『花束みたいな恋をした』
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すぎぴ.icon 花束みたいな恋をしたは、サブカル恋愛映画に見せかけて社会派だからすごい。夢を捨て労働者になった彼氏は実家が細いが、夢を追いかけられる彼女は実家が太い描写など、労働者を馬鹿にする人を暗に批判している描写が多い。ものすごい映画。
押しボタン式の信号でキスをする
手を繋ぐ
「こういうコミュニケーションは頻繁にしたい方です」
大体はベットにいて何回もした
ここでもしたし、ここでもした
誰でもできる仕事をしたくなかった。俺は労働者ではない。
すぎぴ.icon 小説や物語の多くは犯罪を描くが、これは犯罪を通じてしか、自分たち人間の暴力性、性を理解することができないことかもしれない。
一人の寂しさより二人の寂しさがよっぽど寂しい
楽しかったね。
話そうか。
これで別れを確信するのが怖い。
楽しかったことだけを思い出にして大事にしまっておくから。
すぎぴ.icon 女性の方から別れ話を流暢に話せるのがリアル
ふろにはいるようなもの
先輩が風呂で溺死
出会いのきっかけである『押井守』に始まり『天竺鼠』『今村夏子』『穂村弘』『ゴールデンカムイ』『宝石の国』『きのこ帝国』『舞城王太郎』などなど……
(C)2021「花束みたいな恋をした」製作委員会
2015年から2020年までの五年間にスポットを当てた作品ということもあり、当時のコンテンツの固有名詞がマシンガンのように飛び交う。
怒涛の固有名詞のラッシュはそれを愛好する麦と絹にとって同時に独自のキーワードでもあります。それは「自分と同じものを見ている/聞いている』という視座を共有するための言葉として機能します。
その共犯関係は物語内だけに止まらず見ている観客にもまた「これは自分(たち)の物語だ」と引き込む力があります。
物語の冒頭からイヤホンを二人で分けて音楽を聴くカップルに対して、「同じものを聴いていない」とベーコンレタスサンドやカツ丼を例えに用いて「分けたら別のものになってしまう」と力説するシーンがあるように「同じである」ということは『花束みたいな恋をした』では重要なテーゼであるようです。