AIの表現に飽きてきた
https://gyazo.com/45b08deeb22bf869b3950ca6afedc6ac
下記についてもう飽きてきた
AI小説
AI大喜利
※AIアートアンチの意見です。なんか技術的なやつは受容する性格だと自分で思ってたけど気づいたらめっちゃアンチになっちゃった
AI小説
特にAI小説については有料契約とかして数ヶ月触っていた
最初は書けると全く思っていなかった小説をどんどん生み出せてかなり面白かったし、書いてる最中に異常な展開が生まれて爆笑したりとかしていた
2ヶ月くらいで興味がなくなってしまったし、思った通りの展開を作ってくれないことにストレスを感じるようになった
また、結局「それっぽい文章」を生成しているだけで、整合性が取れておらず、著者の人格がないものというのは本質的に面白くならないんだなという感想になった
おそらく作者の人格と、それが元になって生まれる一貫性というのがコンテンツそのものよりも重要になる瞬間があるんだと思う
印象に残る作品を作るには、おそらく作者の性癖を煮詰めるという作業が必要で、AIの作るものはそれっぽさを混ぜた薄いスープにしかならないんだと思う
例えばこの作者頭おかしいだろ…みたいなある種の称賛をするけどそれも作品の楽しみ方の一つではあると思う。まどマギなんかもスタッフの作風がクローズアップされた例
そういうの持ち上げすぎじゃないかなみたいに引いちゃうときあるけど、知覚に結構影響するものなのかもしれない。結局人間は人間に興味があるので
でも人の書いたAI小説には気づかない可能性はある
AIの支離滅裂さは面白いけど、支離滅裂に飽きる
AIアート
これはAIが最も向いている領域なんだとは思う
イラストっぽさの再現性には圧倒されるものの、結局この領域でもこの程度かという認識になってきた
つまりクオリティの問題では無いところでつまらなさを感じているんだと思う
おそらく手法?
AIアートの実態はコラージュだと思われる(技術的な詳細は知らないけど、受ける印象ね)
インターネットのコラのスレとか見て爆笑して徹夜するみたいなことはAIでなくてもあった
でもだんだん疲れてきて2ヶ月後には見向きもしなくなるあの感じに近い
無関係なものを複数貼り付けて作品を作っても特に記憶に残るものにならない
夢は記憶のコラージュだけど、起きたら何も覚えてないことが多い
また作風も凡庸な感じがする
誰かの手癖で作られた安物という感じ
「それっぽさ」は凡庸なんだと思う。尖ったものは生み出せない
なにかの作品となにかの作品をモーフィングしたところにアイデアがあるかというとない
AIは主題を生み出せないんだと思う
主題の背景をAIに埋めさせる用途は依然有用
ただしAIアートが持ち上げられる状況は続くと思う
絵描きの数十年を数秒で埋める(ように見える)技術というのは魔術的
信仰が生まれる余地がある
人智を超えた何かを支持することで自分が有能になったように錯覚する人もいるだろう
将棋でいう評価値信仰だけど、あれでイキってる人見るのかなり辛い。人の推測する楽しみをスポイルしておいて得意げなあの感じ…。イラスト界隈で同様の事象起きないでほしい…
むしろAIにみんな飽きてほしいというのは自分の願望かもしれない
絵描きほどこの状況にすぐ飽きると思う
絵描き以外はこういう細かい差に興味がないし、飽きるほどAIコンテンツを享受する機会があるか謎
@cicada3301_kig: AIイラスト、媒体にとらわれて写真の発明が絵画に与えた影響をアナロジーとして語るべきではなく、工芸品と大量生産品の関係にあたるんだよな これはしっくり来る
イラスト技術の普及によって、工芸品が大量生産品の麓まで降りてきたと思うけど、それが人手によってなされているのでワイワイしたコミュニティが存在できていた
ところがAIアートによって、雰囲気さえあれば何でもいいゾーンから人間が駆逐されかねない状況が生まれてきた
それによって利益を受ける人も、コモディティ化されて手頃にアートを手に入れられる人も増えただろうけど、そのすべてがコンテキストを維持していない雰囲気アートの粗悪品になってしまう
そんなものを諸手を挙げて歓迎するのを目にすると普通に腹立つ
けどこれは大量生産で職を失いそうな三流陶芸家が「あんなもの…!」って言って怒っているような感じなのかも
また、一流陶芸家しか生き残れないんであれば全体の品質も下がっていくような気がする
結局AIにフリーハンドで作品を作らせるのは筋が悪いのでは
現実的な利用方法は主題は人間が書いた上で、それらをつなぎ合わせるように「重要度の低いところ、視線を集めないところ」を補完させるのが一番実用的だと思う。
今のUIはAIにフリーハンドで任せる部分が多すぎ
でもなんか質的転換が起きて、ここで書いたことが全く見る目なかったとか後で有り得そうなのが怖いところ
人間の創造性を過大評価してる可能性もある。人間も単なるすごいAIみたいなものかもしれないし
単に自分がAIアートが嫌いというバイアスもある
作風の面でも、取り巻きの面でも嫌い
デッサンが怪しいけど塗りがうまい感じとかがあり、人間の有名作家でもそういうとこあったりするとゲェ~って思う
絵を書かない人たちがめちゃくちゃ騒いでるのが嫌…
でも今のところAIアートはこの辺が限界で飽きが来るフェーズに入ると思ってます。どうなるか。
調査
AIアンチなので、AIアートで学習元の画像に激似の画像を見つけて焼き尽くしたい
あるのか…?今までそういうのは発見されたことはないはず
2枚めとかは特に破綻が少ない感じがするから、似たやつないかdanbooruを探してみよう。
構図は近いんだけど、構図しかあってないな…
よく見ると元の絵スカートめっちゃずり落ちてる。ちゃんとベルト締めて
結局4000件以上見て発見できなかった。全部で66k件あるから見切るのも大変だけど…
推測だと、低解像度のレベルではほとんどそのまま画像が使われて、解像度を上げる過程で他の絵が混じってくる感じじゃないかなーと思っている
そうなると人間が既存の絵をぼやっと見てポーズを参考にするのと何ら代わりはない
心情的には、決定的な画像を見つけて焼き尽くしたいところだが…今のところは敗北
danbooru見ていて思ったのは、人間が描いた絵ってかなり癖が強いなというところ。
AIの絵はうまく個性が脱臭されている感じがして、ボカロが流行ったときみたいにAIが描いた絵の方を好む人とか出てくるかもしれない
@yubais: 「AI の創造性ってつまるところ、学習データをバラして組み立て直すだけの著作権ロンダリングでは?」という気持ちと、「よく考えたら人間の創造性もそうなのでは?」という気持ちがある これが今の自分の認識に一番近い
悔しいけど人間もやってるし、AI無罪は間違いないという気持ち
でも自分の中に敵意はめちゃくちゃ残っている。克服できそうにない
@NaBaBa: 最近知り合いとイラストAIについて話していて出てきた感想が「AI抜きに絵柄に飽きた」。つまり人間の作家でも変わらぬ作風で模倣者も増えれば陳腐化するという事が、AIが濫造しまくった結果、ものの数ヶ月で食傷気味になってしまった。これは絵の出来、AIの質とは別の問題。人の飽き性の問題。 この人と意見が近いな
NovelAIも使ってみてるんだけど、「マスピ(masterpiece)顔」という用語を知った
https://pbs.twimg.com/media/Fi2J1vdVEAU0zeM.jpg
これ具体的に誰の絵柄に近いとかありそう(詳しくなくてわからないが)
クオリティの高くなる呪文(タグ)がデフォルトで入っているらしく、つまり流行りの絵柄に束縛してるんだと思う
マスピ顔自体も数年で更新される気はする
大量生産されるようになればその絵柄周辺は飽きられてしまう
今まで絵柄が飽きられるのは3~5年くらいのスパンだったように思う(80's, 90's, 00'sのアニメで別の絵柄が思い浮かぶように)
供給量が過大になればそのスピードが上がっていく
対策としては、特異点みたいな絵柄を習得すること
カイジ…はちょっと例えが悪いな
PixivではNovelAIを大量に連投している人がいるようで、しかも一定の需要とプロ意識みたいなものを持ちつつあるので、長期的な問題になりそうな気がする
AI以前にレディメイドな3Dモデルのスクショを投稿していた人たちがいた
Pixiv上の絵描きは流入元としてのグローバルタイムラインの働きをある程度期待していると思うのだけど、物量で圧倒できてしまうとグローバルタイムラインは機能しなくなってしまう
AIによる3Dモデル動画化
AIの癖(腕を上げたときの脇が謎なことになる)や、3Dから2Dイラストに変換するときの傾向が見えて面白い
ハイライトにもかなり色が入るようになっている(しらび風?)
視線が手前を向くように補正される
「お母さんの料理よりレトルトカレーのほうが旨いや」
ちょっともやっとしたことがあり、なんとなくこの例えを思いついた
自分としては、その場所と自分の能力でできる一番いいものを出しているつもり
栄養価とかも気にしつつ、なるべく手数を減らして節約したり
でもAIの絵にクオリティで負けることがある
実際最近のレトルトとか冷食うまいじゃんみたいな
そんな感じになっちゃうと「じゃあもう今日からレトルト毎日食べてなさい!」って感情になってしまう
しかしクライアントと自分の関係は親子ではないのである(そこは甘えがあるな)
クオリティで負け続けたら普通に仕事を失うだけ
100%レトルト生活がきついというのをいつかは気づいてくれるかもしれないが、それは賭けになってしまう
ここで微妙に自分がAIに勝てると思って上から目線なのはなぜかというと、絵描きというのは統一感や意図を持たせるということの価値をわかっているため。できていくものを見ながら少しずつ方向性を調整していくので、言ってみればプロンプトを書き直して試行錯誤することにかけてはプロみたいなもん
しかしそんなこだわりいらんわ、素人からみたらどれも一緒じゃいという領域ではボロ負けが予想される
AIは道具であるという時代はどうやら来そうだけれど、どうやら乗り越えなければいけない心理的な壁があり、なおかつ乗り越えた先の居心地が悪そう
自分の積み上げた経験値の価値が下がっていくのは確実
今までは仕事を抱え込むことでなんだかんだ自分の好みを入れることができた(ライティング・構図・画風など)
しかしその自由は失われて、クライアントが調理場に入ってくる感じになる
そのコントロールは自分のほうがうまくできる!という自負は残っている
でもクライアントからしたら、今まで仕事を抱え込まれて自分のほしい絵が出てこなかったからこうなったわけ
結局は絵描きの自由とプライド両方が失われるという感じになる
機械とかはまあ仕事を奪ってきたというとこは一緒だけど、なんだかんだ融通がきかないという特徴もあった
しかしAIは融通がきいてしまう
AIに最適なUIは下記の3ステップだと思う
まず自由テキストでやりたいことを入力させる
その後、クオリティアップのための質問をいくつかAIから人間に投げる
最後に、プレビューを出して、人間が調整したいだろう項目をスライダーとしていくつか表示してTweakさせる
このUIは現行技術で実現可能だと思う
今まで人類が経験しなかったタイプのラッダイトが起きるのでは
AIネイティブ世代の絵描きは新たに積み上げるものがないので特にAIに拒否感を感じない気がする
すごい負け確の気分
ラッダイト合法のうちにラッダイトしたい
AIを破壊してスッキリしたいぞ
どうやれば破壊できるんだろう…AI…
サーフィンを浮世絵スタイルに変換したもの
かなり繰り返しが目につく(おそらく学習サンプルが足りていない。浮世絵がパターンチックな画風というのもあるが)
生成AI、絵を小さく分解してスタンプのように押していった感じなんじゃないかなと前々から思っていたが、少し確信を強めた
人間の学習とAIの学習は同じなので根本的に合法、という主張はよく目にするが、同一視する根拠がないと思っている
どちらも学習という言葉を使っているから同じ、というのはトートロジーでは
そもそも人間の学習とは何かが明らかでない
自分には学習というよりうまくコラージュをやる技法に見えている
生成AIの画風は装飾的すぎ、シンプルなものを作れないという印象は引き続き持っている
低解像度のほうが良いデザインを出してくる率が高いと思う
高解像度化する過程で低解像度から不要な細部を「想像してしまう」
よくわからないオブジェクトを生成しがち
20231102
引き続きAIは流行している
ブログヘッダー画像やOGPなどで頻繁に見るようになった
非デザイナーからブレインストーミング的にAIに画像作らせてみたけど、みたいな話はよく出てくる
コスト高が問題になってきている
今のところ有用なモデルはGPT-4からみたいなところがある
自然言語がインターフェースとしてあまり適切でない(特に画像生成分野で)
結果細部の詰めが不可能になっている
GPT-4でもいまいちな感じある
チャットが長くなってくるとどんどん出力の質が下がっていくのを感じる
人間でも、リテイクが繰り返されるとどんどん品質が下がっていくのだが、AIも同じだなあという感想
制約条件が多ければ多いほど品質が高くなる、みたいな認識を最初はしていたのだが、実は逆でAIには制約条件少なめで自由にやらせないと品質を保てないのでは
人間のデザイナーや絵描きの品質が高いのは、自分の作りたいものを作っているからなのでは
仕事はあくまで口実で、お金をもらって自分の作りたいものを作るのが本質、というツイを見て、たしかにいい仕事してる人はそんな感じだわと思ったのだった。自分のやりたいようにやってるからいいものができる
受託仕事で何でも相手の言う通りにする癖がついちゃったのかなあと反省している
何でも言う通りにするというのがまさにAIなので
つまり制約条件が自分の成果物から逆算されているような状態が必要
であるならば、やはり非絵描きとAIのタッグというのは成り立たないと感じる
自分で何を作るのか決めているケースでは、試行錯誤のサイクルが圧倒的に早い
きっとAIより早い。プロンプト修正→AI生成待ち→プロンプト修正…のループが案外時間かかる
試行錯誤も人間にとっては学習の一部
テーマを理解するために書くみたいなところがある
今のUIだとAIは構図出しみたいなところにしか使えないけど、これからどうなるか
20240114
ステージという一回性の魔法の中で揮発的な言葉のやりとりを繰り返すお笑いの世界では、本人の存在感が批評性を放射する奇跡も起こり得るわけだが、ひとつひとつのカットを意識的に積み上げることでしか創作の質を確保できない映画の世界では、粘り強い思考力と一貫した批評的知性を持たない人間は何も残すことができない。
これちょっと創作物の性質にも関わってくる気がしたのでメモ
例えば、漫画家にも長編に強い人と短編に強い人がいる
長編に強い人間が強いメッセージ性を持つかというとそうでもない気はするけど
むしろ短編マンガ vs 4コママンガくらいに考えるといいか
短編漫画は強いメッセージを維持できる最長の例くらいに思っている
岩明均みたいな一部の天才は除く
そもそも生成AIに批評って可能なのだろうか?
粘り強く考えること、一貫した批評を行うことは生成AIでできるのかよくわかっていない
もちろんコンテキストを維持して長い結果を生成することはできるのだが、問題はテーマの濃度なのだと思う
20240217
Soraが発表された
ちょっと前に発表された楽曲生成もかなりすごかったのだけど、長いコンテキストの維持という壁を超えたように思える
1分という制約はあるが
どれくらいリソース使ってるんだろう?ローカルで生成できるようなものなのか?
推測だと、一貫性のあるストーリーのある画像を何枚か生成し、十秒以上コンテキストを維持しながら補間するような技術なのでは
ウィンドウサイズはディテールの怪しさが何秒程度持続しているかで推測可能
よく見るとディテールはかなり怪しい
例えばジャケットの襟が十秒以上にわたって変な形になってたり
屋根が人物より下にあるようなパースになってしまっていたり
ただし初見では気付けないと思う
OpenAIのWebサイトではこれは汎用ワールドモデリングなのだと主張している
これはかなり誇張がある気がする
あくまで動画を学習して動画を出力しているという既存のものの品質が上がっているだけだと思う
失敗例のほうが面白いような気がする
椅子が布のようにペラペラになり形が崩れていってしまう
つまり、椅子が形を保っているところは何枚かの静止画として作られていて、その中間の怪しい部分は補完によって作られた部分なのでは
物体に関する知識がないので、学習元にあまりないシチュエーションでは単なる視覚的な補完を試みてモノらしさが失われる
ただし実用域にはある気がする
どれくらいのpricingになるかによるが
例えばWeb広告で使われていくのでは
撮影するより安く上がるのであれば、クオリティは低くてもパット見で本物っぽく見えれば十分
一方で驚き屋みたいになっている人は固定化されてきた気がした
その人達自身は別になにか生み出すわけではないのでミュートしていくかなという気持ち
引き続き、なんのために絵を描くのかみたいなのを考えさせられている
直感的には、生成AIの射程内の仕事は全部安くなっていくだろうと思っている
つまりAIに軸足を置きすぎると引き続き危険
AIに作れないものを作ろう、という方向性が持続可能なのかどうか
今後実験室レベルでのAIの能力は上がる一方だと思う
「今は」ストーリー強度の高いイラストで勝負できるけれど、今後はわからない
AIの能力は使う人間にキャップされている面もあり、杞憂なのかもしれないけれど、もし人間の曖昧な入力をもとに強度の高いストーリーを提示(というか創作)するようになってきたらどうだろう
生成AI後もハンドメイドが残るという前提で考えると、生成AIにはむしろ全く時間を使わないのが正解な気がする
AIがこのまま伸びつづけることで市場のシュリンクが起きるのであれば、人間同士の生存競争が激しくなる
AI Assistedなイラストレーターがアドを得続けるかどうかはちょっとわからんというか否定気味
例えば写真家とイラストレーターと3Dはそれぞれに技術進歩があったのだが、それを活かしてトップを取っていく人というのは見たことがない
どちらかというとカテゴリ内で知名度を得たかどうかが重要なので、AI Assistedは別カテゴリを作るんだと思う
生成AIをそのまま取り入れたアートというのはすでに周回遅れになっている様子(バズったりはするけれど、アートとしては表現手法の一つとして消費済み)
今見る限りだと、AI Assistedで一番市場性があるのはアダルト分野で、量が多くて安いというのがアドになっている様子
AIが真に創作性を持つタイミングというのは、例えば桃太郎やアンパンマンを陳腐化させたときだと思う
本当に人間を上回ったのであれば、人間の持つ物語原型によりフィットした物語を作れるはず
そうでなければ、あまたある物語をクリシェしたバリエーションを作ったにすぎない
20240223
SD3が発表された
DALLE3の品質に追いついて来たような感じだろうか?
テキストレンダリングができるようになってる
自分からすると、2D画像はもう改善するネタがあんまり残っていないように感じる
主戦場は動画になっていくのでは?
デッサンの修正や形状の整合性チェックなどが入ると良くなっていきそうだけど、これは全く違うアプローチが必要になってくるのでは
今後、ローカルでの動画高速生成が達成されるとかあれば、結構大きく変わっていきそうかなあ
根本的に、どれくらいコストを詰める余地があるのだろう?
コストが変えられずスケールアップで解決するということになると、いよいよ持たざるものとの差がついてくるかなと
個人的には数学問題の解決とかアルゴリズムの発明にAIが使われる方が夢があると思う
AI assistedなツールはコントロールの難しさという問題がずっとあるんで、より直接的で微細なコントロールが可能な旧来のアルゴリズムを使った道具のほうがまだ便利な感じがする
汎用AIが出てからということになるんだろうけど、まあまだ先な気がしてならない
というわけで人間はAIの進歩を待ってるのではなく、先に自分がアルゴリズムの勉強をしなくてはならなそう