UIが溶けていき、ツマミの数は減る
過渡的な見方な気もするけど、マスタリングツールのOzoneを見ていると
・リファレンスを読ませることができるようになってきている
これは、リファレンスに雰囲気を似せることで最低限を担保しつつ、Tweakする余地も残しておくことで、コーナーケースのクリアをしつつ仕事をしている感を満たしてくれるんだと思う これは仕上げが必要なコンテンツに限れば、類似のツールが出る可能性もあって、例えば文章サンプルを読ませれば文体を似せてくれるとかありうる
一方で0→1を誰がやるのか問題はありそう
ある程度の制約を課すことで、初心者でも0→1を手軽にできるようにする、というのが、自分のツールによるコンテンツ作成のコモディティ化観だけど、ツールが充実しても0→1はあんま楽になってくれないんだよな 楽しさで言えば、
・0→1は明らかに苦しい
・慣れてる分野の0→0.1は楽しい
・他人が0→0.95まで作って仕上げの0.05に口をだすのは楽しい
本当にツマミの数が減っていくのはいいことなのか?
直感的にはNo
AIにdescriptionを与えている状況が「つまみの減った状況」なのだと思う。
しかし実際のところ、コントロール可能な部分が少ないと表現の幅が減り、意図したイメージに近づける自由もきかず仕上げ時点のストレスが増えてしまう
「それっぽさ」を手早く実現できるというだけで、より早く飽きられる危険性のほうが大きいと思う
実際「Ozone臭い音」みたいな言われ方もしているし
一般人にとってそれがどの程度認知可能なものなのかは謎