クオリア
意識的経験を構成する要素。
端的な例が、感覚で視覚・味覚・嗅覚などで、思考や情動、記憶もクオリアである。
しかし、クオリアの定義は、現代の脳科学でも難しい問題であるとされている。 クオリアは、科学における最大の難問である。
「私がみている赤と、他人が見ている赤は同じなのかどうか」
クオリアとは、もともとは「質」を表すラテン語で、私たちが感じるさまざまな質感を表す言葉である。
私たちが感じる、考える、ほぼすべての意味や概念はクオリアであるといってよい。
(およそ心に思い浮かぶものでクオリアでないものを探すのは難しそうだ)。
だから、上の質問は、私の「赤」のクオリアと他者の「赤」のクオリアは「違う」のか?という意味になる。
「違う」も「同じ」と対立するクオリアのひとつである。
「物質を追いかけて、その動きの法則性を調べる」という現代科学的なやり方では、 「我々の意識の上に起きている『この質感』」の起源を 原理的に決して解明することができないということだ。
この「クオリアの起源」という問題は、 1990年頃、哲学者デイヴィッド・チャーマーズにより提起され、 「人間の意識なんて、脳という機械の産物であり、この機械の仕組みを解明すれば、人間の意識の起源も解き明かされる。」 と楽観的に考えていた脳科学者、物質主義者たちに、大きな衝撃を与えた。
共感覚 – 異なるモダリティの感覚が混ざりあって体験される現象。 盲視 – 見えていないといいながら、視覚刺激に反応できる症状。 幻肢痛 – 手や足を失った人が、失った手足を痛いと感じる症状。 両眼視野闘争 – 左右の目に異なる映像を与えたとき、映像が交互に入れ替わりながら体験される現象。