国家やナショナリズム運動の臨界点で誕生したイスラエル国家が、シオニズムの悪夢から覚醒するためには、シオニズムと格闘した先人にならって、ディアスポラの思想と政治を探求するほかないと思われる
イスラエル側の民主的行動機構の新自由主義政策を弱めること
イスラエルのユダヤ人の純度を下げまくること