インターネット芋粥
自分はずっとAI利用者でありながらAIに批判的という微妙な立ち位置
最近思うのは、AIは提供速度を上げてくれるが、それは受け手のいないものなのでは
欲望を吸い取られている感じがする。例えば絵を描きたいという気持ちが湧きにくくなった
難しいからこそそれを欲望していたわけで、簡単に実現できてしまったらそれに対する執着を失ってしまう。
これは実質令和の芋粥なのでは?
なんでも実現する力を持つと言うのは良いことではないのではないか。実現出来ないからこそ渇望するふしがある
むしろ、執着から生まれる過集中こそが、強烈なコンセプトの源泉であるように感じられる。