いつかのWWW
今更だけど、World Wide Webってめっちゃセンスある命名だなあと思った
世界にある情報が蜘蛛の巣のようにつながるというイメージはかなり豊かなものだと思う
人間が構築するシステムは常に神経を模倣する形に収斂すると考えている
蜘蛛の巣に例えたというのは、最初からゴールを正確に言い表せていたということ
この規模まで想定していたかはわからないが…
ローカルの小リンク
最初自分が触れたネットワークは「パソコン通信」そして「BBS」だった パソコン通信におけるBBSとはまさに掲示板であって、お知らせだのEメール的なやり取りなどが行われていた
有志が立ち上げたサーバに電話+モデムでアクセスする感じは、あくまでローカルコミュニティのノリだった
全国的に流行していたのは「Nifty Serve」や「PC-VAN」のような商用サーバでのやり取りだった
なぜだか自分はパソコン通信に非常に興味を持ってしまい、親にモデムをねだるという有様だった
これらのコミュニティが生まれた経緯はわからないが、その当時流行していたアマチュア無線などのコミュニティや、雑誌での文通募集と近かったというのもあるのではないか
インターネット以前から「遠くの他人と繋がりたい」という欲求は存在し、かなりのコストを掛けて成し遂げられてきた。どうしてなのだろう?
「人間の孤独感の満たし方」について類型化してもいいかもしれない。
mixiのような閉鎖的なコミュニティが生まれたのも面白い出来事だった。
インターネット以後
地球の裏側の人の今日の夕食がわかるようになってしまった
かなり早い段階で情報のキャパオーバーが生まれてしまったと思う
それの帰結として
「インターネット以外」のアプリ上でのコミュニティが発生した
外部と自分自身を明確に区切った上で掘り下げるようなWikiの使い方をするようになった
例えばこのScrapboxがそう
一方で、DeepLやGitHubのようなものが生まれて、ほぼWebは完成に近づいているような気がする
文字コミュニケーションならではの「たどたどしさ」「伝わらなさ」はまだ感じる
これを元に考えたこと