第14回 構造主義入門
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【14-1】 構造主義は何を問題にしたのか【正しさは人それぞれ vs 成長・進歩こそ人間のあるべき姿】
構造主義はすでに「常識」の一部に組み込まれている
「物事に絶対的な正しさはない」というテーゼは、今では多くの人が受け入れている考え方である
自分たちの信じている常識は、時代や立場が変われば移ろうものである、という感覚
20世紀の初頭において、このような考え方は常識ではなかった
自然科学的な理論発展の発想が、支配的な考え方であった
二つの理論が矛盾していれば、どちらかが正しいか、どちらもが不十分かのいずれかである
この発想を、哲学や社会の領域で展開したのが、ヘーゲルやマルクス
「社会は進歩する」という考え方
ヘーゲルは、絶対精神(完全な認識を行える存在)にたどり着くと考えた
歴史的な発展
資本主義社会は、労働者から搾取する構造ゆえに、労働者と資本家の対立構造を作り出す
その対立構造が、新しい社会を作り出す契機になる
構造主義はそれら「進歩する人間観」「客観的な認識を行える主体」という近代の前提を壊した
ということになっているのだが、常識として浸透している構造主義の考え方はまだ表面的なものな気がする
現代の人は未だに進歩主義的な発想をしているし、自分たちの信じている価値観が絶対的なものだ(それを理解できない人は頭が悪いはずだ)、という感覚で生きているように思う(内省も込めて)
自分の考え方次第で、どうにでも好きに生きれるはずだ、自分が努力すれば自分の状況を改善できるはずだ、という自意識中心的な発想も根強い
お金がないから自由じゃない、という発想はあっても、「思考の領域だけは自分のものだ」という感覚がある気がする
【14-2】 ニーチェ、フロイト、マルクス ー 人は何から自由ではないのか【構造主義の萌芽】
まず、構造主義の台頭の前に、近代的な人間観(よくデカルト的と言われる)が崩れた
近代的人間観 = 理性的な人間、認識し、自由に思考し、行為を選択する主体
フロイト
(arai.icon多分これが一番すんなり入ってくる例だと思う)
人間は自由に思考していない
「無意識」の存在、現代ではバイアスなどと呼ばれたり、行動経済学で研究対象になっていたりもする
マルクス
マルクスは人間の自由と不自由を論じる上で、とても微妙な立ち位置にいる
著作にも現れている。ある時には、社会を変えるためには人間の行動を変えなければいけないと言ったり、共産主義革命は、物理法則のように自動的に到来すると言ってみたり、
「考えたいように考えること」が不可能だという点ではフロイトと一致している
マルクスが重視したのは、階級である
ある階級に属している限り、その階級的な思考・行動しか行うことはできない
自分のアイデンティティは、自分の内側に持っているのではなく、社会関係の中でどんな行為を行うかによって決まる
少々卑近な言い方をすると、「やりたいことや個性を最初から持っている人間」はいなくて、なんとなく社会に参加すると、その後自分はこれがやりたかったとか、こういう個性がある、みたいな事が見えてくる
この「見えてくる」と言っても、「最初から自分に備わっていた本質・性質」があるとは考えていなくて、たまたまその仕事をしたから、そういう人間になった、という言い方の方がマルクス的な発想である
ニーチェ(時間があれば)
善悪は人それぞれ、というのは大体の人が認めると思うが、善悪という概念自体が自明のものではないと言われたらどうだろうか?
ニーチェは善と悪という観念すらも、歴史的な創造物であると考える
そして、善悪などというものにこだわるのは、畜群だけである(奴隷道徳と貴族道徳)
周囲と足並みを揃えて、周りにどう思われるかどうかで、自分の行動を決めている
その時点で、自由に思考している主体ではない
構造主義の主役になる人はまだできていません…
レヴィ=ストロースの登場以前から、「人が正しく物事を認識し、自由に思考して、行動をきめ、それによって進歩・発展していく」という世界観に対して問題を提起していた人はいた
【14-3】言葉による不自由さ - ソシュールの分析した単語の性質【構造主義入門】
構造主義の根本は、人間の認識と思考、コミュニケーションの根幹を担う言語の分析から始まった
言葉とはものの名前ではない
初めから「モノ」があって、それに名前を割り当てた、のではない
devilfishは、エイとタコの両方を含む概念である
蝶と蛾を区別するのも、日本独自のもの
アントレプレナーは、英語ではなく、フランス語
自立心旺盛なベンチャーの創業者、というニュアンスをつけるために、元々の企業家(エンタープライザー)ではないこの語を使った
虹の色が何色に見えるか?というのも有名な例である
夜空を見た時、星座を知っている人には、星座と星座の間に切れ目があるかのように夜空を認識する
星座を構成してある星と、そうでない星は、星座を見つけようとする人にとっては重要な区分である
単語は、その単語以外のものである、ということしか示さない
言語という記号システム全体の中にないと、単語は意味をなさない
【14-4】構造主義的な分析とはどういうものか? - ソシュールの発想を発展させたヤーコブソンの音韻論【構造主義入門】
単語が絶対的なものではないとして、それを使った思考は自分の思考と言えるのではないか?
会話のやり方も、「その社会独特の作法」を再生産することでしかない
自分で思いついたもの、と呼べるものがどれほどあるだろうか?
コミュニケーションの現場で、私たちは他人から聞いた内容を繰り返すし、他人から聞いた話の構成(起承転結があったり、オチがあったり、)を反復する
部分部分を切り取れば、自分の言葉などない
例えば他人を批判する時のフレーズは、自分勝手だ、仕事が出来ない、子供っぽい、周りが見えてない、人の気持ちを考えられない、とかとかの一定のフレーズを誰もが使っている
そして多くの人がこれらを繰り返す事で、それは人を批判するのに妥当する台詞だという認識がますます強化される
単語だけでなく、人間が発する音も恣意的だし、差異のシステムである
人間はどんな音を発するのか、ということに注目したのがローマン・ヤーコブソン
音韻論
全ての言語は、母音と子音を持つ
母音には、例えば「あ」か「う」がある
どちらかといえば「あ」だなーみたいな感じでやっていくと、どこまででも細かく分解できる
という感じで、二項対立の図式で、音韻を分析していくと、人間の音韻は12の二項対立で分解できる、らしい
これはコンピュータの二進法にも近い考え方である
実際コンピュータも二進法だけでとても複雑な表現を手に入れている
人類の発音(音韻)は12bitである
このような、人類の発音は12bitで表現できる構造を持っている、というように、人間の営みに普遍的な構造を見出していくのが構造主義の基本的な考え方である
【14-5】なぜ近親相姦は禁止されるのか? - レヴィ=ストロースが分析する親族の構造【構造主義入門】
レヴィ=ストロースは、ヤーコブソンの友人で、言葉とか発音だけじゃなく、もっといろんなものkっjにも、人類普遍の構造を見つけられるんじゃないか?と考えた
その一つが、「親族構造」
文化人類学者なので、アマゾン奥地に住んでいる原住民のところに行って研究したりしていた
どんな社会にでも、親族関係は存在している
それ以前、人類学で支配的だったのは機能人類学だった
人間の行いはなんらかの機能(それをやると儲かるとかそういうこと)を持っている
しかし、近親相姦の禁止や、母系、父系のあり方の多様性を説明しきれていなかった
例えば、進化論を引用して近親相姦が禁じられなかった集団は全て滅んだ、とか言ってみても、反例はいくらでも見つかる
父親の兄弟は禁じているが、母親の兄弟や子供はOK、とか
親族関係は、以下のどれかに二分される
自分が息子だとして、父と親密ならば、母方のおじさんとはあまり親密ではない
逆に、父と親密でないならば、母方のおじさんと親密である
自分が妻だとして、夫と親密ならば、自分の兄弟とは親密ではない
逆に、夫と親密でないならば、自分の兄弟と親密である
【14-6】モースの贈与論の親族関係への応用 - 親密な相手が誰かを決めるのは社会の構造(?)【構造主義入門】
交換することそのものが、人間の営みである
何か目的があって交換するのではなく、交換するためにその対象を作る
父方交差従兄弟婚が見られないのは、女性の交換を促進しないためである
贈与と返礼をする社会システムを人間はどうあっても作り続ける
その贈与と返礼が循環する社会システムをつくるために、女性を交換するシステムがどの社会でも発生する
arai.icon 自己完結型の生活を人間的ではない、と感じる感覚は多くの人が持っている、これに相当すると考えるとわかりやすいかもしれない
このことから分かることは、我々が「本心から親密だ」と考えているのは、生まれ持った自然な感情ではなく、社会制度の中で構築された感情であるということである
人間の感情が先にあって、社会関係が取り結ばれたのではなく、社会関係の構造が先にあって、感情がそれによって形成される
父親と仲良くするのは当たり前だ(そうあるべきだ)、夫婦が仲がいいのは当たり前だ(そうあるべきだ)というのは、日本社会で生きているからそう思うのであって、別の社会に行ったら、「なぜ兄弟を優先しないのか?」「なぜおじさんと仲良くしないのか?」という批判が成り立つのである
…で、なぜこんな研究が近代的人間観そのものに対する攻撃になったのか?
【14-7】「科学的思考」と西洋文明の相対化 - 数学はなぜ絶対的なものではなくなってしまったのか【構造主義入門】
サルトルvsレヴィ=ストロース
なぜこんな研究が近代的人間観、科学の権威そのものに対する攻撃になったのか?
神話の研究(神話学
あらゆる文化圏で語られる神話も、共通点が多い
神話を集めて、神話をズタズタに切り刻む
〇〇が空を飛んだ、神が怒った、父を殺した、etc
共通の構造が抽出される
しかし、神話全体でのメッセージに本質的な意味があるという前提を打ち崩す
あらゆるテクストの権威が相対化され、解体される
まず聖書、それから哲学の書物(マルクスやヘーゲルさえも、人間の主体性という前提を生み出した神話に近いとして相対化される
ヨーロッパの知的伝統を「真理の追求」ではなく、ただの数多ある社会制度の一つに過ぎないとした
未開部族の思考体系は、数学と同じである
数学を駆使して文明を発展させた西洋人は、未開部族の人よりも「進歩している」という言い方が成り立たなくなった
ヨーロッパの真理の伝統
啓示による真理、証明による真理
証明による真理の追求は古代ギリシャから生まれた
諸々の事実は、共通の定理によって証明できる
定理の根底に公理というものをつくった
幾何学原本
公理は絶対に疑わない、経験的真理である
近代化するにあたり、啓示による真理は真理ではないと考えられるようになった
さらに、デカルト座標とニュートンのプリンキピアによってこの世の物理現象は、方程式で表せるという発想に至った
非ユークリッド幾何学の誕生によって、ユークリッド幾何学が空間を扱う絶対的な公理ではない、という事になってしまった
相対主義の芽生え
未開部族の思考体系は、数学と同じである
野生の思考、プリコラージュ
主体という概念も、この構造の内側にあるものなのだから、主体が歴史を作っていくという世界観はあくまで一つの神話(制度にすぎない
カリエラ型の婚姻クラス(オーストラリアの原住民の結婚ルール)と四元置換群が同じだった。
https://gyazo.com/cedb2e1f50802825b80dd15d15cb40a8
【14-8】雑談会 - 構造主義はニヒリズムを深めた?責任の成立しない社会は想像できるのか?など【構造主義入門】
意識と主体について語ることから、規則と構造について語ることへの転換点
自由な我々はどこへ向かうべきか?という問いから、我々は何から自由ではないのか、という問いへと引き戻された
近代 = 人間性、合理性、理性と、それを用いた進歩・発展への信頼(あるいは信仰)
構造主義はこれらにも限界があることを示した
それらにはなんの意味もない、とは言っていない
しかし単線的な発展、収束しうる正しさ、というものを破壊したことで、(その後のフーコーなどが強調するように)少数派、抑圧された価値観や国、個人の存在に光を当てることにつながった