褒めるのではなく感心する
褒める褒めないという軸で考えるよりは、
相手の狙いについて面白がって言及する
というのがいいような気がしている
何度も叱るのはもちろん良くない
叱るというと「やり方について口出し・非難する」になりがち
基本的にマイクロコントロールになる
細かく指示して最適化したとしてもスムーズに動くには長期間の練習が必要
それをせずに泥縄的に修正するとむしろ効率が下がる
言う側も言われた側もストレスが貯まる
叱ると上下関係が明確化され、顔色を伺うようになってしまう
じゃあ褒めればいいのか?
褒めるとか叱るとかより、情報量をコントロールするほうが重要に思える
やり方は否定しない(とにかくやらせる)
ゴールは修正する(何に集中すべきか明確にする)
ゴールについて議論するのにはいくら時間をかけてもいい
その糸口として「面白がる」というのが便利
褒める
基本的に出し渋りをしてもしょうがない
褒めすぎも信頼関係を損なう懸念がある
仕事を進めるのを怖がる性格の人には、調整のために褒めまくるのはあり
余談
教育において、アドラー派の人が「ほめるのは他人の人生を支配することにつながる」(主体性の侵害)と書いていた 自発的動機づけで動いていた人間の勢いを損なうことはある気がする
「支配する」までは起きないんじゃないかとも思う
褒められたことなんて結構すぐ忘れちゃうだろうから、過大評価では
むしろ否定されて来た人間は認められたい欲求を抱えがちで、そのほうが主体の侵害性は高いんじゃないの
自分はそっちの実感のほうが強い
「褒めるのが苦手」という人
かなりよく見る
自分の基準から「いいか悪いか」の判定を下さなければいけないと思い込んでいる
0 / 100の思考だと感じる
というか、採点者になる必要はないと思う
なぜ「悪い」評価をくださなければ行けないかと考えているかというと、悪い方向に向かった瞬間に修正しないといけないと考えているから
目的地に車で行くときに、ハンドルの角度が少しずれただけで怒っているようなもの
下記で代替できる
ゴールを繰り返し説明すること
部下の技量が十分でない場合は、中間ゴールを設定すること
部下が未熟なのは当たり前なので、延々叱り続けることになる
つまり「褒めなければいけない」というのも勘違い
上司は手段のコントロールをするのではなく、ひたすらゴールの説明に徹したほうがいいのでは?
そもそもコントロールはしなくてよい
部下の自己解決能力を信頼する、信頼できないならゴールを細切れにする、細かなミスは上司がサポート体制を取る
手段のコントロールを手放したとき、工夫や手段の選択に対して「なるほど」という態度が取れるようになる
自分の考え
褒める事自体の効果はモルヒネ的な感じ
必要な局面もあるが依存してはいけない
全てにおいて進むのを怖がっている人間には必要だと思う
「自分で自分を褒める」ことができるように導く。そういうタイプには内発的動機づけが必要
「客観的事実に基づいて褒める」のを繰り返して内面化させる
「ここは安全だからアクセル踏み込め」くらいの意図しかない
安全を確保してから褒める
褒めなくてもいいこともある
「ほったらかしにされている」という印象を与えないのが一番大事
なので、褒めるかどうかみたいな判断は「オプション」でしかない
頑張ったり工夫した点を無視されるのが一番つらい
個人的には「褒めすぎ」て逆に信用を失うリスクもあると思っている
嘘になるのが良くない
良し悪しみたいな視点で評価しようとするのではなく、「面白い」など読み解きの観点から感想を述べるだけでよい
良し悪しを本当に伝えたいなら「体感させる」しかない。基本は乱取り稽古。
基本的には「リアクション」すればよい
なるほど~とか面白いなーとかで十分
工夫点のインタビューだと思えばいい