老賢人のドアを叩く
こっちを(表面上は)否定せず尊重してくれるし、若々しさが美しくて楽しい
なので若者とばかり話に行ってしまう
思う存分イキリ散らかせてスカッとするのだが、ほぼ接待であり、実りがあるかというと謎
老人と話すことは少ない
先人は若者が訪ねてくるのを待っている
大御所なら大御所で意外と周りに人がいないみたいなケースもある
需給が崩れていて、フラクタル性がある
若者から見ておっさん以降の老人はどうでもいい存在か、値踏みをする相手
(もうすでに自分は多くの人から見てどうでもいい存在になっていると感じる)
これ以上「若者に好かれたい!」という動機で安易なコミュニケーションを続ければ、本当にどうでもいい存在になったときに情報的に死んだ存在になりそう
(前例をよく知っているだろう・・・)
老人は語るべき相手が少ない
向こうから寄ってくる老人はあかん人が多い
これがトラウマになって老人を避けてしまっている気がする
老害のために自分のコミュニケーションの幅を絞るべきではない、克服したい
会話の中に精神的な交流を求めるなら、本当に語り合うべき老人、尊敬できる先人を探すべき
会話すべきは「人気者」ではなく「哲学者」
できれば現役で頑張っている先人がいい
相対的に若者である相手に対しては、さほど無碍にはしない…と思う
なので、つながりを多方面で失った今の状況は苦しいが、先人を訪ねよう
とはいえ、尊敬する人と会っても言葉が出てこないことのほうが多いんだよな・・・
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