コミュニケーションの上手さとテキストコミュニケーションの上手さは別物
コミュニケーション
コミュニケーションというと、通常は以下のニュアンスがある。
対面かつ口頭かつ同期的に行う
非言語情報も重視する
表面的に、かんたんに伝える
コミュニケーションは万能ではない。
使えるリソース(時間や認知資源)に非対称性があり、しばしば「費やせない上位者」に伝わるように伝える政治と化す
タイミングを合わせねばならないので、会議という形で予定をブロックし、全体的には日々会議を消化する時間割のスタイルになる → 受け身で授業を受ける生徒のように、受け身で会議に参加するよちよち社会人が大量発生する
表面やかんたんの域を越えた、難しい議論や本質的な思考ができない。かわりに非言語的な良し悪しで判断するようになる → その判断ゲームに勝つために日頃一緒に過ごす営み自体が優秀になる(これを政治という)
つまりコミュニケーションは政治には有益だし、政治だけで仕事を成立させることもできなくはないが、賢くはない。
テキストコミュニケーション
政治を脱せないコミュニケーションをカバーするのに、テキストコミュニケーションが使える。
つまりコミュニケーションの代替ではなくて、完全に別物sta.icon*2
テキストコミュニケーションとは:
非対面かつ非同期的に、テキストの読み書きでやりとりする
言語情報を重視する
本質的な議論や難しい内容も扱える
イメージを掴んでいただくために、Before/Afterで見てみよう。
Before:
日中は1時間の会議を6本行い、その後残業でワーク(ひとりで行う各種思考や検討や調査や作成)をする
After:
会議は1本もしない
かわりに、議題と議論はテキストコミュニケーションツールに出し、そこで非同期的に進める
いつ何を読み、どれくらい書き込むかは自らタスク管理する(ツールその他手法にはもちろん頼れる)
テキストコミュニケーションができるなら、Afterができるはずである。
Afterができないか、イメージが湧かない人は、単に無知であるかスキルが足りない
そしてできない人は非常に多い
ITの大企業の管理職でも10人に9人はできないと思うsta.icon
またテキストコミュニケーションができるならフルリモート、フルフレックス、全国どこにでも住むくらいはできる。
仕事次第ではできないことももちろんあるが、デスクワークくらいならできる。
できないということは、単にテキストコミュニケーションが下手ということ。
テキストコミュニケーションは、最初が難しい。
デジタルへの構造的シフトをDX(デジタルトランスフォーメーション)という
デジタルありきですべてを捉え直さねばならず、価値観の変更を伴う大きなシフトを伴う
必要な道具やリソースも多く、事実上経営層(リソースを握る人)が最初からどかっと投資せねばならない
テキストコミュニケーションも同様で、これレベルのシフトが求められる
特に難しいのが、日本は一緒に過ごすことで信頼関係をつくったり、顔を見ながら周囲に合わせたりする文化であるということ。そも日本に限らず、人間なので通常はそうなる
これに抗って、より賢い過ごし方を採用するという「スタートラインに立つ部分」が一番難しい
インセンティブがない(無知なので理解・想像できない)から腰が上がらないし、資本主義と情報社会で恒常的に忙しいのでただでさえリソースと体力もない
人類があまりに下手くそなので、仕方ないので僕が色々整備しているsta.icon
本当はツールをつくったり、運動として色んな人巻き込むのがいいんだけど、僕も超人ではないのでそこまでできてない。
タスク管理 → たすかみ
デフォルトでリモートにしよう的なまとめ方 → Remotism Book
少々トリッキーだが、特性的にコミュニケーションが苦手だがテキストコミュニケーションならできるASDにフォーカス → ASDマネジメント ~ASD部下を持つ管理職のためのマネジメントガイド~