「人に会いに行くこと」と実質的葬式
まだ生まれていない、または死んでいる時間のほうが圧倒的に長い
むしろ今たまたま生きている例外的な状況
人が死んでから惜しんだり、想いを墓前で伝えたりしてるけど手遅れ感がすごい
レスポンスが返ってくるうちにお悔やみを伝えたほうがいい
そもそも家族葬が多くて親しくても参列できなかったりする
葬儀を前倒しするつもりで人に会いに行けばいいのではないか
人は基本的に死んでいるし、自分も基本的に死んでいるのだから、全コミュニケーションを葬式だと思ったほうがいいのではないか
会いに行くかどうかの基準も、葬式に参列するかどうかと同じでいい気がする
会いに行くのに理由はいらない。葬式なので
生きている人の前で、お前のようないい人が死ぬ運命にあるなんて、と号泣することも合理的な気がする
誕生日パーティは実質葬式な気がする
一年に一回定期報告できる