開発独裁
例えば「独裁政治」と言っても、実体は官僚支配であったり、権威主義的政権のことであったり、経済的利権を何らかの形でばらまいて政権を維持する利益誘導政治であったりと一様ではない。
また、形式上、議会制民主主義が維持されていても長期安定政権によって開発主義的な政策が行われていた場合にこう呼ぶこともあり得る。
また、一般に開発独裁政権で実施されて成功されたとされる、成長分野に国家の指導・監督の下に資源を集中して経済成長を図る、といういわゆる傾斜生産的な活動が本当に経済成長の源泉だったのかという点も検討が必要であろう。
中華民国や大韓民国は経済の発展により、民主化運動が起きて独裁体制は終了した。
一方、シンガポールでは経済発展を遂げた現在においても続いている。
民主主義の抑圧や反共主義という点では一致するものの、経済開発には極めて消極的で(独自の社会主義体制も手伝って)経済や産業は停滞・衰微していった。
また、文民官僚を敵視し、放逐して後釜に軍人を任用するなど、軍国主義ともとれる特異な反官僚政策をとった。
19世紀日本の富国強兵政策は開発独裁に似た面もあるが、独裁者が存在せず議会政治の導入が順調に進んだという相違点がある。 なお、開発独裁諸国の中では、韓国の朴正煕が「維新体制」を称するなど明治維新を模範とした。
開発独裁に類似した権威主義体制だが、開発独裁とは対照的に、経済開発は鉱業など輸出向け産業を除いて極力行わない政策を採った。