農業集団化政策
第1次5ヵ年計画による工業化を開始しようとしていたソ連当局が、都市労働者と軍隊を養い、輸出を増大させるために必要な穀物調達率の大幅な向上を目指してとった政策。
1927年12月の第 15回党大会では個人農が大半を占めるロシア農村を、コルホーズの結成により改造することを決議した (それによりこの大会は「集団化の大会」と呼ばれた) 。 農民はこれに強く反発し,大量の家畜を殺し、放火や殺人事件も頻発した。
ブハーリンは集団化に反対して、政治局を除名された。
しかし富農と中農・貧農との区別は明確ではなく,集団化に対する態度によって恣意的に選び出された。
「富農」は財産を奪われ,強制収容所に送られ,あるいはシベリアへ流刑になった。このような農民は 1000万人に達し、数百万人が死亡したといわれる。
集団化率は、1932年に全農家の 60%,播種面積の 70%に達したが、穀物生産はむしろ減少し、家畜頭数はとくに大幅に減少した。 農業集団化はスターリンの「上からの革命」といわれ、農村を荒廃させたばかりでなく、ソ連社会全体に全体主義的構造と恐怖政治の雰囲気をもたらす一因となった。
ソビエト連邦の食事情