可読性についての議論はペイしない
読み慣れたコードというだけで可読性は高くなる
可読性に基づくチーム間での調整は必然的に交渉になる
交渉にかけた時間分ペイする考え方なのか?
可読性という言葉を使うのは辞めたほうがよい
文字だからすべてのコードは可読でしょう
フォントの可読性とかならわかるが…
大事なのは理解を阻害するコードになっていないか
何かを伝えようとしているコードなのか
これは相手がいてはじめて考えること
一人で可読性といっててもペイする結論にならない
嘘をついていないコードか
これを実現する考え方は、名前重要のみ
正当な名前を付けるために言語機能やフレームワークの優劣がつくことはありうる
ただしこの議論を可読性から始めても仕方ない