第3回 経済学の歴史
文献
若い読者のための経済学史(イェール大学出版局) ナイアル・キシテイニー
所有の歴史 (法政大学出版局) ジャック・アタリ
1.「経済」と「経済学」の興り
人々が経済学上の問題、を扱い始めたのはいつからだったか?
「所有と消費が分離した頃」から経済が生まれる
狩猟採集時代の人間の生活にとっては、所有 = 消費だった
獣を生かしたまま捉えておく遊牧民、定住する農耕社会へと移行し、徐々に所有と消費が分離していった
「つくる人」と「食べる人」が分離し、物資を移動させる必要が生じて、経済が発展した
経済学の学問としての発達は古代ギリシャから
プラトンは「私有財産制」を否定した
職業選択の自由はない
全ての人には、生まれ持った「ふさわしい場所」がある
階級制の共産主義ともいえる
アリストテレス
プラトンの理想を否定
ある意味リアリスト
みんなが秩序立って行動する、なんて無理
貨幣を使ってモノを交換すればいい
しかし「消費のためではない生産」は不自然だと考えた
お金を稼ぐためだけの生産行為を否定した
ましてやお金でお金を稼ぐなんてとんでもない
中世でも、「金貸し屋は悪」という考え方は長く残っていった
2. 予定調和の思想 - アダム・スミス
18世紀、経済学の考え方が一転する
イギリスで資本主義が発達し始めた頃
産業革命が始まった頃に死んだ
経済学の中で最も有名なフレーズ「見えざる手」(アダム・スミス
みんなが自分の利益を求めることで、結果的に社会全体の利益につながる
では、「人は強欲であればあるだけ良い」みたいな考え方なのか? -> そうでもない
そもそも、アダムスミスの考え方は、現代の経済学の考え方とは明らかに異なっている
実は「神頼み」な側面もあるアダム・スミスの考え方
人には「共感能力」が備わっている
交換したい、他者を喜ばせたい
そして、倫理観もある
交換する上で、相手を騙したり
共感能力と倫理観は神によって与えられている
お金を溜め込んで使わないのはダメ
交換が滞る
現代にも受け継がれている考え方
分業すればその分生産性が高まる
その道の「プロフェッショナル」が生まれる
生産される財の全てが、国家の経済力を示す(GDP的考え方
当時は、輸出される物資の量で、国家の経済力を図ろうとする考え方もあった
そしてその根拠は、「希少性」ではなく「労働力」であった
国家の過度な介入はNG
外交、治安維持と国防だけやる
時代
産業革命の前を生きていた学者であることには注意が必要
機械工業による産業が、人間の「共感」(交換したい)を反映したものだとアダムスミスは判断するだろうか?
3. 資本主義の矛盾 - カール・マルクス
お金を溜め込んで使わないばかりか、お金を増やすためにお金を使う、という資本家の行動によって、労働者は搾取され、富は一部の人間に集中していく
ブルジョワジー(資本家)とプロレタリアート(労働者)の対立が深まり、共産主義革命が起こる
マルクスは人間的な自由を目指した思想家(= 哲学者)であった
経済学の勉強をしたことも確かだが、経済効率のような概念にはそもそも興味がない
ドイツ・イデオロギーでの一説をみると、人間が特定の役割に押し込められない社会を理想として描いている
「朝は狩りをして、昼は漁をして、食後には学問をやる」みたいなことが書かれている
社会主義国家の「管理社会」とはまるで正反対の世界観を持っている
マルクスが生涯を通じて探求したのは「我々を束縛しているものはなにか?」だと解釈できる
なぜ我々は嫌々ながら働かされてしまうのか
自らを再生産するために、市場に出せるものが「労働力」意外にないから
4.新古典派経済学
労働者や生産ではなく、消費の方に視点を移す
ウィリアム・ジェヴォンズは、消費の低度問題に着目した
焼肉食べ放題は、最初のうちはうまいが、最後の方は食べるのが辛くなってくる
同じものでも、一人の人間に効用として作用する量は変化する
最もわかりやすい例の一つはスマホ
スマホは一台目はとても効用が高いが、2台目はそこまででもない
「限界効用」と、「限界効用逓減」という考え方を持ち出した
19世紀後半、アルフレッド・マーシャルがこの考え方を発展させる
消費者の消費行動と、企業の行動を結びつけて、「需給理論」をつくった
需要曲線と供給曲線
需要と供給によって、価格が決まるという話(経済学の最も基本的な理論の一つ
数学的なモデルによって市場プロセスを記述しようとする試みがスタートする
モデル化するにあたり、人間は「合理的な経済人」として扱われるようになった
この「市場メカニズム」によって、計画経済が失敗する理由を説明したのが、「ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス」
共産主義が貧しくなったのは、「みんながやる気が出ないから」ではない(少なくともそれだけではない
「人が欲するもの」を政府が理解できないから
「何にいくらの値段をつけていいのか判断できない」から
例えば必需品は安く設定する(パンとか石鹸とか
そうすると一人当たりの人間がより多く購入しようとして、行列ができ、在庫がなくなる
まあこれはすごく妥当なように思われる
街を歩いていると「誰が買うんだこんなもの」というものが沢山ある
けれどもそのような商品も買う人が存在し続けるから作られ続けているはず
マーシャルの弟子の一人である「アーサー・セシル・ピグー」は、市場の不完全性に着目した
多くの活動は、直接の当事者以外にも影響を及ぼす
身近な例では、例えば騒音や公害などがある
プラスに働くこともある
例えば、大きな企業が工場を建てたら、その周辺の飲食店は儲かるかもしれない
これを「外部性」(市場の外部性)と呼ぶ
当事者の利害と、社会の利害が一致しない場合があり、多くの場合「金銭による最適化」が行われるのは前者だけである
市場が解決できない問題
「公共財の問題」は市場プロセスだけで解決するのが難しい
道路や街灯を市場プロセスで完全に整備しようとしたらどうなるか?
軍隊や警察がなかったらどうなるか?
政府は外部性の問題に気を遣って、プラスの外部性を最大化、マイナスの外部性を最小化する
たばこに税金を多くかけるのは、国益を守るためとも言える
独占禁止法も、市場が正しく機能するようにするためにつくられている
消費者に選択肢があって、競争原理が働かないと、需要と供給の関係が成り立たない
5. ケインズ
政府は市場の外側の整備を行えばいい、はずだった
1929年〜 の世界恐慌
政府が失策したわけでも、労働者が酷使されて反乱が起こったわけでもない、何らかの資源が枯渇したわけでもない、
環境も、誰も悪くないはずなのに、なぜか景気が悪化してしまった
国の豊かさは、「生産できる量」ではなく「支出できる量」によって決まるというように、発想を転換した
それまでの経済学の主流では、作られたものは基本的に全て売られると考えられていた(セイの法則
(マルクスなどは既に指摘していたのだが、ケインズの指摘は少しは少し違う)
貯蓄の問題
「貯蓄」は本来合理的な行いではない。投資の方が合理的な行いである
企業がびびる(得したい、よりも失いたくないの方が勝る)と、設備投資に資金が流れず、不景気になる
現代の日本の失われた30年でも同じような事(「デフレマインド」)が言われている
市場を循環させるためには、政府は市場の内側にも介入する必要がある
具体的には、金融政策と財政政策などを通じて、需要を喚起させる必要がある
ケインズをきっかけに、経済全体(日本全体とか)の動きを考えるマクロ経済学と、その中での企業や消費者の選択を論じるミクロ経済学に分化した