昨日快適に生きたかどうかなんて
米津玄師がインスタライブで「人生はいかに健康的な範囲で苦しめるかが大事」といった旨のことをしばしば口にして
まずソースがリンクされていないけれど、それはそれとして
個人的に「コンフォートゾーン論」は結局根性論じゃんと思うところはあって同意まではしない
ただ、昨日快適に生きたかどうかは、一旦忘れることは可能なんだとは思う(程度にもよるが) もちろん持続的に不快感を感じながら生きていくのは難しいけれど、短期的な不快であれば飲み込める可能性は高い
快適を追求するのって本当に大事なのか
不快感のある場所を好んで突き進むほどに、目的意識がはっきりしていれば問題ないのかも
快適の追求は自己目的化になりがち