倒しきらない
こいつ暴言吐きまくってて許さねぇ!みたいな事例を最近複数見た
「コミュニティのため」あるいは「暴言を吐かれた相手が傷ついたので」みたいなのがベース
言われっぱなしで黙っているというのは確かによろしくない
好き勝手言われてなんで黙ってなきゃいけないんだみたいな理不尽はある
誰かが反撃しないと変わらないことも多くある
稀だが意思疎通がうまく行って共通認識にたどり着くことはある
個別の事例に関しては特に自分の意見はない
主体となっている人が好きにやればいい
ただ、自分が同じ状況に置かれたときにどうするかなというのを考えた
「自分以外のため」になにかするのは、報復の際限がなくなりがち
平たく言えば「正義のため」なので
そうなると相手を倒しきらなければならなくなる
相手も被害者意識は持っているケースが多い
何らかの被害を受けたのに、更に馬乗りになって殴られたみたいな心象になる可能性がある
「非を認める」みたいなことは期待できない
ということは倒しきれない
自分も極稀にレスバするときは、当人に向けてやるというよりもギャラリーに向けてやるけれど、そうなるとなおさら追撃は不要と思う
「やっつける」ことの気持ち良さが良くない気がする
世の中を単純化したいという衝動がある
手段が目的化することも怖い。例えば子供が「はい論破」みたいに言ってるのも、コミュニケーションをせずに勝敗をはっきりさせたいという感じなのだろう
なので、自分が誰かとレスバをする機会が来たときにはこうするかなあ
主体は自分に限定する。なので「嫌だった」ということをはっきり伝える
誰か他人のために、という立場は取らない。他人が大人である場合ケースによるが自衛手段を取れることが多い
そのため、他人がかわいそうだから、で報復を行うと過剰報復になりやすいと思う
あえて勝ち負けをはっきりさせず、意見交換が終わった段階で打ち切ってしまう
ガツンと言った後、言う前よりも不快な気持ちになっていなければ嘘ではないか、みたいに思っている
誰かを言い負かした、みたいなところから快感を得たくない
帰結としては、相手と共存できる可能性がなくなったからガツンと言わざるを得ないのであり、それ自体は悲しいことだと思う
ガツンと言わざるを得ない状況になっていることがすでに全員負けみたいなところはある
なにか言ったあとに、ちゃんとLose - Loseになっているかみたいな確認をしたい
まあ自分がディベートをあんまりしないので、こういう結論を出しがちなのかもしれない
ディベートが普通に行われる環境下なら、こういう感情が入ること自体が変で、すべてフラットであるべき