身分と階級について
身分と階級について
『蒸気爆発野郎!』の時代の英国を理解するためには、厳しい階級制について知る必要があります。この時代の英国は、あたかも1つの国家に3種類の国民が住んでいるかのようなものです。ヴィクトリア朝時代では、階級とは生れた時から決められているもので、それを上方へと変えようとすることは、無駄な努力と見なされるのがオチです。基本的に貴族は貴族、職人は職人というように、分をわきまえて行動することが当然視されています。ここでは上流、中流、労働者階級のそれぞれの生活について解説します。
上流階級<貴族とジェントリ>
上流階級に属する身分は、大別して貴族とジェントリの2種類です。貴族は爵位を持ちます。爵位は公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の5つに分けられます。また、貴族は1万エーカー以上の土地を所有しているのが普通です。1万エーカーは、約40万平方キロメートルにあたり、東京都で言えば、大田区や練馬区が同程度の広さに当たります。ジェントリは爵位を持たない土地所有者のことを指します。ジェントリの中でも、3,000エーカーを目安として身分が2つに分けられます。しかしどんなに所領の小さいジェントリであっても、1,000エーカーの土地を保有しています。
当時の地代は、普通1エーカー当たり1ポンドですから、貴族の年収はおよそ1万ポンド、平均的なジェントリは3,000ポンド、最低でも1,000ポンドです。
上流階級は労働によって収入を得る必要の無い身分です。彼等は国会議員や地方の治安判事職に就いています。これらの職務には歳費の支給は行われていませんし、実際には名誉職と変わりありません。
上流階級の生活
上流階級の人々は、日常を大型レジャーで彩っています。あり余る不労収得が、そのことを金銭的に支えています。広大な所領内で行われる狩猟はその代表です。狩猟というレジャーの桁違いなことは、例えばキツネ狩りで動員される人と動物の数とを考えてみても納得できるでしょう。
19世紀の後年期には、レジャーが大衆化していましたが、上流階級の人々が行うレジャーは、大衆のそれとは大きく異なっています。国内の日帰り旅行が、労働者の手に届くレジャーになった時に、既に彼等はヨーロッパやアメリカへの海外旅行を楽しんでいました。テニスやゴルフが大衆の間に広まった時には、アフリカでの猛獣狩りや、アルプスでのロッククライミングを楽しんでいます。
このような上流階級は、倫敦のような都市部には住んでいません。彼らは郊外の田園に居を構え、悠々と自分達の生活を行っています。
■上流階級の人々の衣装
中流階級<ブルジョワジーと専門職>
中流階級に属する人々は、大別して産業ブルジョワジーと専門職に分けられます。ブルジョワジーと一言で言っても、大小さまざまで、工場経営に携わる産業資本家、銀行業を含む金融業者、貿易業、卸売業や小売業に携わる商業・運輸業者、上流階級から借りた農地に、農業労働者を雇って農業経営を行う農業資本家も、これに含まれます。ブルジョワジー達の所得源は主として産業経営からもたらされる利潤です。この点が上流階級との階級差です(上流階級の収入は地代や利子という不労所得が主なものです)。
専門職は2種類に分けられます。一方は古くからあったもので、弁護士、医師、教会関係者、芸術家、将校クラスの陸・海軍関係者などです。また、もう一方は、ヴィクトリア朝期を通じて急増した、土木技師、機械技師、建築家、測量士、会計士などの新しい専門職です。専門職の収入源は、ブルジョワジーのような利潤ではありませんが、努力とチャンス次第では、増収が見込めるという点が共通しており、過酷な肉体労働の報酬では無いという点で、労働者の収入とは明確に異なります。
中流階級の人々の中には、収入が優に1,000ポンドを超えるブルジョワジーも稀ではありません。従って収入面では下層ジェントリと上層中流階級との間の逆転現象も起こり得ます。しかし、中流階級でも平均の人々の年収は300ポンドほどで、下限は100ポンド程度です。一方、上流労働者なみの年収しか得られなかった下層中流階級は、「富める者と貧しき者」という二分法では、後者に含まれてしまいます。
中流階級の生活
上流階級のようにレジャー三昧の日々を送ることの無い人々は、勤労と節約を美徳と見なし、無為徒食を悪徳とする精神構造を持っています。その態度は、収入を増やす必要からも重視されています。従って日常の生活においては、上流を模倣し、上流を気取ることが行われています。もっとも下層中流階級にとっては上流の真似事などは不可能な話です。彼らにとってはヴィクトリア朝時代での中流の証である召使いを(それもただ一人の雑役女中を)雇うのが精一杯のところです。
年収300ポンド程度の平均的な中流階級なら、2〜3人の召使いを雇い、満足のいく衣食住を享受し、週末にはディナーパーティーを開くことができます。また、これらの人々は、休日や長期休暇に、鉄道や路線馬車を利用して郊外やリゾート地に繰り出すなどのレジャーを頻繁に行うことが可能です。この時代の中流階級の人の間での流行は、『導引機械情報サービス』(Guiding Machine Information Services)に入会することです。この入会には、厳しい審査が必要で、このGMISのカードを持つことは、一種のステータスとなっています。
以上が下層の労働者階級とは一線を画す、中流のステイタスシンボルです。しかし他方で、中流階級にもかなわぬ夢があります。それは自家用馬車を持つことです。馬車の所有は、その購入費、数頭の馬の維持費、御者や馬丁の賃金を含めて、上流階級や上層中流階級のステイタスシンボルとなっています。
■中流階級の人々の衣装
***
下層階級
この当時のイギリス全体のうち、国民の圧倒的多数は下層階級に属しています。これらの労働者階級の人々は、肉体的労働の報酬を週給で支払われています。中流の人々が月給で精神的労働の報酬を得ていたのとは対照的です。
特定の技能を身につけていない非熟練労働者、つまりヴィクトリア朝期における標準的な労働者の週給は、22〜30シリングです。これは年収に換算すると57〜78ポンド程度になります。
下層階級のエンゲル係数は非常に高く、また粗末な食卓です。標準的な食事は、バター付きパンとベーコンと紅茶くらいで、日曜日にだけ、豚肉と玉ネギとジャガイモとヨークシャープディングといった『贅沢な食事』が味わえるのです。さらにこれらの非熟練労働者の中には、年収50ポンドに満たない貧困層がかなりの数存在しています。一方労働者の中にも、比較的恵まれた生活をしている人々が存在します。それが『労働貴族』こと熟練労働者です。彼らは年収にして80-100ポンドの収入があります。
下層階級の生活
ここでは悪名高いイーストエンドに例を置いて、下層階級の人々の生活を見てみましょう。イーストエンドは、ナイチンゲールの言によれば、「最も人口密度が高く、最も不潔な地域」であり、また「空気汚染をもたらす工場」が建ち並ぶ「ロンドンの公害地区」です。ここに住む多くの労働者達は、劣悪な衛生状態の職場で、無理な姿勢、運動不足、短い食事時間、栄養不足、長時間に渡る過酷な労働、不潔な空気という状況下にあり、かなりの数が胸部疾患(たいていは肺結核)で若死にしていきます。住宅環境も劣悪で、道ばたには汚物があふれ、空気は毒気をはらんでおり、人が住むのに全くふさわしくない場所だと言えます。
■下層階級の人々の衣装
***