今日は誰かの最低の日
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ひどい出来事が起きるたびに、何かを自粛すべきであるという気分になる
これはSNS時代に当てられてそうなってるわけではなく、自分はそういう感性をやはり備えている
子供の頃のどこかで喪に服すという概念を内面化したのだと思う
今日も明日も、誰かの最低の一日である
誰からも共感を示されないような孤独な悲しみもある
悲しい状況に寄り添うというが、悲しみを代わってあげることはできない
それはコンテンツ的消費ではないのかと思う時もある
いつも通りに過ごすということを意識的にやる人もいる
SNSは使命感が暴走して酷いことになっているところも見えてしまう
ハウリングが起きやすいのだと思う
直接関連しない、何かできるわけでもない人間が騒ぐべきではなく、自分の人生を粛々とやるべきではある
余力を残すこと、インフラを維持すること、誰かのいつも通りを提供するという役目がある
共感を示したい、連帯したいという気持ちが宙ぶらりんになる感じもする
なので自分はこういうときよく雨の絵を描く
自分ができることは自分の生活を守るくらいだ、と自分を戒めるために傘を描く
自分のできることの範囲の小ささ、状況のままならなさ
しかし雨に濡れるべきではない