宮崎駿の神と革命(ノート)――『君たちはどう生きるか』から『風の谷のナウシカ』へ|杉田俊介
児童文化研究者の村瀬学は、宮崎アニメの独創は、アニメーションの世界を、菌類や微生物の世界とじかに重ね合わせたことある、と述べています(『宮崎駿の「深み」へ』)。考えてみれば、腐海は、単なる死や毒の世界ではありません。蟲や木々や菌たちは、腐海の中でいきいきと生きています。腐海の中で新しい進化を遂げながら。そもそも、腐ることは、人間の眼からみれば、生き物が次第に朽ちて死んでいく過程を意味するでしょうが、微生物や細菌のレイヤーからみれば、豊かに活性化し、活動的になっていくことを意味し得ます。
すなわち、米やモチや納豆など、食べ物が「ねばねばしたもの」に発酵したり、熟成したり、他の命と雑ざり合って、共に変化し続けていく過程――そうした腐海的な熟成=変化の過程の中に、宮崎駿はある種のアジア的な原理を発見していたのです。
たとえば近代日本美術の立役者・岡倉天心は、「アジアは一つ」と宣言しましたが、それは、近代西洋的な価値観を超克するために、アジア的な寛容と平和の理念を打ち立てようとするものでした。それは何より、美(宗教)の原理のもとに、平和を構想することでした。もちろんそこに植民地主義や帝国主義の現実があったことは否定できません。 しかし竹内好が強調したように、そこにある危うい両義性を背負っていくことなしに、日本近現代以降のアジア的なものの問題を考えていくこともできないのです。
たとえば甘粕正彦(陸軍軍人。大杉栄と伊藤野枝の虐殺事件(甘粕事件)を起こす)は、一九三九年から満映のトップを務めていましたが、ディズニーの『ファンタジア』(アニメによるワグナー!)の上映を観て、劇場アニメーション映画に強い関心を抱き、部下の赤川孝一(赤川次郎の父)に命じ、満映で長編アニメーション映画の自主製作に取り掛かろうとしています。満州国の崩壊によってそれは実現しませんでしたが、赤川は戦後に東映動画に入社し、黎明期の東映のアニメーション製作における中心的存在の一人になります。そして赤川が企画を立て完成させたのが『白蛇伝』でした。 とすれば、宮崎作品に潜在する民俗的な自然宗教においては、日本的自然/アジア的自然/地球的自然(腐海)の間の葛藤とせめぎ合いがあるはずです。そしてそれは戦中の国策映画~満映~東映動画~スタジオジブリ……という歴史性とも繋がっているように思われます。