幸せになりたい
KICKBACKのyoutubeコメントより。
この曲のインタビューにあった、どん底にいると具体的な未来や希望が見えずただ呆然と幸せになりたいと思うって感じの言葉がすごく印象に残ってる
このインタビューのこと。
デンジって、めちゃくちゃ恵まれない環境に生まれたんですよね。義務教育も受けていないし、まともな状況下で育っていない。そういうとんでもなく不幸な状況だと、具体性を失っていくと思うんです。とにかく幸せになりたい。でも、幸せになるためにはどうしたらいいかというところにまで考えが及ばない。とにかくお金が欲しい、何をどうすればいいかもわからないけれど、ただ欲しい。そうやって、欲求がものすごく抽象的な感じになると思うんです。とにかくハッピーに生きられたらいい、楽しければいい、ラッキーだったらいい。そういうふうにしか考えられないのって、非常に大きな不幸の裏返しである気がするんですよね。「チェンソーマン」のオープニングテーマを書くにあたってデンジという主人公を表現するためには、「幸せになりたい」「ハッピー」「ラッキー」みたいな具体性を失った平坦な言葉、わかりやすい言葉で構築していく必要があると思いました。
でも「かけがえがないね」と言うしかない。そういう状況にいるときって、本当に具体性を失うんだと思います。とにかく楽しい旅行であるという様式をなぞる以外の選択肢がない。こんな不幸なことってあるだろうかと思います。それと同じように、本当にどん底の状態にいると、とにかく「幸せになりたい」とか「楽して生きていたい」みたいなあけすけな言葉しか出てこない。「ハッピー」とか「ラッキー」みたいな言葉しか出てこない。それしかない感じが歌詞に出るといいかなと思いました。
黄金の茶碗を盗んだ人間、素性がよくわかっていないし実際には動機も正直に言っているか不明だけど、なんとなく連想した。大谷と水谷みたいな。急に目の前の前に現れたハッピーとラッキー。主観的な見通しの暗さが、極端な短絡的な行動につながっているのではないかと。幸運にすがりながら生きてしまう。
自分も他人事ではないというか。最近積み重ねということができなくなっているのではないかという怖さがある。ラッキーに頼って生きてきて、不幸を嘆く人間や運任せな人間のことを悪く言えるのかとか。不運や努力不足、親族の状況変化が重なれば、数年後には似たような状況に陥ったりしてもおかしくはない。