第28回 社会の誕生ーフランス近代の思想史
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SYUMIGAKUの第28回目のシリーズでは、「社会の誕生(菊谷和宏)」について話しました。
私たちが普段多く目にする「社会」という単語は、人類古来のものではなく、近代化する過程の中で生まれてきたものである。その主張する本書では、近代化の象徴とも言えるフランス革命の変遷と、その中で登場してきた3人の思想家「トクヴィル」「デュルケム」「ベルクソン」の思想を分析しながら、社会という概念が生まれ出る過程を論じています。
引用などは こちら にまとめています。
【28-1】フランス革命と3人の思想家、トクヴィル・デュルケム・ベルクソンの理論【社会の誕生】
社会学史、哲学などを専門に研究している菊谷かずひろの本が元
2011年に書かれた
タイトルは「社会の誕生 トクヴィル、デュルケム、ベルクソンの社会思想史」
この手の本だと結構〇〇の誕生という題名がつきがち
監獄の誕生、子供の誕生
いずれも共通しているのは、自明と思われているものにも、実は起源がある、という話を展開するという点
この本もその例に漏れず、社会という観念は、近代以降に生まれたものだ、ということを主張している
そもそも「社会」とは何か?
この本の序論で前振りとしておいている問題提起は、現代社会の問題
マクロな社会問題もそうだが、ミクロな話でも、精神的暴力や弱いものいじめ、他の世代や社会集団を押し除けて自己利益を追求する事さえも、「生き残りのための合理的行い」として正当化されるように(というよりもそんな状況に慣れきってしまった)なってしまったのではないか
「人間社会なんてそんなもの」という感覚を持っている側が「まともな人間」としてみなされるようになっている
共に生きている、という感覚が失われつつあるのではないか?
個人として生きているという感覚のほうが強い?
この本ではフランスの思想史を辿って、社会の誕生を紐解いていこうという趣旨で書かれている
近代化という観点で、フランスの存在は象徴的
(フランス革命、人権の概念、etc..
デュルケム、トクヴィル、ベルクソンの三人を中心に挙げている
その中でも、特にデュルケムに着目している
デュルケムは社会学の創始者の一人だとよく言われる
大体、三人くらいあげられることが多い
ウェーバー、デュルケム、ジンメル
あるいは、社会学という名前を使ったオーギュストコントの創始者だとするような説もある
が、ともかくデュルケムが社会学という枠組みの成立に多大な影響を与えたことは間違いない
先ほどあげたトクヴィルは、デュルケムの思想の一つ前のフランス思想の立役者としての側面があるのではないか?とこの本では考察している
トクヴィル(1805-1859)は、フランス革命(2月革命)の前に生まれ、フランス革命の後まで生きた
この経験がかなり思想にも反映されている
【28-2】フランス革命という宗教?ー平等な人々による民主主義の興りを論じたトクヴィルの思想【社会の誕生】
トクヴィルは、「アメリカのデモクラシー」という本が有名 つまり民主主義という思想を固めた人、という認識が一般的である
トクヴィルは、近代の思想家の一人だが、ある意味典型的な「神を信じる学者」である
アダムスミスが経済の仕組みを「人間の力を超えた性質を持っている」と考えたように、トクヴィルは民主主義という政治思想に、人間を超えた普遍性を見出した
トクヴィルは、人々が自由で平等な成員であると理解したときに初めて、神の意図した営みを行うことができると考え、人類の平等性を説いたイエス・キリストを肯定している
つまりイエス・キリストの思想と、民主主義の思想を重ねてみていた。その正当性を神に見出そうとした
トクヴィルの社会分析
社会の成員は、共通の「道徳的知的状態」をもつ
人々が互いに似通った概念を共有し、それを信仰することなしには、社会生活を行うことは叶わない
そのような秩序を維持するためには、知的道徳的世界のどこかに常に権威がなくてはならない
そこに我々が信ずるべき概念の源泉を見出す必要があるからである
フランス革命以前の世界
終わりのない広がりに生きていた人間たち
以前、社会と世界には今よりも境界がなかった
現代では、日本社会、地域社会、学校社会というように境界線を引いて発想することが自然になっているが、以前はそうではなかったということである
世界は、宗教的解釈の中で一つのものと考えられていた
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世俗世界の分離、「社会それ自体」の出現ー2月革命
フランスの第二共和制の誕生
1848年2月、パリ人民は蜂起した
(フランス革命 -> ナポレオンの帝政 -> 王政復興 -> 第二共和制
トクヴィルは、回想録(1851)のなかで、この革命について振り返っている
この革命によって、人々の不平等を規定していたのは、王権神授説に代表されるような、世界のルールではなく、ただ支配者階級が都合よくこしらえていた制度的なルールでしかないという認識が、人々の間で普及した
こうして、世界(神が作ったもの)と、社会(人為的なもの)が区別されるようになった
「社会科学」への要請はこの時から生まれたと考えることができる
人間の社会が神の手を離れたならば、どのようにして社会を考えるべきかが問題となるからである
フランス革命という「宗教」がもたらしたもの
トクヴィル曰く、フランス革命は一種の新たな宗教ではないか?
フランス革命は、人間を国と時代に依存しない一般的・普遍的に平等な存在として捉える
キリスト教と違うのは、その説明のために彼岸を用いることなく、現世の中でそれを実現しようとする点にある
神を用いずに、人間がそれ自体として同類、平等であるとはどういう事態なのか?
このトクヴィルの発想は一つの相反する考え方を持っている
「世界」から「社会」が剥がれ落ちる途上にある
先ほどみたように、民主主義は神のみわざだ、などというように、民主主義の分析のときには、神という超越性を持ち出しておきながら、神がいなくても成立する社会認識も同時に構築している
これが世界が一つの普遍的な神の被造物という認識の中から、社会という変化しうる人間の構築物を分離して発想する起源である
このような、信心深い学者の「神へ近づこうとする意思」が、結果的に神なしでも世界を解釈できる方法論を作り出す、というのは近代によく起きている現象のように見える
ニュートン、アダムスミス、ニーチェなど
我々の感覚からすると、信仰と合理的思考は正反対のものように思われるが、むしろ当時の西洋知識人からすれば、神を信仰するからこそ、自分の理性を深く信用して真理に近づけると考える
ともあれ、フランス革命を経て、(神を経由しない)人間と社会という観念による認識が始まった
ナポレオン3世の時代
帝政ではあったものの、普通選挙制を敷いていた
次なる第三共和制のための「国民」という観念を普及させる準備にもなった
銀行を設立し、海上交通や、電信、郵便制度などのインフラも整った
パリが地方を統治するための材料が整った
【28-3】社会は常に何かを崇拝することによって成立する?ーデュルケムがフランス社会に見出した近代の特徴【社会の誕生】
デュルケムは第三共和制(1870~)の時に活躍した
デュルケムは、自身の行う学問が心理学とは異なるものであるという事を強く主張した
心理学が、個人の心理的な働きを対象とするのに対して、社会学は集団の事実を対象とする
目に見えたり、手で触れられるものを対象とする
あくまで客観的な科学として社会学をやろうとした
歴史的背景
1870〜、第三共和制
まだ王政派も勢力を残しており、不安定な状態でスタートした
1880年代を通じて、「宗教教育の撤廃と公共教育の確立がなされた
カトリックに対して、プロテスタントが勢力を強めた時期でもある
特に、教育という場面を宗教から切り離すという点が、それ以前の社会と決定的に異なる点であった
神秘的世界観に支えられた生き方と、普遍的人権のぶつかり合いとも表現できる
フランス社会は、世界認識の基板をどこに見出せばいいのかという悩みに直面していた
プロイセンに敗北してからというもの、ドイツ人をスパイとして警戒していた
そんな中、陸軍の兵器の機密情報を漏らそうとするメモが見つかった
それを書いたのがドレフィスであった
彼は家が裕福で、陸軍学校を優秀な成績で卒業し、軍人として家庭を築いていた
しかし彼はユダヤ人だった
フランスはユダヤ人に国籍を付与した新しめの国だった
この事件はフランスじゅうにひろがり、反ユダヤの叫びが上がってしまう
その後、ピカールという別の軍人がドレフュスが無実であるという決定的証拠を見出したが、それも黙殺され、ピカールは左遷された
5年後の98年、有名な作家であるエミールゾラが軍部が腐敗していることを示す告発文を書くと、国論は二分された
なぜたった一人のスパイ、冤罪事件が国レベルでの議題になったかと言えば、その社会が変動期だったからである
カトリック的な権威(これは保守的なフランス軍と対応している)と、人種を問わない普遍的人権、あるいは資本主義か社会主義(当時ユダヤ人がフランス資本の多くを独占していた)か、ナショナリズムなのか
この時代を生きていたデュルケムは、この時間を単なる政治的な事件ではなく、社会の次元での分裂だと捉えた
また、このような分裂の中で、社会が外部を持たない(神秘的な世界の後ろ盾を外している)状態へと移り変わっていくことを描写している
デュルケムの分析
人間は、自分たちの崇拝対象を、人間一般においた
しかしそれは一体どんな根拠によってだろうか?
「宗教生活の原初形態」という本で、この問いに対する一つの回答を出した
トーテミズムこそが、崇拝の対象だという
デュルケムの考えているトーテミズムとは、例えば一神教以前の民族宗教のようなものを指している
個人を超越して、個人を意味付ける共通認識という点で、トーテミズムと近代社会の共通点である
人間の存在や魂や、家系というものを抽象的な観念と結びつけて考える
トーテミズムのわかりやすい例は、自分の一族と特定の動物を関連づけるとか(狐の一族だ、とか炎の一族だとか
日本だと自分の存在を、住んでいる土地と結びつけたりとか、
キリスト教も、一神教とはいえ、抽象的な観念と人間の存在を結びつけるという意味では同じ
神との繋がりの中に、自分の存在意義を見出している
人間は自分や家族が限りある物質的な存在だということを知った時、それでも自分の存在と世界との普遍的な連関を見出そうとする
この構造は、近代化されて、精霊や神というものを直接的に多くの人が信じなくなっても変わっていない
曰く、我々の崇拝対象はカトリック教会から、人間自身「個人主義」「人間的な人格一般への崇拝」として立ち現れてくる
「人間は人間に対して神になった(ibid.:272=215)」
【28-4】戦争が始まると自殺は減る。バブルより不景気の方が自殺は減る?ー社会学の古典・デュルケムの自殺論【社会の誕生】
デュルケムの「物として、客観的なものとして社会を捉える」というデュルケムの発想の一つの実践が自殺論
社会学者は、社会的事実に関する形而上学的思弁に甘んじることなく、はっきりとその輪郭を描くことができ、いわば指で指し示され、その境界がどこからどこまでであるかを言うことができるような事実群を、その研究対象とし、断固それと取り組まなければならない。(Durkheim 1897:vii=11)
自殺の原因を社会学として観察し、分析した本が自殺論
病気、人種や知能などと言った個人のプロパティは、一件自殺の要因にあると思われている
一人の人間にフォーカスしてみていると、それらの個人的な状況が自殺を引き起こしてるように見える事もあるが、統計的に分析すると、そのような要因が自殺を説明する要因にはならないと看破した
自殺の因果になっているのは、むしろ社会の変数である
例えば、社会の統合の度合いがそれである
ユダヤ教徒は宗教による社会の繋がりが強いが、プロテスタントは自分で聖書を読み、解釈するべきとしているから、社会統合が弱い
そのため、ユダヤ教徒よりもプロテスタントの方が自殺率が多い
教義の内容が重要なのではなく、その宗教が構築する社会のあり方が重要なのである
曰く、
実は、人間の生がどのような価値を持っているかについて、全体的な判断を下しうる地位にあるのは、社会だけであり、個人にはその能力はない(ibid.:229=255)
社会統合が弱い状態において、人間は自身の価値を規定出来なくなる
経済との関連
景気がいい時に自殺率が減るのは頷ける
では悪い時にはどうかというと、こちらも自殺率が減少する
自殺率が高いのは、景気の変動期である(つまりよくなったり悪くなったりするその変化の過程)
これをデュルケムはアノミー的自殺と呼んてでいる
つまり社会の秩序が乱れる時に、自殺率は増加する
人間の欲求と行動は、社会的に限界づけられている
例えば、不景気で安定している時には、お金を使いまくるような快楽は社会的に封じられる
その状態が長引けば、そのような欲求自体をもたない社会になる
アノミー(無規制)とは、何を,、どこまでやっていいのかという規制が弱まってしまう状況を指す
物質的貧困な社会で自殺が少ないのは、ある意味でこの規制がとても強いからだと言える
結婚が安定した社会も、一つの規制である
離婚率が多い社会では自殺も多い
一夫一妻制は、人間の性欲に規制をかけ、アノミー状態から我々を遠ざけている
社会的統合が強すぎる場合は、集団本意的自殺が発生する
例えばインドに根強く残る風習である「夫を亡くした妻の後追い自殺」。また歴史上各地で見られた「主君を亡くした家来の自殺」。さらに「老年に達した者や病に冒された者の自殺」もこの種の自殺であるとされている。
日本の切腹や、戦争末期の集団自決も同じようなもの
このような社会では、ある特定の自殺の仕方は否定されるどころか賞賛されることさえもある
自己本位主義者の悲哀は、彼がこの世に個人以外なんら現実的なものを認めないところから生まれるが、常軌を逸した集団本位主義者の悲哀は、反対に、個人にまったく実在性が欠けていると感じられるところから生まれてくる。一方は、確実に把握することのできる目標を何一つ認めることができず、自己を存在理由のない無用の者と感じて生を放棄する。
デュルケムは自殺の類型を示すことで、一見個人の選択だと思われていることも、実は社会の現象だと捉えた方が説得的だということを立証した
【28-5】意識がある=自由?ーデュルケムとは異なる方法で近代のフランスを論じたベルクソンの哲学【社会の誕生】
ベルクソンがデュルケムと異なるのは、社会を物質的なものではないと考えたことにある
ベルクソンは、外側からではなく、内側、つまり意識に目を向けた
先に見たように、デュルケムは自身の学問を心理学から区別するために、客観的な観察対象としての社会を重視していた
ベルクソンは人の持つ「意識」、その中でも自由意志と呼ばれるものに特に着目した
人間が経験する事柄は、外在する客体だけではない
外的な経験であれ、内的な経験であれ、それは現実的なものとして取り扱われる必要がある
デュルケムが自身の学問の実証性の基盤に添えようとした「観察可能なもの」以外にも、感覚で知覚できるものがある以上、それもまた現実をつくっていると言えるだろうと考えた
デュルケムは、時代的な課題(キリスト教と分断した世界の認識)を解決するために、神秘的なもの及び、心理的なものとの距離を置いた
その結果人間が主観的、意識的に体験する「現実」への分析を行うことができなかった
ベルクソンの発想はそれを拾い上げる作業であったとも言える
ベルクソンはある意味で時代的、歴史的な状況を無視して自分の思索を行った
ドレフィス事件にさえ全く発言を残していないのである
ベルクソンがデュルケムよりも長生きしたこともこのような発想の一つの要因である
デュルケムの時代は、神秘的な発想に近いことを主張すると、カトリック(保守的)の見方をしているのではないか、と言われるような時代だった
カトリックと、啓蒙主義がばちばちだった時代
しかしフランスは第一世界大戦を通して、カトリックも共和制の味方になったことで、カトリックと共和制の緊張関係は和らいだ
その点で神秘主義的な発言をすることが直接カトリックの方を持っていると言われない時代でもあった
のちに見るように、ベルクソンはかなりカトリック的な、神秘主義的な発想も持ち合わせている
意識は自由そのものである
意識がない世界を考えると、物質だけが存在し、それは全ての現象が確定的に発生するような状況を意味する
そう考えると、意識は物質世界に不確定性を挿入する事柄だと考えられる
これは人間だけでなく、生命一般に対しても言える
生物は、物質の決定性と生命の非決定性とが格闘する場である
生命は、物質の必然性を乗り越えようとする
こうしてまずベルクソンは物質と生命の間に境界線を引いた
人間が生命の中でも特権的な存在であるという根拠に、民主主義論を持ってきた
民主主義論
民主主義以外の社会体は、ベルクソン曰く閉じた社会である
閉じているというのは、安定して、静的であるとも言える
つまり外敵から身を守るという事が最も優先され、そのために内側の関係性をなるべく変化させないように務める
封建制の社会や、家族もこれにあたる
これは人間以外の蜂や蟻にも共通している
その中で、成員は与えられた役割をこなす存在(モノ)でしかない
対して、民主主義は開かれた社会である
個々の人間は、集合としての社会が維持されるためのモノではなく、民主主義における目的である
ベルクソンは、民主主義を最終的には人類全員に広がって一つの人類社会をつくるものと考えていた
(ちょ西洋主義的という指摘はあり得そうだが
これは、民主主義の原則である人間はみな平等で基本的人権を持つという発想から自ずと導出される
しかしこの地点には、キリスト教なしには至らなかったのではないか?
人間である以上は同じ本質を持ち、同じ権利を持つ、という発想は人類への普遍的平等愛というキリスト教的な発想によって、社会の土壌が整えられた
このような発想があるからこそ、ベルクソンにとって民主主義は、ある社会体が採用する単なる政治制度に止まらず、社会全体に対して影響を持つものという発送になるのである
【28-6】人間と他の生物の意識の違いは何かー近代社会は何を信じることで成立しているのか?【社会の誕生】
ベルクソンを踏まえると、生命と物質の差は、それが不確定性を持っているということである
不確定性を有しているとは自由を持っているということでもある
その中でも人間は、意識を持った存在である事を認識できる意識(自己意識)である
そのため、どんな意識を持つかという点においてさえ自由である
例えばアリは集団で役割分担し、高度な建造物(巣)をつくりあげる
しかしそのあり方は、あくまで本能に制約されており、アリたちが自分の意思で変更していくことはできない
人間は、それらを意識的に変えていくことができる
「自己を対象化し、自己を想像することが可能になった意識存在」
その意味で他の生物よりもさらに不確定性(法則からの自由)を有している
このような存在が社会をつくる(共に生きる)とはどういう事か?
近代を生きる我々は、互いが互いを同じ「人間」であるという認識を得ている
しかしそれは自明なことではなく、社会的な構成物なのである
例えば高度な社会性を有し、共和政を行った古代ギリシャにおいても、奴隷と文明人を区別していて、「同じ人間」という意識は持っていなかった
他者が自分と同じく自己意識(人格)と自由を有しているという感覚を持つことが、近代において人間が共に生きるという観念である
著者はこれを愛だと言っている
この感覚は、論理的な帰結で導き出すことは不可能で、一つの飛躍が必要である
外見的な特徴だけで、他者が自分と同じ自己意識を持っているだとか、自由を有しているだとかそういう事を結論づけることはできない
(だからこそ、人は残虐な行為を他者に行ってきたとも言える
この事実は構築主義的に他者を捉えるということになる
それぞれの人間が「他者」を自分の中で日々、構築している
言ってみれば、他者が自分と同じ自由や人格を持っているという発想を捨てた瞬間、相手は物質と何ら変わらない存在に成り果てる
我々は共に生きる過程で、相互にそのようなものとして「他者」をつくりあっている
これはキリスト教的な世界観が支配していた神秘的な存在でもなければ、自分が客体的にみなすだけの「モノ」ではない
いわばその中間として、「人間」というものをつくっている