いじめ
自分より弱いと思い込んでいる人に対し、身体的、肉体的に苦痛を与える 行為。 自殺してしまう人が増えている。
誰もがいじめる側になる可能性があると指摘されている。
最近のいじめには次のような特徴があるといわれる。
個人対個人のいじめではなく、集団で特定の個人に向けられるというケースが増えている。 集団による匿名性のために意識が薄まり、無責任な行為が平気で行なわれる。
遊びの中で特定の子どもをターゲットにして攻めたり、陰で脅しながら対外的には本人が好きでやっているように見せかけるなど。 このように、手口が巧妙で偽装化されたものが多く、担任教師の目にも触れにくい。
巧妙化の陰に隠れて行なわれるいじめは、ますます残忍性を帯びながら執拗に繰り返される。 そのために自ら尊い命を断つという事件が後をたたず、社会病理の深刻さを物語っている。
「いじめ」の発生場面が一つの構造をなしている。 つまり、「いじめるもの」「いじめられるもの」に加えて、「観衆」や「傍観者」の存在が指摘されている。 目の前で行なわれるいじめに対し、制止したり仲裁したりせずに、見てみないふりをしている者が多い。
一度いじめの標的にされると、学年が上がろうとクラスが変わろうと、いじめられっ子の役からは逃れられないことが多い。 その背景には、いじめにあった子どもが、報復を恐れてその事実を担任の先生にも親にも告げようとせず、発見が遅れるということもその要因として作用している。
さらにいじめには、いじめる側にも次のような要因があるといわれる。
家庭での欲求不満の憂さ晴らし、
競争社会(受験戦争や成績による序列化)におけるライバルつぶし、
関心をかうための目立ち行動。
つまりいじめは、加害者および被害者側の要因だけでなく、すべての子どもを取り巻く家庭問題や教育問題など多くの要因が複雑に絡み合った病理現象である。
この子ども社会のいじめ問題の深刻化は、そのままおとな社会の病理の深さを映し出す鏡ではないだろうか。 「いじめ」は教師になんて相談したら余計に面倒なことになります、しばらくノートに「いじめ」の記録をつけて、国の法務局か各地の法律相談所に人権侵害の申し立てをするのがオススメ。 もみ消されることは絶対にないし、たいてい勝てる。
痛い思いをするのはいじめた方。町にいられなくなる。
「人をいじめるのは楽しい」という心理と、「人を支援するのは楽しい」という心理は共通して、人をコントロールする自己効力感を得る報酬なんだよねー。