コーヒーの歴史
コーヒーの起源については二つの説が伝承として伝えられている。
エチオピアのカルディという名前のヤギ飼いの少年が、山中でコーヒーを食べたヤギが興奮状態になることに気づいたことから発見したという説。 オマルという名前のイスラム神秘主義の修道者(デルウィーシュ)が、追放されて迷い込んだ山中で鳥に導かれて見つけたという説。
コーヒーが文献に登場するのは、9世紀、イスラーム世界の医学者アル・ラーズィーの『医学集成』が最初とされる。
豆を砕いて煮た煮汁を薬として飲むと、消化・強心・利尿等の効果があると記されている。
コーヒー独特の味と香りを出す「焙煎」も、13世紀頃に行われるようになった。 コーヒーに含まれるカフェインには、中枢神経を刺激し眠気を払う効果がある。 そのため、夜を徹して修行にはげむイスラーム神秘主義者(スーフィー)が好んで飲むようになった。
ただし、コーヒーが『コーラン』で禁じられている食物にあたるのか否かの論争も生じた。
マムルーク朝支配下のメッカでコーヒー禁止令が出される(1511年)などの曲折を経て、次第にコーヒーは合法とみなされ、嗜好品としてイスラーム世界に定着していく。 オスマン帝国 のもとでは、16世紀に「コーヒーの家」なる喫茶店が登場し、酒が忌避されるイスラーム世界における貴重な社交場として人気を博した。 また、オスマン帝国と取引を持つ商人らによって、ヴェネツィア(1648年)を皮切りにヨーロッパ諸国にもコーヒー店があらわれた。 なお、 1683年にオスマン帝国軍はウィーン包囲に失敗し敗走しているが、その際に遺棄された大量のコーヒー豆によってウィーンのカフェがオープンしている。 イギリスでは1652年に最初のコーヒーハウスが開かれ、1714年にはロンドンだけでその数は8000に達した。 コーヒーハウスは様々な情報が集まる市民のサロンとなり、新聞・郵便・保険などの発展に必要な場を提供した。 しかしあまりに男性的な空間だったためか、18世紀から家庭に浸透した紅茶との競争に敗れてコーヒーハウスは廃れていく。 パリで最初のカフェが開店したのは1672年である。 フランスではコーヒーは上流階級から受容されたため、カフェはおしゃれな空間として認知され女性客を取りこむことができた。
こちらも数多くの文人が出入りする世論形成の場となり、フランス革命の際には「カフェ・プロコプ」「カフェ・ド・フォア」などが活動家の拠点となっている。
18世紀初頭まで、ヨーロッパはモカ港から出荷されるイエメン産コーヒーに依存していたが、需要の急増とともに新たな供給源が求められた。
18世紀前半までに、オランダはジャワ島、フランスはカリブ海のマルティニクやハイチで栽培に成功し巨利を得た。
もっとも、ジャワでは現地農民への作付け強制(いわゆる強制栽培制度)、カリブ海ではプランテーションにおけるアフリカ黒人の奴隷労働、という形で生産される典型的な植民地物産であった。
ポルトガル領ブラジルは、1727年、仏領ギアナに赴いた使節団長が総督夫人を籠絡することで密かにコーヒーの苗木を得たといわれている。 理想的な気候・土壌に恵まれ、19世紀前半の独立後にみるみる輸出を伸ばした。 1861年からアジア・アフリカのコーヒー園がさび病(葉にかびがつく)で大打撃を受けたこともあり、ブラジル産コーヒーは19世紀末には世界シェアの実に9割を握るにいたる。 コーヒーの一大消費国となっていたドイツは、国家統一をなしとげ海外に乗り出した19世紀末、原産地にほど近い東アフリカ植民地(現タンザニア)で栽培をはじめた。 しかし当初は採算がとれず、現地人の反乱をまねくなど散々だった。
キリマンジャロとヴィクトリア湖南西での生産が軌道に乗ったのもつかの間、第一次世界大戦に敗れてすべてを手放すことになった。
アメリカでは、独立前は本国イギリスと同様に紅茶が愛飲されていた。
しかし、東インド会社による茶の独占販売に抗議したボストン茶会事件(1773年)が独立の引き金となって以来、茶の代わりにコーヒーを飲むようになったといわれている。 1920年に禁酒法が施行されてからはコーヒー消費は飛躍的に伸び、現在も世界の輸入量の3割を占める最大の消費国となっている。 coffee.icon