日石ビレッジ日記
日石ビレッジ
マッサマンカレー
突き詰めたい料理
カレー
麻婆豆腐
アンチョビ
和食
魚醤
音楽
コード進行
アコギ
キーボード
腎臓の病院
油分多いカレーはバスマティライス一択
言葉遊び
2ルックバック時間
0.7インターステラー時間
コミニティースペースを全国に作ったら革命だよね
コレコレ
人間のやっていることは森の再現、エコシステムを作ることだ。
ハンドパン
倍音
青いブラジャー
青ネックレス
青いカラーコンタクト
健康体
体を見るとその人が何を意識しているか分かる。
あくぁ
美しさは、その人の思考の現れだ
名前も水を連想させるものだった
美しい人は変わらないのではなく常に変化している。
時の流れにあらがわず、自分という素材の輪郭を追求し続けている。
体を曝け出した時に、恥ずかしがることがある種フェチズムを刺激すると
造形美のことだった。僕は絵がうまくなかったことを悔いた。あの美しさ、艶やかさ、曲線美、それを残したかった。撮影することは禁止されているので。
食べるときに携帯・テレビをみない
テレビない生活してたけど
朝の情報番組ほど無意味なことはないと理解した。
事件と芸能の宣伝で
テレビみないと流行と隔離できるから
食事中のテレビだめやわ
普通に食事に向き合うべきだった
無料でも、なんで見させられてんの?ってなった
近代とは生産と生活のアウトソース。それが、いきすぎた現代では自ら意識的に、生産と生活をしないと、消費と生活のアウトソースで仕事の奴隷、ロボット人間になってしまう。
姿勢がカッコ良い人はカッコ良い
ニキビひとつなかった、肌が綺麗な人が多かった。
本当の人の魅力とは対話ではなく、プレゼンであった。
ずっと話してくれた。
ある種信じられてないのかも
統一感あるのが良い
そのこだわりがやばい
自分は黒と深みどりを極めたい
けんしんの
SNSの陽動的なコンテンツや、不毛な男女の話、ポリコレ等の政治の話は虚構でしかない。いや、そもそも存在しない話だ。
例えば奢り奢られ論争など、男女の関係性でしかない。
なんなら、自分の目の前にいる人との対話でしかない。
そこに、べき論やテクニックなど存在しない。
目の前の人たち。目の前の現象
そして自分の解釈と見方
どう面白く調理できるか、どれだけ余裕を持って思考し、感情に委ねる確かな自信があるかだ
確かな生活を自分たちで確保する
生活をアウトソースしすぎていた
生活こそがエンタメだ、人生の目的だ
生活を復権しろ
アルファは
そもそも言語化することも野暮なことだ
美味しいご飯を使ってもらったら
めっちゃうま!と大きな声と、普段使ってなかった筋肉が動くくらいの笑顔をすれば良い
生活の知恵はレバレッジ
確信だが、一軒家・マンションという閉ざされた住宅はオワコンだ
現代でイメージしやすい例としてタワマンのようにフリースペースがあったり、入居者の専用の浴場・キッチンがある
など、コミュニティとしての機能を携えた「住」が大切だ。
一方でタワマンにすむ属性の人は、生活をアウトソースすることや仕事に熱心な方が多い傾向にあるので、上記に挙げた「住資源」があっても、誰かと共有するという動きは、大きくないと思う。
朝ごはんいらない
昼は血糖値をなだらかにするものを食べる
夜ご飯はたくさん食べて寝る
→睡眠等で、一番時間が開くから
お金を使わない遊びの方が奥が深い
消費はアウトプットのアウトソースなので、インプットしかできない。
一方で生産はアウトプットなので、インプットの上でアウトプットが必要になる。
生産的遊びをすることで、消費的遊びが生産のためのインプットに変わる。
たとえば、アコギをコード進行を勉強して練習していると、日々聴いている楽曲のコードを調べる癖ができる。
日常的にインプットできるようになるのだ。
日石の方々はそうした特徴があった。