日本の文化を異文化理解力から知る
文化は総じてキモいものであり、日本も例外ではない。
本実践術が刺さりそうな当事者であれば、「なんでこいつら、こんなことしてんだ?」と思ったことがあるだろう。
その一部は「日本の文化によるものだから」で氷塊する。
問題は、その日本の文化とやらの言語化と出会えないこと
少なくとも周囲の人に聞いたところで、まともな答えは返ってこない
だが幸いにも良書があるsta.icon
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自分の行動がなぜダメかというのも、これで説明できる
Q: なぜ上司の不備や不出来を堂々と指摘してはいけないのだろうか?
Ans: 日本のフィードバック文化は「間接的なネガティブフィードバック」だから
Q: なんでだらだらした会議や出社を軽減できないのだろうか?
Ans: 一緒に過ごして信頼を育む「関係」の文化だから
つまり一緒に過ごすこと自体がある種目的になる
Q: なんで言語化をしないのだろう?言語化が嫌いなのだろう?
Ans: ハイコンテキストな文化だから
むしろ何でもかんでも言語化して示す方が「頭がおかしい」感じになるsta.icon
下手すると「なんだお前、そこまで言語化しないと理解できない奴だと思ってんのか?」と逆撫でさえしてしまう
「そういう宗教」と言えばそれまでだが、具体的に捉えられる点が良いsta.icon*2
捉えられるなら対策できる
上記で言えば、
ネガティブなフィードバックを行うときは遠回しにやる、かつ1対1でやる
一緒に過ごして関係を育む生き物だと理解し、生態を損なわないようにする
ハイコンテキストで在ることにプライドを持つとみなし、逆撫でしないようにする
たとえばこのようにパターン化すれば、以降は余計な摩擦を防ぎやすいsta.icon
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こう書くと万人が盲目的に見える・思えるかもしれないが、そうではない
本当は我が強い
それでも出さないのは、単にリスクを減らすため
リスクを減らすために、場の力学に従う
日本という世界観に敷かれた日本の文化も、この力学の一つだと思うsta.icon
別に「いや皆がいる場所で直接フィードバックしないとダメなこともあるだろ」ってことくらい、多くの人がわかっている
それでもリスキーなので、やらないのである
また、こういう「場への迎合」は、従う限りはリスクもなくて穏やかでいられるので楽ちん
事なかれ主義だのプロセス原理主義だの、いろんな人がいろんな言語化をしている
散々観測してきた私から見ると、依存症――とまでは言わないが、依存と言えるレベルのブツだとは思うsta.icon
ここまで理解できると、「そういうもんか」「なんか案外大したことないな」「しょうもな」などと、ある種達観した気持ちになれると思う
巻き込まれるのは未だにうんざりするけど、なんていうか、社会や周囲を許せるようになるsta.icon