部品だけでは本はつくれない
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本には部品の集まりを超えた何かがある
「部品の集まりを超えた本」の中身を「一箇所に書く」か「n箇所(たとえば章単位)に書く」という違いはある
だけどこれも本をプレビューした後、「ここ直したいな → 対応する場所直す」をしているだけで、前者の「本のプレビュー」はなくせない
「n箇所で書く」のnをもっと小さくすれば部品的になる?たとえば章節項でいう項の単位は可能?
Ans: 無理じゃないかなぁ
「部品の集まりを超えた何か」って本だけじゃないのよsta.icon*2
章や節レベルでもある
イメージはこう
部品の集まりを超えた何か(本)
部品の集まりを超えた何か(章)
部品の集まりを超えた何か(節)
「部品の集まりを超えた何か」を反映するには「部品を直す」ではなく「部品からつくった全体を "直接" いじる」が必要になる
本→章くらいならまだできるだろうけど、章→節レベルはもうキツイんじゃねえかなsta.icon
本はただの情報の集まりではない
情報をどうまとめて、どう並べて、どんな見出しをつけてってところに個性が出る
ただ並べればいいというわけではない
ただ網羅できればいいというわけでもない
昔の人が腐るほど言ってることだと思うので名言だか発言だか引用したいねsta.icon*2
千葉雅也さん
が、情報を記して伝えられればいいという文脈では、この芸術性が足かせになっているのも事実
読書のあり方を変えたいのヒントもここ(芸術性がmust!という前提の破壊)にある気がするんだよなーsta.icon*3