対話的な学びを実現するために、自分の理解をアウトプットして、他者と意見を交換できる機会を作る
主体的で対話的な学びとはどういうものなのか。通信教育において独学の割合が多いので自身の学びを「主体的」であると自認している人は多いかも知れないが、対話的な学びを実現できていると考えている人はどれくらいるだろうか。
過去の自分との対話であるならば、過去の自分の書いたものに現在の自分がアクセスし、その議論を再検討できるような学習の仕組みを整えることができているか。
これらはICTを活用することによって、より合理的に実現できるだろう。
他者との対話であるならば、リアルでの対話もあれば、オンラインでの対話もあるだろう。通信教育に置いては、リアルで実地で会って学ぶことのコストが高すぎるので、定期的にそれをするのが難しい。オンラインならば、そのハードルを少しは下げることができるだろう。しかし、ITが自分の学習に組み込まれていない人にとってはそういった発想すら持つのが難しいかも知れない。
自分が学習している過程で、どれくらいのことをアウトプットすることができて、それは他者にとってどれくらい意義のあることなのか。また、授業において、学生の作業した記録のどれくらいがインターネットで共有することが可能で、そこから学生同士の交流に繋がりうるためには、どういったICT活用がなされている必要があるのか。
こういったことは、実践してみないと、実感として分からないと思うし、ICTを「道具」程度に考えている人は、こういうことすら考えたことがないのではないか。
例えば、面白い本を読んだことの話を他人とする。これはDiscordやSkypeなどを用いれば可能であるが、例えば、話をしているときに、誰かが話をしているな、とふらっと会話に参加したり、その会話に耳を傾けてみるというような出会いの偶有性を高めるにはDiscordの方が良いと思う。そういう風に考える人ならば、Discordのボイスを積極的に活用して、自分が面白いと思うことを伝えるために時間を割こうとするだろう。このとき、誰に「教える」という
従来のLINEコミュニティでの「売り」は過去問の共有で、それはテスト自体が難しすぎるという「問題」に対する集団的な対策であったが、そこから学び合うという行動へは繋がらなかった。過去問の共有のためには、LINEの通知は基本的に切っておいても問題ないし、必要なときにだけピンどめを確認すればいい。
レポートに通過すれば単位認定がもらえるが、しかし問題が難しすぎるから(物理的に対策する時間が足りなすぎる)どのテストがなされるか、予想をしなければならない。過去問から出題されるので、そこを優先的に学ぶ。この理屈では、
目的
試験のクリア 短期
教員になること 中期
手段
試験のハードル下げ
問題が予測できれば、そこを重点的に学ぶことで、試験を通過しやすくなる(ランチェスター戦略的な時間配分)。
というような発想での行動がなされている。学生のなかには、もっと理解したい部分があるという人もいるだろう。できるだけ本質的な学びを実現したいという人もいるだろう。