少しずつ死ぬ、誰かが他人の死を選ぶ
生物的にはバランスを保てなくなった時点で一気に死ぬのだけど、社会的には少しずつ死ぬのだと思う https://gyazo.com/43d03cea1f8d658ac4c44d4fd2df77ba
急死でない場合には下記のことが起きる
まず老人は疎まれるケースが多い。痴呆や性格が自己中心的に変化するなど。 介護側と対立することで下記のプロセスが飛ばされたりすることがある
介護を担当している家族が疲れたり、あるいは地理的時間的に縛り付けられることで恨んだりすることがある
体が弱り始めると量を食べられなくなる
点滴を行うが点滴はずっと続けることはできないため、点滴ができなくなった時点でリミットになる
この時点で看護側から家族に限界ですよと伝えられ、家族側も諦める
延命治療があるために現代だと実質的に家族に死期を決断させられるように見える
自分には維持のバランスが社会的にも崩れる様が、死にグラデーションがあるように見えた
自分を振り返ってどうなのか。
今この瞬間も社会的な死に歩んでいるのではないか。
若い頃はいるだけで望まれる立場になることもあった。
今はただのおじさんであり、どちらかというと疎まれる側になりつつある
いなくていいのに、と思われるというのは、上記の死のグラデーションを一歩進んでしまうということなのではないか。
だからこそ、他人に嫌われることが恐ろしく思えるのかもしれない。
歯を失ったショックがかなり大きくて、自分が一回り小さくなったように感じてしまった
今は非常に喪失に対して敏感になっているように感じる