交通について
交通について
「倫敦の繁昌は目撃せねば分かり兼ね候位、馬車、鉄道、電気地下鉄、地下電鉄等、蛛の糸をはりたる如くにてなれぬものは屡ば迷ひ途方もなき処へつれて行かれ候」
夏目金之助 留学中に妻の鏡子にあてた手紙より
馬車について
この時代を代表し、かつまた象徴する交通機関は馬車です。倫敦にはすでに地下鉄も走っていますが、これは労働者が乗るものというイメージを伴っています。従って地下鉄登場以前と同様に、やはり一般的には馬車が活躍を続けています。
倫敦市内には『乗合馬車(後の時代のバスのようなものです)』が、約1,700台も走っており、その乗客は勤務人や知的労働者などの中流階級の人々が主なものです。また、乗合馬車の運転は朝8時から深夜までで、料金は1/2ペンスから3ペンスまでです。
乗合馬車が活躍している一方で、『タクシー馬車(キャブ=辻馬車)』もあります。タクシー馬車の主流は、二人乗りの一頭立て二輪馬車(ハンソム型と呼ばれています)です。主流は二輪馬車ですが、タクシー馬車には四輪のものもあります。四輪馬車は四人乗りで、多くの荷物を乗せるのにも便利です。しかし、タクシー馬車の料金は割高で、普通料金は2マイルで1シリング、さらに1マイル増すごとに1/2シリングずつ値上がりします。そしてまた御者の態度も横柄なものがあり、運賃の三割分のチップを払わない客に罵声を浴びせることもあります。
交通渋滞について
現在倫敦市内は慢性的な交通渋滞に悩まされています。急激な人口増加によって交通量が爆発的に増えたためです。特に大通りは多くの馬車が詰めかけていますので、日中は多くの場合渋滞しているのです。
地下鉄について
倫敦の地下鉄の歴史は1863年にメトロポリタン鉄道で始まりました。これは同時に世界最初の地下鉄でもあります。この路線の工法は『開削埋め戻し工法』と呼ばれるもので、完全な地下鉄というよりはむしろ『半地下鉄』とでもいうべきものです。また地下鉄は、当初は労働者の乗るものというイメージで見られていました。動力車は蒸気機関車ですし、朝晩の労働者達によるラッシュアワーも、中流以上の階級に属する人々が地下鉄を好まない理由です。しかし、地下鉄の延長は着々と進み、1884年には地下鉄環状線(全長約13マイル)が完成しています。地下鉄環状線沿いには大きな終着駅が多数あります。
倫敦の街に本格的なチューブ式地下鉄が走るのは1890年からで、シティーのイングランド銀行のそばの駅から、ストックウェルまでを結ぶ路線です。小さな電気機関車が3両連結の客車を牽いています。各車両の後部にはデッキがあり、車掌が乗り込んでいます。この路線は『シティー・オヴ・ロンドン・アンド・サザック地下鉄道』といいます。また、1897年には『ウォータールー・アンド・シティー線』が開通します。次いで1900年に『タペニー・チューブ(2ペンス地下鉄)』という愛称を持つ『セントラルロンドン線』が開通すると、倫敦の重要なショッピング街とシティーが結ばれたこともあり、地下鉄は次第に市民達の間で利用されるようになります。
#倫敦の地下鉄の地図
鉄道について
英国は鉄道発祥の地です。1825年にはストックトンとダーリントンの間に世界最初の鉄道が開通しました。1830年には画期的なリバプールとマンチェスターの間の鉄道が完成し、1836年には倫敦にも鉄道が到来しました。そして19世紀も終わり頃になると、鉄道網はほぼ完成し、総営業距離は1万7千マイルに及んでいます。急行列車の速度は時速40マイル程度です。これは大体時速65キロメートルであり、かなり速いものだといえるでしょう。
1890年代には倫敦の終着駅もほぼ完成しています。倫敦には中央駅がありません。各社協議の上で中央駅を作らずにターミナルを分散し、一定の環状線(地下鉄環状線)よりも都心への乗り入れをしないことになっています。当時の倫敦の終着駅を西の方から時計回りに地下鉄環状線に沿って順に並べると、以下のようになります。
パディントン駅→ユーストン駅→セント・パンクラス駅→キングズ・クロス駅→
リヴァプールストリート駅→ロンドンブリッジ駅→キャノンストリート駅→チャリング・クロス駅→ウォタールー駅→ヴィクトリア駅
以上の10駅はそれぞれ壮大な建築物です。『倫敦ガイド』にそれぞれの駅の解説が行われています。