治安について
治安について
「地獄は倫敦によく似た街──
人ごみと煙にあふれた街だ。
あらゆる種類の人間が破滅し、
面白いことはまるでなく、
正義はごく稀、
憐れみはさらに稀にしか見られぬ。」
──P・B・シェリー『ピーター・ベル III世』第3部より
倫敦の治安
現在ヴィクトリア朝の後期には、倫敦のいたる所にガス燈や電燈が灯され、それ以前の暗黒の夜から、飛躍的に安全性の増した大都市へと移行しています。ガス燈が最初に照明用として使用されたのはもう約100年前の1792年のことで、ウィリアム・マードックという人物が自宅の照明として使ったものです。その13年後(1805年)に倫敦初のガス燈がペル・メル街に出現、その後は次々にガス燈会社が設立されていきました。この頃から倫敦の治安は格段に高まりました。しかし、ガス燈が設けられた地域は、比較的高級な地域に限られていますので、イーストエンドなどの地域では、昔通りに蝋燭やランプなどを使用せねばならず、依然として犯罪が起き続けています。倫敦では、一日に少なくとも一件は殺人事件が起きていて、報道で市民に適当な(?)娯楽を提供しています。このことから考えると、安全になったとはいえ、決して十分に安全とは言い難いものです。このような状態ですから、物騒な地域では、泥棒や強盗が多かったにも関わらず、殺人事件以外は警察もほとんど手を回すことも出来ません。
それでも倫敦は他のヨーロッパの都市よりも比較的安全で、気持ちの良い都市です。暴動も暴徒も、他の都市に比べて少ないものです。その理由は、スコットランドヤードの存在にも負っています。軍隊と異なる、武装しない警察の存在が、一般のイギリス人の『軍隊による威圧政治に屈するべきではない』という信条とうまくマッチしているからです。もしもヤードが軍隊と同じような組織だったとしたら、警察は市民によって憎まれ、暴動などの事件も、もっと多発しているでしょう。
スコットランドヤード
第1章『倫敦ガイド』でも語られていますが、ここでもう一度スコットランドヤードについての情報を載せておきます。スコットランドヤードとは、大倫敦の事件を一手に引き受ける、倫敦警視庁のことです。この組織は1829年に、ロバート・ピール卿による、『警察法案』が国王載下を受けて発足した際に、ホワイトホール・プレイスに創設されたものです。かつてこの地域を、スコットランド王たちのロンドン御所が占めていたために、この呼び名となりました。この場所は1890年まで使用されていましたが、1890年以降には、地下鉄ウェストミンスター駅のすぐ北側に移り、ニュースコットランド・ヤードとなっています。ニュースコットランド・ヤードの建物は、1875年に着工されたグランド・ナショナル・オペラ・ハウスが資金切れで未完成だったものを買い取って、造り直したものです。
また、ここには倫敦でも屈指の、巨大な導引機械が設置されています。事件が多発している現在、この機械はフル稼働中です。この機械は高度な推論機能を備えているため、地下数階分の容積を占めるものになっています。この機械の愛称は、『ピール卿』といいます。これは公式なものではありませんが、スコットランドヤードの産みの親、ロバート・ピール卿にちなんでのものです。
<コラム:当時の警官の実情>
19世紀末当時の倫敦では、巡査の社会的な地位は、あまり高いものとはいえませんでした。そのことは、シャーロック・ホームズ物語、『緋色の研究』の中に記してある、以下のような描写からも理解できます。
オードリー・コートは魅力のある場所ではなかった。狭い道を行くとむさくるしい住居に囲まれた石敷きの中庭に出た。我々は、汚い子供達の群れの間をゆっくりと進み、色あせた下着を干した紐の下を抜け、46番地にたどり着いた。戸口にランスという名前が彫られた真鍮の小片が貼り付けられていてた。尋ねてみると巡査は寝室にいたので、我々は小さな客間に通され、彼が出て来るのを待った。
まもなくうたた寝を邪魔されてちょっと不機嫌そうな巡査が現れた。「警察に報告書を提出していますが」彼は言った。
ホームズはポケットから半ソブリン金貨を取り出し、考え込むようにもてあそんだ。「私たちは全部君の口から聞きたいと思ってね」彼は言った。
「話せることは何でも喜んで話します」巡査は金貨を見つめながら答えた。
「ただ、君の言葉で起きたことを聞かせて欲しいだけだ」
ランセは馬の毛を詰めたソファに腰をかけた。そして何一つ話し漏らさないと決心したように眉をひそめた。
以上の文章には、当時の巡査が、どのような場所に住み、ホームズの持っている金貨を物欲しそうに見たかが書かれています。このシーンは当時の警官の実情をとらえる上で、非常に多くの示唆を含んでいるといえるでしょう。
警察の捜査能力
警察による犯罪捜査に実験的に用いられたのは、フランスから1894年に導入されたベルティヨン式人体鑑別法です。これは人体の特徴を調べて各人を識別する方法です。翌年、イギリスの遺伝学者フランシス・ゴールトン卿が改良し、ゴールトン式指紋確認法を考案しました。これはヤードで実験的に使われています。それ以前にヤードが用いていた方法とは、足跡を樹脂や蝋で採取する方法ぐらいです。
ヤードが主に用いている捜査方法は、やはり市民からの情報提供です。ですが、そのほとんどが歪曲した物だったり、ニセ情報だったりします。また、各種の集会に制服警官が送られ、ノートを取る場合もあります。
現実的に見ると、事件解決にはヤードの犯罪捜査局(CID)の私服刑事たちの力量にかかっています。多くの警部はCID出身です。彼らの中にはホームズに後れをとらない技量・技能の持ち主もいました。しかし、事件の数と比較して対応する人数が少ないことなどから、全体的には有能な警察組織だとは言い難いようです。一方で、現在数人のチームによって、導引機械を用いた犯罪統計学を基本とした犯罪捜査などの科学捜査が整備されつつあります。このチームの活躍により、いくつかの犯罪は迅速に解決されましたが、データの入力量の膨大さと、検索能力の低さなどから、実際には全ての事件に対応出来ているという訳ではありません。