Bialystocks
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#ミュージシャン #好きなアーティスト
Vo. 甫木元空
Key 菊池剛
Bialystocksは2人組の日本のオルタナティヴ・ロックバンド。 2019年にボーカル甫木元空監督作品、青山真治、仙頭武則共同プロデュースの映画 「はるねこ」劇中での生演奏上映をきっかけに結成 wiki
2024-9-9
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2024-12-4 
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2025/12/04
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ターニングポイント
https://www.youtube.com/watch?v=na5YEiavmQk
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22歳のとき、青山真治にカラオケを誘われて、Queeenのボヘミアン・ラプソディーを歌ったら「音楽やれば?」と言われた。脚本とお前が作ったCDをもってこい。そのあとに菊池
https://x.com/natalie_mu/status/1575772515322171393
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──タイトルを「はだかのゆめ」にした理由はなんですか?
甫木元 人は誰しも死ぬ瞬間、看取る瞬間に「もう少しだけ生きれたらよかったのに」って、後悔や永遠を求めてしまうものだと思うんです。それって自分にもいつか死が来るという、抗えない結末から意識が遠のいてるわけで。誰しもが思い浮かべる夢というか「それを映画にできたらな」ってところから始まったんですよね。
──今の話を聞いて思ったのが、甫木元さんの書く歌詞にも死生観を感じるんですよね。誰しもに訪れる「死」をいい悪いではなくて、もっと客観的に描いているというか。
甫木元 確かに。感情論じゃなくて高知に行って自然との距離が近い中で生活をして「自然ってそういうものなのかな」と思えたんです。もしかしたら、その感じが歌詞にも出ているのかもしれない。それこそ灯籠流しとか、違う県へ行ったらそれぞれの弔いの仕方がある。その人について嘆き悲しむというよりか、各々の処理の仕方があると思うんです。歌もそういう距離感のものがあってもいいのかなと思っていますね。
──民俗学的なアプローチですね。
そうですね。以前、青山真治監督(※青山監督は甫木元監督の大学時代からの恩師で、甫木元監督の初長編作『はるねこ』(16)をプロデュースした)から「高知に行くなら読め」と勧められ、民俗学者の宮本常一さんの著書『忘れられた日本人』に出てくる、土佐源氏という馬喰の老人の話を読みました。宮本さんが老人の話を聞き書きしたものですが、その影響で今回のシナリオも、祖父から家族や土地の話を聞いて書き留めるところからスタートしたんです。
https://ginzamag.com/categories/interview/310460
埼玉県で市民ミュージカルなどの舞台演出をする父と、ピアノ講師をする母の間に生まれた甫木元さん。フォークソングや童謡がいつも自然と流れているような家庭で育った。2013年、がんを患っていた父と死別。その時に考えた死生観を作品化した長編映画「はるねこ」(16年)で監督、脚本、音楽を手掛けた。22年にバンド「Bialystocks」でポニーキャニオンのレーベルからデビューし、23年には新潮社から小説を出版。多才ぶりを発揮する気鋭が、なぜ同町で祖父と暮らすのか―。自宅を訪ねた。
甫木元さんが母・志津さんの故郷である同町に移り住んだのは17年。志津さんは甫木元さんより先に、1人暮らしの父をみるため実家に戻っていた。「母は来てすぐ、がんが見つかり、余命宣告を受けました。90歳近い祖父と末期がんの母、心配ですよね。それに僕のルーツの高知で何か撮りたいって思いがありました」
家の前の畑には菜花、大根、白菜、タマネギなどが植わっている。「みんなじいちゃんが作ってます。元気っすよねー、ほんと。90過ぎているんですけどね」。都会的な雰囲気をまとい、口数が少ない甫木元さんだが、尊英さんの話になるとうれしそうに話す。
甫木元さんの自室から見えるというネムノキが白い枝を広げる
甫木元さんの自室から見えるというネムノキが白い枝を広げる
「あの木ですね」。甫木元さんが指さす畑の向こうには、ネムノキが白い枝を広げている。「僕の寝る部屋からいつも見えるんです。芽吹き、花が咲いて、実を付け、葉が枯れて散っていく。窓の外の風景が四季と一緒に移り変わっていくさまが、高知に来ていとおしく感じられるようになりました」
「片付けられないでいる」という志津さんの机と椅子。甫木元さんはそっと腰掛ける。「父が亡くなり、今度は母も亡くなろうしている時、じいちゃんが『なるようにしかならん』みたいなことを言っていて…。どうにもならないことにはあらがおうとはせず、のみ込みながら、淡々と畑仕事をしたり、ブシュカンを搾って焼酎を飲んだり、朝ドラや大河ドラマを欠かさず見たり…」
そんな祖父の姿を目にして「近くの四万十川に架かる沈下橋のようだなって。台風が来たら来たで沈んでしまう沈下橋のような。僕の中でとても腑(ふ)に落ちたんです」。
「高知は不便ですよ。レコーディングや打ち合わせなんかは東京ですから。でも、なるようになるでしょう。移り住んで7年になろうとしていますが、映画も音楽も小説も、僕が描いたのは高知で暮らす日常の風景です。それに、じいちゃんがいますしね」