消費する気もないものを作る
生成AIはやる気を吸い取る箱だと思っている
AIに生成させたものには愛着が持てない
作るにあたって知識を集めたり、練習したり、作りながら学ぶみたいなことがある
結果よりも過程のためにものづくりをするということがある
生成する場合は、この学習過程をスキップすることが可能
可能であるということは、全員がそれをするようになる
その物事に対して詳しくなればなるほどに愛着や執着が形成される。
その執着こそが、ものを作り切るという原動力に思える。
AIに作らせたものへの加筆修正は苦痛
AIは自分の能力を拡張してくれるもの、ではなく完全なる他人に見える
今のところ。パーソナライズに慣れると意見が変わる可能性はある。が、今のところは赤の他人に、このように考えているように振る舞え、という自分のエミュレーションをさせているように見える。
その他人の思考様式を理解するところから始まる
また、AIの作った部分は表面上完全に仕上げられたものになる
そこだけ人間が手を入れると、かなりラフな感じになって目立つ
よくできたテンプレートに手を入れていくことで、だんだんダサくなっていく感覚に近い
つまり、すべての人間の作為は、生成物をスポイルするかのように写ってしまう
人間は手を動かすことでアドレナリンが出るのだが、この場合は作業するたびに憂鬱な気分にさせられることになる
AI生成物にはサンクコストが生まれない
手作業にサンクコストを生むことで、逆説的に価値が生まれるということだと思う。
鉄筋コンクリート製の城なのだと思う
そもそもそんなに効率を上げてどうするのか
大量生産の機械の良いところというのは、作りっぱなしでいいというところだ。
物理的なものというのは、存在させたあとは放っておいても場所を占有し、ずっと存在しつづけてくれる。劣化はするが
一方生成AIが作るもので物理的なものは少ない。
データはインターネット上に永続的に存在させ続けることにコストが必要であり、その原資は愛着である
常に人間がボトルネック
人間が興味を持てることには限度があった
そもそもインターネットとパーソナルコンピュータのちからで、消費しきれないほどのコンテンツが生まれることになった
もちろん受け手の需要も限度がある
生み出されたものはただ押し流されていく
存在というのは抗わなくてはいけない
都市において水はけが大事であったように、存在しつづけるということ自体が重いタスクである
人間の思いを存在させつづけるには、当人の強い生存への意思が必要
人間の意思でどうにかなる範囲を飛び越えて、コンテンツを生み出すことに意味はあるのか
本当に必要なものは「あなた」を特別に思い、共感し、心を動かしてくれる他者である
つまり増えるべきは読者みたいな存在
他者に見てもらうためになにかを生み出し、自分の価値をアピールするのだが、そこがブーストしても受け手がいない
AIがあなたに共感し、受容したところで嬉しいのか?
嬉しいときもあるかもしれない、が、AIはハグをしてくれない